人を幸せにする人になろう

2013年11月17日の堺(8)山之口商店街

◆たぶん、むかしはにぎわっていたんでしょうね。こういうアーケード街を歩く大好きであ る。趣味的な店がいくつもならび、またアート展みたいなものが催されて いて、似顔絵描きとか、自分らの描いた作品や、木工品、ほかどんなんだったか、そういう露店がならんでいるが、あまり人通りは多くない。が、京都や金沢のように、若いアーティストが店を連ねる一画にするのは、確かにひとつの行き方で、可能性はあるのではないだろうか。
◆白いモノが垂れ下がっているが、与謝野晶子の歌のよう。

2013年11月17日の堺(7)開口神社

◆ここは10年くらい前に2部学生のハイキングで来た。七五三でにぎわっている。脇で、文化イベ ントの案内のテントなどもある。式内社。神宮寺があったらしい。こないだ、博物館概論で廃仏毀釈の話をしたが、まあ極端。大寺さんと親しまれていたらしいが。それと堺はまさに摂津と和泉の境界で、北庄(北組)と南庄(南組)に分かれていたが、その南組の氏神となる。西は山之口商店街に開いている。そっちに三国ヶ丘高校発祥の地の石碑なども建っている。

2013年11月17日の堺(6)泉陽高校の与謝野晶子碑

◆ここは昔の高等女学校なんだったけか。与謝野晶子もここを出ており、岳父の姉もここを卒業し たとのこと。有名な「君死にたまふことなかれ」の碑文があり、見学者もあるのか、門は開けてあり、行き方の案内がある。もとの場所は違っているのだったか、いまの石碑は新しくしたものという。その前に大きなソテツがあり、戦災にも焼け残ったようで、覚えているとのこと。

2013年11月17日の堺(5)妙国寺

◆妙国寺。なにやら人が集まってきている。文化行事が目白押しで、あちこちで文化財特別公開な どをやっているのだが、妙国寺では講演会があり、利休にたずねよの制作関係の人だったか、それでぞろぞろと集まってきているようだ。
◆が、こっちは講演会はいいので、お寺の見学。ボランティアさんがいっぱいいて、説明してくれる。ソテツの話。堺事件の話。庭園の話。利休の茶さじと青磁が特別公開されており、別室の宝物展示室ものぞく。堺事件とは、1968年にフランス人を土佐藩の人間(堺港の警護?)が殺傷し、関係者が切腹の処分を受けたのだとか。それが妙国寺の境内で行われたのだという。20人?が切腹することになり、11人までが腹を切るも、あまりのむごたらしさに見聞していたフランス人が中止を命じ、12人目以降のものは生きながらえることになる。その遺髪とか、辞世の句の掛け軸とか、あとはなんだったか。お経のいいのがあったが、あれは・・・。

2013年11月17日の堺(4)方違神社

◆反正陵のところにある方違神社には前から行きたかったのだが、ここに初めて行く。なんでも字 の通り、例えば家を建てるといった時に、ここにお参りに行くらしい。うちのカミさんが小さいときに連れてきて、その灯籠のところで写真を撮ったとか、そういう話がはずむ。
◆ここの特徴は、東南にまっすぐのびる道。これが西高野街道で、和泉と河内の国境なのである。だから行きたかったのだが、いや~感動的です。境内から見ると、そっちの方向に道が延びているわけだ。
◆この日、神社もあと2カ所行くが、七五三参りでにぎわっている。

2013年11月17日の堺(3)17日起床

◆18時頃には夕食にしたのだったか、20時頃には終わり、部屋へ引き上げるが、われわれにはち と早いので、堺東の飲み屋にカミさんと出かけ、もうしばらく呑む。それ でも22時頃には引き上げ、じつにゆっくりと寝る。
◆おかげで朝は5時頃には目が覚め、この夜は満月で、東の空にぽっかりと出ていたお月さんが、朝5時半、西向きの窓からだいぶ傾いて落ちていく写真がこれ。
◆朝食を取り、8時10分頃の同じ方向の写真がもう1枚。見えるのが阪神高速堺線で、環濠の東側、その向こうが旧市街である。

