人を幸せにする人になろう

つづき

◆国道はよくなり、トンネルもできたと。が、村は・・・。カミサンの実家の、向かいも、隣も、もう無人です。おばあちゃん、おじいちゃんが、1人住んでいたのですが、なくなられるとそこまで。終末や休みに子がやってきて窓を開けたり掃除したりしているとのことですが、普段は誰もいません。
◆むかし役人だったころ、石川県の話を聞いたことがあります。道路がよくなると、これで金沢に出るのも便利になると。そうするとどうなるか。金沢に住むようになるのだと。帰ろうと思えば帰られる。やはり仕事がないということなのでしょうが。要するに道路がよくなると県庁所在地など都市部に集中し、過疎が進行するという話でした。道路がよくなろうがそのままであろうが、それを押しとどめることは結局は無理なのかも知れません。
◆TPPとかやっているけれど、例えば米は都道府県を越えてはいけないと法定するとか・・・。江戸時代は各藩のなかで自主財源でやってきたわけです。地方交付税もありません。人々が食っていく食料は基本的に地域内で賄われていたわけです。それに戻れといっても無理ですが、都市部は必要なものをえるために食料を購入しなければならない、それで営農が続けられるような仕組みも必要でしょう。安くなればいいというのでなく、維持していくための価格維持はやはり必要では。

ずいぶん前のことですが

◆NHKかなんかで、学校がなくなっていく特集を見ました。4月はじめだったかもしれません。東京都内の事例がまず紹介されていました。その対比で、過疎地が取り上げられているのですが、それがカミサンの田舎でした。和歌山県の高野山ふもとの山間地。長谷宮小学校は既になく、隣の毛原の小学校・中学校に統合される(これは番組では紹介されているわけではありません)。しかしその小学校・中学校も、もはや維持できないという話でした。児童は少なく、複数学年が一緒に学習し、体育もなかなか成立しない。かといって、さらに西の学校に統合するには、車でも30分?、それ以上かかり、困難だと。
◆そしてラストのイメージが、いまは動いている毛原小学校・中学校でなく、既に廃校となった長谷宮小学校の映像でした。

柏原市の郷土史を探る会

◆冊子が送られてきて、見ると、会を発展的に解散したとのこと。これまでの会報をまとめたものと いう。一度、話をさせてもらったことがあり、その時に入会もしたのですが、日常的にかかわることも難しく、1年で退会してしまいましたが、会長さんとは、その後も国分で顔を合わせ、挨拶するようになりました。そんなんで、わたしのところにも冊子を送って下さいました。
◆こうした会がなくなるのは残念ですね。ひととおりやってきたし、新しいメンバーが増えないということもあるのでしょう。一定年齢以上が主体としても、そのなかで高齢な方が退会するとともに、新しい人たちも加わる新陳代謝が望ましいわけですが、それも難しいのだと思います。ずーと運営していくのもきついことだろうと思います。民間のこうした有志の集まりは、その独立的運営が大事なのだとは思いますが、教育委員会は自分たちのサポーターとして、両者がより結びついた形で継続運営できるのが望ましいのかも知れません。Mさん、お疲れ様でした。わたしも、自分のできることを考えないといけません。
◆恵解山の長岡京市では、市民が自分らワークショップを作っていくことをめざし、いま募集を始めています。地元の歴史や文化を大切にしようという有志が集まり、相談して、自分たちでワークショップを考える。長岡京市は、そういう地盤作りをうまくやっていると、前々から感じている。

恵解山古墳の整備は10月竣工予定

◆整備の会議に行く。最終盤でサイン関係が主な議題。説明のスライドの1枚をパチリと写させても らう。勝手に使いますよ。土木工事や葺石・埴輪の工事はほぼ終了。いまの姿をご覧あれ。

それで布施

◆授業の資料も作り終わったというので、大学を出て、帰りは京阪バスで寝屋川市駅に行き、布施 で降り立つ。広小路から本町通りに入り、南下し、また北上する。南北の本町通りは、昔ながらの商店街でなかなかよい。雑多な感じが。
◆そのあとは呑み会。写真のような店にはさすがによう入りません。入ったのは、近鉄で布施駅から南を見ると、看板が目立つ店です。鳥が美味い。

摂南で仕事

◆カミサンは、月曜日の実験の準備。オレは脇でなんやかや。研究室に800万円の3Dプリンタがあ り、プランクトンの石膏模型がならぶ。で、おおっと、前方後円墳もある。そういえば2基ほどデータを渡して模型を作ってもらった。そのひとつ。なんだかわかりますか。渋谷向山です。

寝屋川つづき

◆京阪で寝屋川市駅へ。京阪バスはあるが、カミサンは朝は30分歩くのだそうな。で八重桜満開の 用水脇の散策路を北上する。二十箇用水というのだそうだが、これいつで きたんでしょうか。説明看板はなし。旧道を行く のだが、まだ蔵のある家屋があり横に田畑がある風景も見られる。車で大きい道路をしょっちゅう通っているが、やはり旧道を歩くのは面白い。
◆せっかくなので、明治の仮製図と1961年の大阪府図を確認し、江戸時代以来の道を調べてみた。茨田郡の条里は東側はよくわかるが、太間から西は氾濫原で様子が一変する。

4月13日、寝屋川+布施

◆土曜日の夜、に鍵を研究室に置いたままロックしてしまい、駐車場で鍵を忘れたのに気づく。日 曜日も仕事と思っていたが、守衛さんに開けてもらうのもめんどくさく、大学に行くのをやめにする。摂南大学にまず行くことにする。
◆玉造で降りて、買い物のためロイヤルホームセンターに向かう。前に大学院生と歩いたことを思い出す。伏見坂町だったか、風呂屋があるところ。ホームセンターだが、たいがいコーナンに行くが、こっちの方が品揃えがいい。朝からやっていて便利だ。
◆途中、森ノ宮神社に寄る。鵲森の宮というのだそうな。おみくじを引く。吉。これから運勢はよくなるらしい。
◆さらに北上し京橋まで歩いた。途中、1945年8月14日の京橋駅爆撃被災者の慰霊碑にでくわす。ここか。

遅ればせながら日本史新歓

◆車塚から戻って翌日の8日は、日本史の新構成員を迎える新歓コンパでした。新たに日本史コース に所属する2回生13名、3年次編入生2名、修士院生2名、博士院生4名です。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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