人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
久津川車塚5月2日
◆【岸本・道上・徳満、9:00-17:00】(1)P8にて、後円部墳頂南から前方部頂き(鞍部)にかけての部位の続き。墳頂はX-910
まですぐに到達するが、とくに東くびれ部について、下げれるだけ、標高38mまで下げる。
◆(2)次に基準点測量。P10・P11、P12・P13、そして前方部頂前端のP14の測量。
◆(3)そしてP13に移り、前方部頂の大半を測量する。
◆(4)P14に移動し、前方部頂前端部をまわしている途中で終わる。43mと42.75mまで。墳頂部としては、あと、42.5m・42.25m・42m・41.75mの4本を入れれば終了する。後円部と前方部でほぼ高さは同じ。誉田御廟山タイプと思われる。
◆(2)次に基準点測量。P10・P11、P12・P13、そして前方部頂前端のP14の測量。
◆(3)そしてP13に移り、前方部頂の大半を測量する。
◆(4)P14に移動し、前方部頂前端部をまわしている途中で終わる。43mと42.75mまで。墳頂部としては、あと、42.5m・42.25m・42m・41.75mの4本を入れれば終了する。後円部と前方部でほぼ高さは同じ。誉田御廟山タイプと思われる。
4月30日は雨
◆まあなんて天気予報は正確なのだろうか。午後からという選択も考えたが、まああせらずに。今日は1日なしにして、明日また頑張りましょう。ということで、城陽から大学に行き、仕事をしていました。
久津川車塚4月29日
◆【岸本・山口・嶋野・栗田】9:00~18:00 山口さんと実習生2人。3人いるので、オレは途中まで基本的に枝打ちなどの環境整備。効率を追求せず、せかせかせず、1日参加の実習生にも、3つの役割をそれぞれまわし、面白かったと思って欲しいもの。27日に引き続き、P7に据え、後円部の窪みを測量する。朝、最初に次の展開のため
に、P8(前方部側)とP9(窪みの線路寄り)を新設する。途中、P7は限界が来たので、P9に移
動し、ヤラレの肩のラインから、Y-180の紙の端まですべて埋める。最後に、C4の紙を用意し、Y-180より東(線路)側を少しやって終了する。
◆長友さんと中村さんご夫妻に陣中見舞いに来ていただきました。
◆1人、プラムイン城陽に宿泊する。1時間で家に帰れるのだが・・・。ネットはない。図面の手入れ、基準杭の整理、図面の進捗記入、日誌の記入などして、風呂に入り寝る。仕事を持ち込むも・・・。明日は雨・・・
◆長友さんと中村さんご夫妻に陣中見舞いに来ていただきました。
◆1人、プラムイン城陽に宿泊する。1時間で家に帰れるのだが・・・。ネットはない。図面の手入れ、基準杭の整理、図面の進捗記入、日誌の記入などして、風呂に入り寝る。仕事を持ち込むも・・・。明日は雨・・・
久津川車塚4月27日
◆【岸本・道上+浅井】朝、8:30には到着。機材を下ろし、基準点にマシンを据える。9:00道上来る。杭6本を打つ。一発で後円
部墳頂まで飛ぶ。下段が埋まり、地上部は中段と上段で、高さも13m、墳丘斜面は限定され、前期古墳のように周辺地形を入れていく必要なく、墳丘斜面があり、周濠が広がり、かなりやりやすい(ちなみに松岳山は頂部が73mで、前方部の低いところで41mまで下ったから32m)。西側の周濠に建てれば、側面はざ~と測量できそうである。
◆トータルステーションで墳頂の標高を出しつつ、一方でレベルで水準を動かすが、結果は9ミリ、もうレベルも捨てよう。すべてトータルステーションで問題ない。最高点は43.6m。
◆墳頂のP6から、石棺のあった窪みにP7を落とし、11時過ぎには測量を開始する(すごい)。すべて松岳山にくらべてはるかに順調である。午後も17:30までめいいっぱい測量し、窪みのもっとも奥まった部位は完了した。
◆トータルステーションで墳頂の標高を出しつつ、一方でレベルで水準を動かすが、結果は9ミリ、もうレベルも捨てよう。すべてトータルステーションで問題ない。最高点は43.6m。