2013年11月17日の堺(2)ゆっくりと

◆前日の土曜日は、入試の関係で1日大学におり、カミさんが美里に迎えに行き、仕事が終わる頃に市 大に来てもらい、そのまま堺のホテルへ。13日の土曜日は大安吉日でほとんどホテルは満室だったのですが、なんとか確保(堺東)。
◆そのホテル、けっこう面白かったのですが、それはそれとして。岳父は足がもう弱っているし、ホテルの日本料理屋で食事を取る。食べながら、堺時代の話を聞き出し、メモを取りました。みなちゃんと知らないことのようで、2回転居し、堺でも3カ所に住んでいたことなど、初めて確認したとのこと。岳父は昭和5年生まれで、北向陽町で生まれたとのこと。そこは4歳くらいまでだったが、ちょうど「13間道路」という堺東へ通じる南北道の拡幅をやっていて、土盛りしての工事現場で三輪車に乗って遊んでいたとのこと。次が宿院で堺の環濠のどまんなか。ここが昭和18年頃までで長かったらしい。ところがこれが市民病院の防火対策というか、話を聞いていると、住吉から来る阪堺線軌道に面して家があったというから、これも南北道の拡幅なのかなと思うが、強制的に移転を強いられ、戦車で建物をぶちこわしたとのこと。そして3カ所目は堺東の方に移ったのだという。で堺空襲から免れた。焼夷弾が堺の環濠のところに降り注ぐのを見ていた、という。
◆そして一家は美里と橋本に引き上げるのだそうであるが、岳父は学校の関係で1年あまり1人とどまっていたのだという。

2013年11月17日の堺(1)

◆忘れないうちに行程表だけでも。最初、方違神社→反正陵→堺の刑務所→北向陽町→妙国寺→泉 陽高等学校の与謝野晶子碑→開口神社→山之口商店街→菅原神社→旧市民病院付近→喫茶まつなみ→与謝野晶子碑→蕎麦ちくま→堺市立英彰小学校→大浜公園→旧堺港→龍女神像。燈台は行きたかったがあきらめる。以上。→紀美野町へ。
◆この堺案内は、うちのカミさんの両親を案内したもの。岳父は堺で生まれ、15・16歳までおり(途中、居所は3箇所移動)、その場所をふりかえるのが趣旨。もともと高野山のふもと、合併前の美里町に家はあったのですが、その父親の仕事の関係で、大正末か昭和初め頃に(よくわかりません)堺に出てきたわけです。以下、プライベートにかかわるところは省き、面白かった点を紹介したいと思います。

決め!の写真

◆これから3週間はスクランブル体制で実習展をやらんとあかんだろう。リーフレットの作成など、まだまだなにも見えない。その前にチラシだが、去年のようにはいかない・・・。がともかく、チラシに使う決定的写真を昨日から考えている。文学部60周年を示すのにふさわしいものは何か、なかなか思い浮かばなかったが、一応、腹案を思いついた。これ1日がかりの撮影になるかもしれないが、バツグンの写真を撮りたいと思う。

法学部11階からの風景

◆今回の耐震工事の風景写真も時々メモ程度に撮影しているが、ちゃんと三脚を据えて撮っておこ うかと思う。そんなんで、大学の風景も、気に入ったらパシャリ、と撮りためている。
◆教授会は法学部棟11階で、天気がよいとかなりよく見える。今日は意外と早く終わってエレベーターホールに出ると、夕日が当たって赤くなってきれいのと、月が出ているので、思わず降りていく人たちの群れからはなれ、窓から写真を撮った。
◆ほぼ真東。むこうは大和。軸線なんてないと思うけど・・・(1人ごとです)。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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