人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
渋谷向山
◆昨日の陵墓の勉強会で、渋谷向山の1971年調査の話が出た。で『玉1』の報告書をめくってみる。その前に、『玉1』の報告書では、ありがたいことに、宮内庁書陵部の協力をいただき、墳丘について、宮内庁職員の方に過去の調査をまとめていただくことができた。あわせて埴輪の実測について全面的協力をいただき、向山の埴輪のいい資料を、一部再トレースはあるが、図化し公表することができた。思えば、伏見城より早く、津堂城山より早く、こうしたことが大学の報告書でやらせてもらったことに、改めて感謝しなければならない。
◆本題に戻って、1971年の調査についても、各トレンチの調査概要を、ひととおり記述していただいています。それと埴輪の資料で言えば、1968年に出土した資料がなかなかいいものなのである。こういうものもオモテに出せている。『玉1』はよくできた本だ!(誰も褒めてくれないので、自分で褒めておきます)。渋谷向山の基本文献は『玉1』ですよ(あんたもしつこいね)。
◆本題に戻って、1971年の調査についても、各トレンチの調査概要を、ひととおり記述していただいています。それと埴輪の資料で言えば、1968年に出土した資料がなかなかいいものなのである。こういうものもオモテに出せている。『玉1』はよくできた本だ!(誰も褒めてくれないので、自分で褒めておきます)。渋谷向山の基本文献は『玉1』ですよ(あんたもしつこいね)。
続き
◆全体として、天皇制に対する歴史学界の伝統的姿勢があるんだろう。近現代史と切り離せない面がある。政治的利用という前に、研究者のなかで危ない人たちがいる。概して声が大きい。
◆近代国家が古代天皇制に依ったこと、現代の日本国家が近代国民国家の延長にあり、万世一系とか、神国とか、どんな国より歴史は古いとか、そういうことで今なお国民の統合を図ろうとしたり、プライドを保とうとしたりする人はいる。そういうことには断固反対すべきだ。しかし、倭国ができ、王がおり、古墳時代があり、飛鳥奈良時代がある。むろん古墳時代であれば、地域の動向をきちんと復元すべきだし、集落論は欠かせないが、その一方で、王権論や国家論も欠かすことはできない。むしろ、危ない研究者なんぞが大手を振って歩けないほどに、ちゃんとした学問にもとづけば、日本の古代国家形成はこんなだった、大王とはこんなだった、ということを明確に打ち出していくべきだと思う。むろんそこには厳密性は必要だし、わからんことはわからんのであるが、それでも利用しようというヤツらをおそれることなく、学問的裏付けがない取るに足らない言説として無視され消えていくほどに、事実を明らかにすべきである。
◆なにか主題がずれてきました。ずれ続けるとすると、古墳時代に相当する時期の王統譜をめぐっては、けっこういけるという立場と、ほとんど難しいというのと、古代史の人でもその間でかなりの差があるのだろう。古代史のなかでガチンコ勝負をまずしてくれないものか。厳密に言えばほとんど困難ということが、たとえ学問的良心として正しいとしても、それで扱わないとすれば、そうでもないと思っている側との乖離はなくならないだろうし、とくにけっこういけると信ずる危ない研究者を温存し続けると思う。
◆元に戻り。『季刊考古学』の古代史の文をいますこし。でオオヤマト6墳のあと、「古市・百舌鳥古墳群における応神・仁徳陵に先行する仲津山・上石津ミサンザイの位置付けについても同様である」という最後の一文がある。まず、いかに同様なんだろうか。「古墳編年と王統譜は基本的に別枠で考えるべき」ということの事例として同様であるということなんだろう・・・。どうも誉田御廟山は応神陵、大仙は仁徳陵というのはいいと考え、で王統譜上は、応神に始まることになっているが、実際にはそれに先行する大王墓があるので、これも作られた王統譜はそれはそれ、実際の河内段階の王の流れはそれとは別に考える必要がある、と考えているのかな。
◆この議論はどうなんでしょう。誉田御廟山は応神陵、大仙は仁徳陵と考えているのではないのかもしれません、論理矛盾だし。誉田御廟山は応神陵、大仙は仁徳陵と、持統朝には決められたが、ということなんだろうかとは思うが、それなら説明がないと誤解されるだろう。が、案外、そうではないのかもしれません。応神と伝えられる人物なりよりも早く、河内に大王墓を築く者がいたんだと、そう考えているということなのかもしれません。ああ、頭が痛くなってきた。
