人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2013年11月17日の堺(5)妙国寺
◆妙国寺。なにやら人が集まってきている。文化行事が目白押しで、あちこちで文化財特別公開な
どをやっているのだが、妙国寺では講演会があり、利休にたずねよの制作関係の人だったか、それでぞろぞろと集まってきているようだ。
◆が、こっちは講演会はいいので、お寺の見学。ボランティアさんがいっぱいいて、説明してくれる。ソテツの話。堺事件の話。庭園の話。利休の茶さじと青磁が特別公開されており、別室の宝物展示室ものぞく。堺事件とは、1968年にフランス人を土佐藩の人間(堺港の警護?)が殺傷し、関係者が切腹の処分を受けたのだとか。それが妙国寺の境内で行われたのだという。20人?が切腹することになり、11人までが腹を切るも、あまりのむごたらしさに見聞していたフランス人が中止を命じ、12人目以降のものは生きながらえることになる。その遺髪とか、辞世の句の掛け軸とか、あとはなんだったか。お経のいいのがあったが、あれは・・・。
◆が、こっちは講演会はいいので、お寺の見学。ボランティアさんがいっぱいいて、説明してくれる。ソテツの話。堺事件の話。庭園の話。利休の茶さじと青磁が特別公開されており、別室の宝物展示室ものぞく。堺事件とは、1968年にフランス人を土佐藩の人間(堺港の警護?)が殺傷し、関係者が切腹の処分を受けたのだとか。それが妙国寺の境内で行われたのだという。20人?が切腹することになり、11人までが腹を切るも、あまりのむごたらしさに見聞していたフランス人が中止を命じ、12人目以降のものは生きながらえることになる。その遺髪とか、辞世の句の掛け軸とか、あとはなんだったか。お経のいいのがあったが、あれは・・・。
2013年11月17日の堺(2)ゆっくりと
◆前日の土曜日は、入試の関係で1日大学におり、カミさんが美里に迎えに行き、仕事が終わる頃に市
大に来てもらい、そのまま堺のホテルへ。13日の土曜日は大安吉日でほとんどホテルは満室だったのですが、なんとか確保(堺東)。
◆そのホテル、けっこう面白かったのですが、それはそれとして。岳父は足がもう弱っているし、ホテルの日本料理屋で食事を取る。食べながら、堺時代の話を聞き出し、メモを取りました。みなちゃんと知らないことのようで、2回転居し、堺でも3カ所に住んでいたことなど、初めて確認したとのこと。岳父は昭和5年生まれで、北向陽町で生まれたとのこと。そこは4歳くらいまでだったが、ちょうど「13間道路」という堺東へ通じる南北道の拡幅をやっていて、土盛りしての工事現場で三輪車に乗って遊んでいたとのこと。次が宿院で堺の環濠のどまんなか。ここが昭和18年頃までで長かったらしい。ところがこれが市民病院の防火対策というか、話を聞いていると、住吉から来る阪堺線軌道に面して家があったというから、これも南北道の拡幅なのかなと思うが、強制的に移転を強いられ、戦車で建物をぶちこわしたとのこと。そして3カ所目は堺東の方に移ったのだという。で堺空襲から免れた。焼夷弾が堺の環濠のところに降り注ぐのを見ていた、という。
◆そして一家は美里と橋本に引き上げるのだそうであるが、岳父は学校の関係で1年あまり1人とどまっていたのだという。
◆そのホテル、けっこう面白かったのですが、それはそれとして。岳父は足がもう弱っているし、ホテルの日本料理屋で食事を取る。食べながら、堺時代の話を聞き出し、メモを取りました。みなちゃんと知らないことのようで、2回転居し、堺でも3カ所に住んでいたことなど、初めて確認したとのこと。岳父は昭和5年生まれで、北向陽町で生まれたとのこと。そこは4歳くらいまでだったが、ちょうど「13間道路」という堺東へ通じる南北道の拡幅をやっていて、土盛りしての工事現場で三輪車に乗って遊んでいたとのこと。次が宿院で堺の環濠のどまんなか。ここが昭和18年頃までで長かったらしい。ところがこれが市民病院の防火対策というか、話を聞いていると、住吉から来る阪堺線軌道に面して家があったというから、これも南北道の拡幅なのかなと思うが、強制的に移転を強いられ、戦車で建物をぶちこわしたとのこと。そして3カ所目は堺東の方に移ったのだという。で堺空襲から免れた。焼夷弾が堺の環濠のところに降り注ぐのを見ていた、という。
◆そして一家は美里と橋本に引き上げるのだそうであるが、岳父は学校の関係で1年あまり1人とどまっていたのだという。
2013年11月17日の堺(1)
◆忘れないうちに行程表だけでも。最初、方違神社→反正陵→堺の刑務所→北向陽町→妙国寺→泉
陽高等学校の与謝野晶子碑→開口神社→山之口商店街→菅原神社→旧市民病院付近→喫茶まつなみ→与謝野晶子碑→蕎麦ちくま→堺市立英彰小学校→大浜公園→旧堺港→龍女神像。燈台は行きたかったがあきらめる。以上。→紀美野町へ。
◆この堺案内は、うちのカミさんの両親を案内したもの。岳父は堺で生まれ、15・16歳までおり(途中、居所は3箇所移動)、その場所をふりかえるのが趣旨。もともと高野山のふもと、合併前の美里町に家はあったのですが、その父親の仕事の関係で、大正末か昭和初め頃に(よくわかりません)堺に出てきたわけです。以下、プライベートにかかわるところは省き、面白かった点を紹介したいと思います。
◆この堺案内は、うちのカミさんの両親を案内したもの。岳父は堺で生まれ、15・16歳までおり(途中、居所は3箇所移動)、その場所をふりかえるのが趣旨。もともと高野山のふもと、合併前の美里町に家はあったのですが、その父親の仕事の関係で、大正末か昭和初め頃に(よくわかりません)堺に出てきたわけです。以下、プライベートにかかわるところは省き、面白かった点を紹介したいと思います。
決め!の写真
◆これから3週間はスクランブル体制で実習展をやらんとあかんだろう。リーフレットの作成など、まだまだなにも見えない。その前にチラシだが、去年のようにはいかない・・・。がともかく、チラシに使う決定的写真を昨日から考えている。文学部60周年を示すのにふさわしいものは何か、なかなか思い浮かばなかったが、一応、腹案を思いついた。これ1日がかりの撮影になるかもしれないが、バツグンの写真を撮りたいと思う。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。