◆墳頂のP6から、石棺のあった窪みにP7を落とし、11時過ぎには測量を開始する(すごい)。すべて松岳山にくらべてはるかに順調である。午後も17:30までめいいっぱい測量し、窪みのもっとも奥まった部位は完了した。
3月14日の第6回根来寺遺跡の保存管理計画策定委員会
◆計画書(案)の保存管理の方針部分は前回とあんまり変わっていない(時間がないので丹念には見ていないが)。この保存管理計画策定事業を1年延長するんだとか。絵図にある広大な旧境内地を対象とするので、詰めるべきところはアマタある。
◆計画書(案)を読んで「ヘ」と思ったのは、第3章の2、「史跡を構成する諸要素の整理」と、3「史跡の周辺環境を構成する諸要素の整理」という区分。いまの史跡指定地を基準とし、史跡地内と外を分けて整理するものだが、遺跡として満足のいく指定ができていて、その内部と周辺というならわかるが、根来の場合、そうではないので、こうした区分がそもそも疑問。2、「史跡を構成する諸要素の整理」で、(1)本質的価値を構成する諸要素が挙げられているが、あくまで限定的な現史跡地の話。
◆こういう計画書の章立てとか、コンサルがいて、だいたい定まったものなのだろうが、根来の場合、なによりもまず遺跡全体をきちんと評価することからやるべきである。1章を割き、根来寺遺跡とは何か、どういものか、何が特徴的なのか、必要な構成要素は何か、という、まさに根来寺遺跡を史跡にしたその価値を整理する必要がある。
◆そうすると自ずから含めなければならない部分とか範囲の線がでてくる。この整理にもとづき、できるできないにかかわらず、史跡としてどこまで必要か、あるべき姿を目標に定める必要がある。その次が、現状の土地所有や土地利用の問題などを加味して、ここはできていないが最優先で取り組むとか、ここは時間はかかるがやっていくとか、そういう区分が生まれる。そうした基本方針の上に、保存管理のための取り扱いも定まるであろう。
◆原案の第3章の3で、史跡になっていないところの「史跡の周辺環境を構成する諸要素の整理」がある。
(1)将来史跡指定が予定されている区域にある諸要素
①史跡指定予定地として価値の高い要素
②史跡指定予定地として調整が必要な要素
(2)追加指定の必要性は高いが現段階では予定されていない区域にある諸要素
①史跡の周辺環境として価値の高い要素
②史跡の周辺環境として調整が必要な要素
(3)その他旧境内地の区域にある諸要素
①その他旧境内地の区域の環境として価値の高い要素
②その他旧境内地の区域の環境として調整が必要な要素、となる。
◆(1)は宗教法人根来寺さんの土地。(2)は「古い絵図等によると坊院などが多数立地していた可能性が高い地域で」、「史跡指定の必要性が高いと考えられる」ところだそうである。が、史跡の周辺環境なんですか。現指定地を基準にするから、こんなヘンな整理になる。(3)はそれ以外の旧境内地で、発掘によっては重要な遺構等が発見される可能性もある地域」なんだそうです。一乗閣移転地はまさにそれなのだが、そもそも追加指定の必要性が高い区域からはハナからはずされているわけである。
◆大門池をつぶして建てた図書館を、「史跡の活用上必要な施設として、根来寺のガイダンス機能を備えたもの」と位置づけている・・・。中に入ったことはないが、ガイダンス機能をもたせているんでしょうか。説明文だと発掘報告書が置いてありますと・・・、もしかするとそれだけ?、かな。湯屋も言及があり重要だと書いてあったが(2)なんでしょうね。
◆今回の保存管理計画策定において、その重要性を明確にすること、変遷や各地区の内容を整理して遺跡の全体的・総合的なまとめをしっかりやること、そして史跡にして保存を図る範囲について十分検討するのが根幹だろう。いまの計画書(案)では、寺有地こそが本質で、多くの根来住人が暮らしていた子院の広がっていた平地部分は、根来にとって本質的で ない、と誤解されるのではないですか。繰り返すが、根来の場合、現実的な取り扱い判断以前の問題として、まず遺跡に即して史跡の範囲を考えるところがなっていない。