◆すいません。いつも学恩をいただいている方を取り上げて、いろいろ言いました。
◆近代国家が古代天皇制に依ったこと、現代の日本国家が近代国民国家の延長にあり、万世一系とか、神国とか、どんな国より歴史は古いとか、そういうことで今なお国民の統合を図ろうとしたり、プライドを保とうとしたりする人はいる。そういうことには断固反対すべきだ。しかし、倭国ができ、王がおり、古墳時代があり、飛鳥奈良時代がある。むろん古墳時代であれば、地域の動向をきちんと復元すべきだし、集落論は欠かせないが、その一方で、王権論や国家論も欠かすことはできない。むしろ、危ない研究者なんぞが大手を振って歩けないほどに、ちゃんとした学問にもとづけば、日本の古代国家形成はこんなだった、大王とはこんなだった、ということを明確に打ち出していくべきだと思う。むろんそこには厳密性は必要だし、わからんことはわからんのであるが、それでも利用しようというヤツらをおそれることなく、学問的裏付けがない取るに足らない言説として無視され消えていくほどに、事実を明らかにすべきである。
◆なにか主題がずれてきました。ずれ続けるとすると、古墳時代に相当する時期の王統譜をめぐっては、けっこういけるという立場と、ほとんど難しいというのと、古代史の人でもその間でかなりの差があるのだろう。古代史のなかでガチンコ勝負をまずしてくれないものか。厳密に言えばほとんど困難ということが、たとえ学問的良心として正しいとしても、それで扱わないとすれば、そうでもないと思っている側との乖離はなくならないだろうし、とくにけっこういけると信ずる危ない研究者を温存し続けると思う。
◆元に戻り。『季刊考古学』の古代史の文をいますこし。でオオヤマト6墳のあと、「古市・百舌鳥古墳群における応神・仁徳陵に先行する仲津山・上石津ミサンザイの位置付けについても同様である」という最後の一文がある。まず、いかに同様なんだろうか。「古墳編年と王統譜は基本的に別枠で考えるべき」ということの事例として同様であるということなんだろう・・・。どうも誉田御廟山は応神陵、大仙は仁徳陵というのはいいと考え、で王統譜上は、応神に始まることになっているが、実際にはそれに先行する大王墓があるので、これも作られた王統譜はそれはそれ、実際の河内段階の王の流れはそれとは別に考える必要がある、と考えているのかな。
◆この議論はどうなんでしょう。誉田御廟山は応神陵、大仙は仁徳陵と考えているのではないのかもしれません、論理矛盾だし。誉田御廟山は応神陵、大仙は仁徳陵と、持統朝には決められたが、ということなんだろうかとは思うが、それなら説明がないと誤解されるだろう。が、案外、そうではないのかもしれません。応神と伝えられる人物なりよりも早く、河内に大王墓を築く者がいたんだと、そう考えているということなのかもしれません。ああ、頭が痛くなってきた。
◆すいません。いつも学恩をいただいている方を取り上げて、いろいろ言いました。
さてと
◆11日の記事に書いた、考えていることとは別の話です。まあ、いいんですけど、わたしの2王並立論なんて、取るに足らない無視されるべきものなんですかね。例えば、オオヤマト6墳の理解は、考え方は明確だと思う。が、まったく言及されることがありません(反応ゼロではないですが・・・)。グチです。
◆いくつかあったのですが、例えば『季刊考古学』の陵墓特集で古代史の方の文があるわけです。陵墓祭祀の上で持統朝が画期であるとか、そこは先行研究も含めて勉強になります。が、本論でない点から始めると、まず5世紀以前は、ほんとうに血統など重視されていないのでしょうか。これは古代史では定説のようですから、そうした理解の形成過程と根拠を確認する必要がある。反論できるのか、おとなしくする他ないか、またそれから考えます。王位継承は、実際に変動している局面があったという立場なので、不安定と言えばそうですが、しかし権力闘争はあって当然なわけです。が、もろもろの王族から、実力で選ばれるのであって、特定のところと決まっているわけではない、というのは無秩序にすぎるのではないか。卑弥呼即位から200年が経過している5世紀の王系が、いまだにそんな状態だったとはとても思えないのです。
