人を幸せにする人になろう

市大日本史学会大会より

◆吉田さんの講演。「全体史」という言葉が印象的。そうですよね。むろん対象として取り上げる のはある部分なんだが、しかしそれにかかわる全体像を把握したいと。生産の局面、流通の局面、消費の局面。全事象をやっていたら、1人の研究者が一生かかるんだろうが、そこは、しかし自分がまずやるにしても、まず流通を資料に即して明らかにしつつ、なんていうのか、その部分でも深めていくこともできるのだろうが、知りたいのは全体で、一方で、生産や消費面をつかみ、おおよその骨組みをつかみたいんだ、そのように受け取った。むろん1人でやるのでなく、科研などを取り分担して全体像を把握するということも、その先でありうる。
◆そしてまた、そのテーマ、薪炭、のもつ近世江戸という大消費地のなかでのエネルギー問題と捉え、おそらく大きな意味をもっていたはずだと見込み、またそのことを現代の問題にもつながる課題として位置付ける、と。電気とか、ガソリンとか・・・。
◆まあ、とにかく貪欲さを学ぶ。自分に置き換えれば、古墳時代のある部分をやっているとして、あらゆることは同質にはやれないにしても、いろんな研究があり、そういうことは求めれば知ることができるのであり、貪欲に吸収して自分としての全体的な理解を進めたい、と。そのなかで、どうしても不足がある部分があると思ったところに、自分が直接向かうところも見えてくるんだろう。エネルギー問題とか、そういう波及的な意味づけは確かにあるだろうし、歴史学をやる意味もそういうところにあるのかもしれない。けど、どっちかというと、そんなことよりも、研究を推進するエネルギーは個人の興味関心、その時に、出発点となる熱意というか気迫というのか、そこを最後に問うていたように思う。淡白ちゃうか、と。

市大日本史17成る!

◆金曜日に納品と聞いていたが、たぶん抜き刷りの関係で、同時に納品したいということなんだと 思うが、大会当日の午前中の着となった。めでたしめでたし。

16日、和泉市の生涯学習施設で条里の話

◆桃山学院大学企画、10回ものの講座の2回。最初は9日と16日だったが、ベルギーの話が入り、ずらしてもらったので、16日が1回目。50人の登録制なので、意識の高い人たちの集まりのよう。なかなか時間が取れず、準備不足ですいませんでした。半分は条里制の話で、半分は和泉の条里に即した話にしようとアバウトに時間配分を考えていましたが、条里制の話で終わってしまいました。ごめんなさい、後半の話はまた来週!。
◆和泉中央に立派な生涯学習施設がある。どれくらい稼働しているのかはわからんが。桃山学院大学の隣に、いずみの国歴史館があるのだけれど、どうせやったら、この施設内に置ければよかったんでしょうね。図書館など複合施設だが、こっちの方が駅にも近いし、まあその分、土地の価値が違うのだろうし。優先順位は、図書館・生涯学習施設>歴史資料館、という図式なんだろう。

なんか図

◆ある文章を書いていて、前方後円墳のはじまりの話。で、同成社の本をくっております。各地域 の古墳の編年が、地域の資料の蓄積のみならず、若い各地の人たちの調査、それにもとづくこれまでの理解に必ずしも縛られない位置付け、そしてイラストレーターの作図能力、そんなことがあいまって、実に精緻に進んできているというのがよくわかりますね(一部見ただけですけど)。
◆で東海地域のところをいじってみました。前方後方墳がいつまであって、前方後円墳がどうでてくるのか、ついでにどう終わるのか。終わるの、早いところは早いですよね。それと7世紀前葉とかの方墳がある場所が限られている、というのもよく見える。

またまた続き

◆例えば、造山と作山も、実はそういう関係じゃないかと思っているのです。基本的に並立で、作山被葬者はやや長生きした、と。こないだ宮崎、メサホ・オサホはいまの理解ではほぼ同時としかいいようがないと聞き、これもまたそうかも、と思った次第。五色塚に小壺、太田天神山に女体山みたいな円墳との組み合わせまでどうだかわからんが、どれほど年代が近接しているか、ということを突き詰めるのが、ひとまずやるべきことなんでしょう。