◆明日は久津川に行かないといけないので(ああ、もう当日になってもた)、もう寝る。
◆計画書(案)を読んで「ヘ」と思ったのは、第3章の2、「史跡を構成する諸要素の整理」と、3「史跡の周辺環境を構成する諸要素の整理」という区分。いまの史跡指定地を基準とし、史跡地内と外を分けて整理するものだが、遺跡として満足のいく指定ができていて、その内部と周辺というならわかるが、根来の場合、そうではないので、こうした区分がそもそも疑問。2、「史跡を構成する諸要素の整理」で、(1)本質的価値を構成する諸要素が挙げられているが、あくまで限定的な現史跡地の話。
◆こういう計画書の章立てとか、コンサルがいて、だいたい定まったものなのだろうが、根来の場合、なによりもまず遺跡全体をきちんと評価することからやるべきである。1章を割き、根来寺遺跡とは何か、どういものか、何が特徴的なのか、必要な構成要素は何か、という、まさに根来寺遺跡を史跡にしたその価値を整理する必要がある。
◆そうすると自ずから含めなければならない部分とか範囲の線がでてくる。この整理にもとづき、できるできないにかかわらず、史跡としてどこまで必要か、あるべき姿を目標に定める必要がある。その次が、現状の土地所有や土地利用の問題などを加味して、ここはできていないが最優先で取り組むとか、ここは時間はかかるがやっていくとか、そういう区分が生まれる。そうした基本方針の上に、保存管理のための取り扱いも定まるであろう。
◆原案の第3章の3で、史跡になっていないところの「史跡の周辺環境を構成する諸要素の整理」がある。
(1)将来史跡指定が予定されている区域にある諸要素
①史跡指定予定地として価値の高い要素
②史跡指定予定地として調整が必要な要素
(2)追加指定の必要性は高いが現段階では予定されていない区域にある諸要素
①史跡の周辺環境として価値の高い要素
②史跡の周辺環境として調整が必要な要素
(3)その他旧境内地の区域にある諸要素
①その他旧境内地の区域の環境として価値の高い要素
②その他旧境内地の区域の環境として調整が必要な要素、となる。
◆(1)は宗教法人根来寺さんの土地。(2)は「古い絵図等によると坊院などが多数立地していた可能性が高い地域で」、「史跡指定の必要性が高いと考えられる」ところだそうである。が、史跡の周辺環境なんですか。現指定地を基準にするから、こんなヘンな整理になる。(3)はそれ以外の旧境内地で、発掘によっては重要な遺構等が発見される可能性もある地域」なんだそうです。一乗閣移転地はまさにそれなのだが、そもそも追加指定の必要性が高い区域からはハナからはずされているわけである。
◆大門池をつぶして建てた図書館を、「史跡の活用上必要な施設として、根来寺のガイダンス機能を備えたもの」と位置づけている・・・。中に入ったことはないが、ガイダンス機能をもたせているんでしょうか。説明文だと発掘報告書が置いてありますと・・・、もしかするとそれだけ?、かな。湯屋も言及があり重要だと書いてあったが(2)なんでしょうね。
◆今回の保存管理計画策定において、その重要性を明確にすること、変遷や各地区の内容を整理して遺跡の全体的・総合的なまとめをしっかりやること、そして史跡にして保存を図る範囲について十分検討するのが根幹だろう。いまの計画書(案)では、寺有地こそが本質で、多くの根来住人が暮らしていた子院の広がっていた平地部分は、根来にとって本質的で ない、と誤解されるのではないですか。繰り返すが、根来の場合、現実的な取り扱い判断以前の問題として、まず遺跡に即して史跡の範囲を考えるところがなっていない。
◆明日は久津川に行かないといけないので(ああ、もう当日になってもた)、もう寝る。
季刊考古学の原稿がほぼでけた
◆最終調整と、あとは1頁大の図1点。この図が大事やね!。
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自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。