◆で本論。議論のひとつがオオヤマトの6墳。わたしは茶臼山やメスリ山をはずしていない。でも、引用してはくれません。古墳群の編年的整理の議論と、6世紀以降に整序された王統譜を切り離すべきと。むろん、もたれあうことはよくないし、別個に積み上げるべきで、一旦、切り離すということは妥当でしょう。しかし、古墳時代はあくまで古墳の編年で考えてください、王統譜は6世紀以降の古代史の局面としてのネタにはなるが古墳時代の議論にはそぐわない、という意見だとすると、そりゃなんじゃ、と。協業は困難だということなのでしょうが、それでいいんでしょうか。
◆ついでに。引っかかるのは、「王統譜と前方後円墳は意外に信用できるという議論に容易に転化する」というところ。政治的に利用される危険性というのはもちろんある。しかし、使える部分が10%に過ぎずとも、40%であれ、70%であれ、利用しようと思うヤツは使うのである。学問的な厳密性を尊重することはもちろんだし、どれくらいの確証性があればどこまでどういう表現で言うかというのは研究者個々の考え方だ。しかし古墳時代の王権のありようを、資料に即して解明しようとする学術的目的は間違ってないし、追究すべき課題である。で、王統譜とか文献からは復元はほとんど無理というわけではないでしょう。まったくの捏造ということはない。6世紀、7世紀、一定の意図や思惑で改変しているだろう。がそこは、この部分はこうで、あの部分は、という研究が進められてきたわけです。
◆言いたいことは、10%とか、40%とか、70%とか、もちろん数字で出せなんて言っているわけではないですが、そういうシロクロをつけていくということの上に、突き合わせるべきですよね。政治的利用のおそれに留意しなければならないとしても、学問的営みはだから避けるのでなく、やらないといけないと思う。学問的にはここが使えるということを出すことを、手控えることがあってはならない。
◆長くなったので、改めます。
◆いくつかあったのですが、例えば『季刊考古学』の陵墓特集で古代史の方の文があるわけです。陵墓祭祀の上で持統朝が画期であるとか、そこは先行研究も含めて勉強になります。が、本論でない点から始めると、まず5世紀以前は、ほんとうに血統など重視されていないのでしょうか。これは古代史では定説のようですから、そうした理解の形成過程と根拠を確認する必要がある。反論できるのか、おとなしくする他ないか、またそれから考えます。王位継承は、実際に変動している局面があったという立場なので、不安定と言えばそうですが、しかし権力闘争はあって当然なわけです。が、もろもろの王族から、実力で選ばれるのであって、特定のところと決まっているわけではない、というのは無秩序にすぎるのではないか。卑弥呼即位から200年が経過している5世紀の王系が、いまだにそんな状態だったとはとても思えないのです。
◆で本論。議論のひとつがオオヤマトの6墳。わたしは茶臼山やメスリ山をはずしていない。でも、引用してはくれません。古墳群の編年的整理の議論と、6世紀以降に整序された王統譜を切り離すべきと。むろん、もたれあうことはよくないし、別個に積み上げるべきで、一旦、切り離すということは妥当でしょう。しかし、古墳時代はあくまで古墳の編年で考えてください、王統譜は6世紀以降の古代史の局面としてのネタにはなるが古墳時代の議論にはそぐわない、という意見だとすると、そりゃなんじゃ、と。協業は困難だということなのでしょうが、それでいいんでしょうか。
◆ついでに。引っかかるのは、「王統譜と前方後円墳は意外に信用できるという議論に容易に転化する」というところ。政治的に利用される危険性というのはもちろんある。しかし、使える部分が10%に過ぎずとも、40%であれ、70%であれ、利用しようと思うヤツは使うのである。学問的な厳密性を尊重することはもちろんだし、どれくらいの確証性があればどこまでどういう表現で言うかというのは研究者個々の考え方だ。しかし古墳時代の王権のありようを、資料に即して解明しようとする学術的目的は間違ってないし、追究すべき課題である。で、王統譜とか文献からは復元はほとんど無理というわけではないでしょう。まったくの捏造ということはない。6世紀、7世紀、一定の意図や思惑で改変しているだろう。がそこは、この部分はこうで、あの部分は、という研究が進められてきたわけです。