2王並立論つづき

◆まあ、くやしいし、いろいろ考えるわけです。レキハクの研究報告は、2王並立再論でもいいかな、とか。で、いろいろ発想というか、証拠に使えるかもしれない手段をいくつか思いついたりも。でも、ひとつは、前期古墳において、後円部の頂上に、1人埋葬の例もあるが、かなり副葬埋葬が普遍的にあり、そこには性別はともかく、同格の埋葬施設が、2つとか3つとか平気にあって、そういうことから首長権の分掌が言われていて、キョウダイ関係の宗教的・呪術的首長と軍事的・政治的首長がいる、ということは受け止め方とかニュアンスに差はあれ、近年ではかなり認められてきた考え方だと理解しています。
◆そうすると、そういう倭の社会のなかで、王権だって分掌的であることはありうるわけです。中国でも春秋だったか、そういう体制のところがあったはずで、が戦国期を経て、父系が強くなると。一方で、高句麗とか新羅も?、やっぱりそういう政祭2分があるわけです。
◆その上に、オオヤマト6墳では、明らかに墳丘を作り分けた2系列があると。こうした前代以来の伝統や東アジアの類似例があっても、蓋然性すら認めてくれないんですかね。オレにいわせれば、みなさんの方が万世一系にとらわれてるんとちゃいますか?。
◆オオササギとか、イザホワケとか、オレが持ち出すことに対する反発というのはあるのでしょうね。それはわかる。それを持ち出さずとも、考古学の世界で論じよということもわかるし、そのなかで頭を絞ることは大事だろう。もたれかかっているつもりはないが、もたれかかった議論をしていると思った瞬間、読むことをやめるのだろうし、文献によっている部分を取り除いて、考古学の議論の部分を追っていこうといった人はいないんでしょうね。まあいい。もうひとつの問題もあるので、再論してみようかと。
◆ちなみにこの論文は英訳されて公表されていて、こないだその担当から、ケンブリッジの考古学の文献リストに上がっている、と教えてもらった。dual kingshipsなんとか、だったかな。またバカにされるかもしれません。

条里の定義

◆和泉市で2回話をしないといけないので泣く泣く準備しています。一般市民ですし、条里とは何かから資料を書き始めています。で書きました。
7世紀第3四半期(つまり大化改新後)の古代国家が、それまでに水田が開かれていた平野部について、人々を立ち退かせ溜め池や幹線水路を新たに掘削しての新田開発の上に、あるいはそれと平行して、全国的に実施することを決定した、500代(高麗尺50歩四方)を基準とする平均約109mの区画整理事業である。
◆目的が入ってませんね。考えます。

計測屋

◆ベルギーは、マイクロCTのドイツ?の業者が主催した集まりで、マイクロCTを購入し、それを使っている多種多様の人たちの研究会的集まり。70人くらいで、日本人はカミサン1人。本人はポスター発表。だが、研究発表に興味のあるものが多く、会場にいるのはポスターの時間だけにして、あとは観光ということは今回はありませんでした。わたしは、贅沢なことに、ベルギーいちのリゾート地のホテルで原稿を書いていました(A4で23枚くらいは書いた)。
◆それで、カミサンの感想としては、自分がやっていることは世界の最先端である、ということがよくわかったとのこと。いろんな対象に対し、正確な計測をやるために、自分がいろいろ試みていることやそんなことを、マイクロCTを使っている世界の人も同じように取り組み、また問題に直面して、なんとかならんか~と考えていることがよくわかると。そのなかで先端を行っていると思われるものは、たいがい自分はぜんぶやっている、と。
◆芝が原の鏡と銅釧も、実は(マイクロCTの話とは違いますが)、和歌山大の開発した技術(精度30ミクロン)で計測してもらおうと思って、すこし考えていたのですが、年度末の報告書までにはできませんでした。報告書はカシコーケンさんにやってもらいました。こうした考古資料でもデリケートなものの計測にしても、レーザーだけでなく、さまざまな手法を同じ対象に試み、比較したりすることはよいことだと思っているのです。自分は専門的にやるつもりは毛頭ないのですが、純粋に新たな手法の試みと、従来方式との比較とか、やる価値はあると思っています。芝が原のやつも、なので、いずれは、とも。
◆そんなんで、計測のことは、いろんな情報をえている。前に伏見城の残石について、3Dカメラを持ち込んだが、これについてはおおよそ次のようらしい。富士フイルムの3Dカメラなのだが(12×6.5×2.8センチ)、3D計測システム(ソフト開発キット)込みで60万で販売中。これで、3D画像データからデジタル化できる(富士フイルムのHP)。わたしのもってるのは、本仕様でないが同等の市販用カメラで、既に生産停止、価格1.5万円ほど。そんでもって、いろいろソフト屋とか研究機関とか業者とかが、ソフトを開発しているのだとか。でも、あんまりアカンみたいです(その後の情報)。
◆別の話。レーザーの石室計測。牧野・谷首・岩屋山(図化のみ)・文殊院西までやってきた。ファローは簡便で、機械を借りれれば計測そのものはオレでもやれる。あとはデータ加工。これも教えてもらいながら、なんとか身につければ、じゃんじゃんやれると考えていた。が、こないだアコードさんと話をしていると、陰影図にアウトプットするにしても、みな同じ3次元点群データにもとづくとはいえ、そこは画像処理にしても、ぜんぜんわかんないのですが、いろんなソフトで加工を重ねていくらしく、それにどんなソフトを使うか(高価格なんでしょう)、どう組み合わせるか、というところに業者の、もっといえば担当の専門のノウハウ・腕があり、それが企業秘密なんだとか。そういえば新納さんにもそんな話を聞いたことがある。という話を聞いて、やっぱり無理だわ、と思った次第。