◆言いたいことは、10%とか、40%とか、70%とか、もちろん数字で出せなんて言っているわけではないですが、そういうシロクロをつけていくということの上に、突き合わせるべきですよね。政治的利用のおそれに留意しなければならないとしても、学問的営みはだから避けるのでなく、やらないといけないと思う。学問的にはここが使えるということを出すことを、手控えることがあってはならない。
◆長くなったので、改めます。
話はぜんぜん変わりますが
◆レキハクの研究報告185の安藤さんの論は感動的でした。発表を聞いたときも感銘を受けましたが、さらに深い。
5月11日
◆で、土曜日にほぼ『市大日本史』が決着してよかった。翌11日、時差もあったのか、朝、目覚めれば、もう9時。ベルギーとの時差は、前に8時間と書いたように記憶するが、7時間だそうで、いずれにしても、5月9日の朝、むこうで6時に起きてから、日本時間で11日の0時まで起きていたので、18+24-7=35時間、途中、飛行機でウトウトはしたが基本的には起きていた。それがぐっすり9時間寝て、ほぼ解消したのだろう。
◆で、今日は午後から京都だけど、午前中は少し仕事をしてからと家を出るが、予定を確認すると勉強会は13時からとなっている。京橋に出て京阪に乗る。少し早めには着いたが、危なかった。
◆13時から17時まで陵墓の勉強会で3本の報告を聞き、18時から運営委員会で議論。八木まわりで帰る電車の中で、あることを考えていました。改めて書くこともあるかもしれません。そんなんで戻りは22時。1日が暮れていきました。
◆で、今日は午後から京都だけど、午前中は少し仕事をしてからと家を出るが、予定を確認すると勉強会は13時からとなっている。京橋に出て京阪に乗る。少し早めには着いたが、危なかった。
◆13時から17時まで陵墓の勉強会で3本の報告を聞き、18時から運営委員会で議論。八木まわりで帰る電車の中で、あることを考えていました。改めて書くこともあるかもしれません。そんなんで戻りは22時。1日が暮れていきました。
韓流ドラマ
◆10日朝、関空に着き、家に一旦戻ってから出勤。市大日本史の最終校正をする。19:30までにすべての作業を終える。これで無事、印刷にかかれるだろう。部数を連絡、抜き刷り関係の事務連絡も済ませた。そのあと少し原稿を書くが、早めに帰る。
◆カンベエ、トンイの最終回の録画を見る。途中でぜんぶ最終回まで見ていたが、改めてトンイはいい。何がいいかと言えば、描かれている人間像がいいわけです。権力でコトを動かすのでなく、志や人間力、信頼、そういうもので実現させていくというところ。まあ史実とは別。歴史ドラマであれ、論文ではないわけで、史実に立脚しながらも、そこは登場人物に語らせ動かさねばならず、ある人間像を定めねばならない。個人の詳細な日記が残っているならともかく、そこはフィクション。また、制作側として、描きたいものがあるわけだ。
◆これくらいにしておこう。で、次は何なのか、と思えば、イギリスの貴族の話。それもやっぱり実際に見てからにすべきで、ドラマとしていいものなのかもしれない。が、冬のソナタ以来、韓国ドラマを見てきた者からすれば、なんで?、と。むろん、変えたっていいわけだが、ちょっと別のことも考えてしまう。韓流ドラマもブームは過ぎ、落ち着いたということかもしれないが、ここにも昨今の情勢が現れているように感じた。なお一定の根強い人気はあるだろう韓流ドラマ、日本で流す価値のあるものも枯渇したわけではあるまい。NHKという「国営」放送が、週1回、隣国である韓国のドラマを取り上げ続けてきて、それをこれからも続けていく意義はあると思うのだ。新聞かニュースで、竹島とかの問題はあるにせよ、韓国の人々はそれをのぞけば、けっこう日本に親しみを感じているという調査結果が出ていると。そういうものだって、ある意図のもとに調査されたかもしれないし、客観性があるのかどうか、それはわからない。が、Japanese only といったメッセージやヘイトスピーチのような悪意に満ちた言説より、よほどマトモだろう。実態に近いのだろうと思うし、うれしいし、支持されるだろう。
◆韓国ドラマがこれで打ち切りかどうか知らないが、切り替わったことに、政治情勢の影響を感じてしまう。もしかして会長の指示?、とか。
◆カンベエ、トンイの最終回の録画を見る。途中でぜんぶ最終回まで見ていたが、改めてトンイはいい。何がいいかと言えば、描かれている人間像がいいわけです。権力でコトを動かすのでなく、志や人間力、信頼、そういうもので実現させていくというところ。まあ史実とは別。歴史ドラマであれ、論文ではないわけで、史実に立脚しながらも、そこは登場人物に語らせ動かさねばならず、ある人間像を定めねばならない。個人の詳細な日記が残っているならともかく、そこはフィクション。また、制作側として、描きたいものがあるわけだ。
◆これくらいにしておこう。で、次は何なのか、と思えば、イギリスの貴族の話。それもやっぱり実際に見てからにすべきで、ドラマとしていいものなのかもしれない。が、冬のソナタ以来、韓国ドラマを見てきた者からすれば、なんで?、と。むろん、変えたっていいわけだが、ちょっと別のことも考えてしまう。韓流ドラマもブームは過ぎ、落ち着いたということかもしれないが、ここにも昨今の情勢が現れているように感じた。なお一定の根強い人気はあるだろう韓流ドラマ、日本で流す価値のあるものも枯渇したわけではあるまい。NHKという「国営」放送が、週1回、隣国である韓国のドラマを取り上げ続けてきて、それをこれからも続けていく意義はあると思うのだ。新聞かニュースで、竹島とかの問題はあるにせよ、韓国の人々はそれをのぞけば、けっこう日本に親しみを感じているという調査結果が出ていると。そういうものだって、ある意図のもとに調査されたかもしれないし、客観性があるのかどうか、それはわからない。が、Japanese only といったメッセージやヘイトスピーチのような悪意に満ちた言説より、よほどマトモだろう。実態に近いのだろうと思うし、うれしいし、支持されるだろう。
◆韓国ドラマがこれで打ち切りかどうか知らないが、切り替わったことに、政治情勢の影響を感じてしまう。もしかして会長の指示?、とか。
ベルギーの旅(19)
◆そこから、ラーケン王宮の植物園へ。郊外北方に、公園や
ら
施設やら、リトルヨーロッパとい う、要するにリトルワールド的遊園地などがあるらしい。地下鉄という か、トラムに乗ることにする。1日乗車券を買う。コインがなかったので自販機でなく、なんとかを窓口で買い乗り込む(13:55)。モンゴメリー駅というところ。行き先は、ヘーゼル。
◆トラムも、市街部では地下駅になっている。通常の地下鉄と違って、床が低いんでしょうね、乗り場も当然にホームと線路の高低差は低い。地下鉄の駅を改造したところでは、地下鉄ホームの高さから、数段の階段を降りて、トラムのホームになっている。トラムは右の写真のように車両幅は断然狭い。
◆終点のヘーゼルまで行く。
◆トラムも、市街部では地下駅になっている。通常の地下鉄と違って、床が低いんでしょうね、乗り場も当然にホームと線路の高低差は低い。地下鉄の駅を改造したところでは、地下鉄ホームの高さから、数段の階段を降りて、トラムのホームになっている。トラムは右の写真のように車両幅は断然狭い。
◆終点のヘーゼルまで行く。
ベルギーの旅(17)
◆来ましたEU本部。その手前(西側)にもEUのマークの入ったでっか
いビル
がある。どういう経緯でブリュッセ ルがEU諸施設が置かれるようになったのかはわからんが、いわゆるEC時代 以来のものなんだろう。本部は十字形に枝分かれした建築物。前になんか見たことがあると思い出すと、たしかユネスコ本部もこんな形やなかったかな、かすかな記憶だが。
◆安倍くんが、6日にブリュッセルに入るらしい。EUで演説するのかな。そうそう、通っていたとき、デモの音声が聞こえてきた。残念ながら大きい東西方向の通りの向こう側で、こっちは南側を東に向かっているもので、デモの隊列やら声を上げている様子は見れなかったが。
◆それと本部の向かいの、地図では理事会となっているが、そういうビル群がならぶなか、外観に日本の建具のような木製のフレームを組み合わせたデザインのを見て、思わずシャッターを切る。コンクリート建築を柔らかく見せる工夫はいいですよね。
◆安倍くんが、6日にブリュッセルに入るらしい。EUで演説するのかな。そうそう、通っていたとき、デモの音声が聞こえてきた。残念ながら大きい東西方向の通りの向こう側で、こっちは南側を東に向かっているもので、デモの隊列やら声を上げている様子は見れなかったが。
◆それと本部の向かいの、地図では理事会となっているが、そういうビル群がならぶなか、外観に日本の建具のような木製のフレームを組み合わせたデザインのを見て、思わずシャッターを切る。コンクリート建築を柔らかく見せる工夫はいいですよね。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。