渋谷向山

◆昨日の陵墓の勉強会で、渋谷向山の1971年調査の話が出た。で『玉1』の報告書をめくってみる。その前に、『玉1』の報告書では、ありがたいことに、宮内庁書陵部の協力をいただき、墳丘について、宮内庁職員の方に過去の調査をまとめていただくことができた。あわせて埴輪の実測について全面的協力をいただき、向山の埴輪のいい資料を、一部再トレースはあるが、図化し公表することができた。思えば、伏見城より早く、津堂城山より早く、こうしたことが大学の報告書でやらせてもらったことに、改めて感謝しなければならない。
◆本題に戻って、1971年の調査についても、各トレンチの調査概要を、ひととおり記述していただいています。それと埴輪の資料で言えば、1968年に出土した資料がなかなかいいものなのである。こういうものもオモテに出せている。『玉1』はよくできた本だ!(誰も褒めてくれないので、自分で褒めておきます)。渋谷向山の基本文献は『玉1』ですよ(あんたもしつこいね)。

続き

◆全体として、天皇制に対する歴史学界の伝統的姿勢があるんだろう。近現代史と切り離せない面がある。政治的利用という前に、研究者のなかで危ない人たちがいる。概して声が大きい。
◆近代国家が古代天皇制に依ったこと、現代の日本国家が近代国民国家の延長にあり、万世一系とか、神国とか、どんな国より歴史は古いとか、そういうことで今なお国民の統合を図ろうとしたり、プライドを保とうとしたりする人はいる。そういうことには断固反対すべきだ。しかし、倭国ができ、王がおり、古墳時代があり、飛鳥奈良時代がある。むろん古墳時代であれば、地域の動向をきちんと復元すべきだし、集落論は欠かせないが、その一方で、王権論や国家論も欠かすことはできない。むしろ、危ない研究者なんぞが大手を振って歩けないほどに、ちゃんとした学問にもとづけば、日本の古代国家形成はこんなだった、大王とはこんなだった、ということを明確に打ち出していくべきだと思う。むろんそこには厳密性は必要だし、わからんことはわからんのであるが、それでも利用しようというヤツらをおそれることなく、学問的裏付けがない取るに足らない言説として無視され消えていくほどに、事実を明らかにすべきである。
◆なにか主題がずれてきました。ずれ続けるとすると、古墳時代に相当する時期の王統譜をめぐっては、けっこういけるという立場と、ほとんど難しいというのと、古代史の人でもその間でかなりの差があるのだろう。古代史のなかでガチンコ勝負をまずしてくれないものか。厳密に言えばほとんど困難ということが、たとえ学問的良心として正しいとしても、それで扱わないとすれば、そうでもないと思っている側との乖離はなくならないだろうし、とくにけっこういけると信ずる危ない研究者を温存し続けると思う。
◆元に戻り。『季刊考古学』の古代史の文をいますこし。でオオヤマト6墳のあと、「古市・百舌鳥古墳群における応神・仁徳陵に先行する仲津山・上石津ミサンザイの位置付けについても同様である」という最後の一文がある。まず、いかに同様なんだろうか。「古墳編年と王統譜は基本的に別枠で考えるべき」ということの事例として同様であるということなんだろう・・・。どうも誉田御廟山は応神陵、大仙は仁徳陵というのはいいと考え、で王統譜上は、応神に始まることになっているが、実際にはそれに先行する大王墓があるので、これも作られた王統譜はそれはそれ、実際の河内段階の王の流れはそれとは別に考える必要がある、と考えているのかな。
◆この議論はどうなんでしょう。誉田御廟山は応神陵、大仙は仁徳陵と考えているのではないのかもしれません、論理矛盾だし。誉田御廟山は応神陵、大仙は仁徳陵と、持統朝には決められたが、ということなんだろうかとは思うが、それなら説明がないと誤解されるだろう。が、案外、そうではないのかもしれません。応神と伝えられる人物なりよりも早く、河内に大王墓を築く者がいたんだと、そう考えているということなのかもしれません。ああ、頭が痛くなってきた。
◆すいません。いつも学恩をいただいている方を取り上げて、いろいろ言いました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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