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4月13日、淡路の地震と大歴現地見学検討会

◆4月13日の現地見学検討会の朝、5時33分、カミさんがびっくりして飛び起きて起こされる。携帯に入った緊急地震速報にIMG_9330.JPGびっくりしたという。かなりの揺れであった。ただちにテレビをつけると、NHKはすぐに臨時の地震速報となっていた。1~2分くらい、これもまたすごい体制である。震源が特定され、淡路の断層で、震源は浅く、津波の心配はないとのアナウンス。南海トラフではなかった。そうこうするうちにヘリも淡路に飛んでいた。
◆被害が具体的にわかってくる前に、車で神戸に出る。阪神高速神戸線は込んでいて、関係者9:30集合にぎりぎり間に合わなかったが、35分くらいには兵庫駅南に資料をもって到着した。が、途中、電話が入り、大阪駅まで来たが電車が動いてませんとの連絡が入る。私鉄はぼちぼち動いていたが、集合場所のJRが動いていない。天野君と河野さんがいるだけ。あれあれ、どないなるねん。電車が動いていないならしゃーない。10:00に見学会開始をひとまず30分ずらす。結局、地元の方々10数名くらいであった。
◆11:00まで待って、遅れていた企画委員2人は午後の会場に行ってもらい、会場設営にかかる。午後、やっぱり集まりは悪い。関係者を入れても40弱というところか。発表者の1人は滋賀からで、京都駅まで来たがストップしているとの連絡が入り、行けないかも・・・との連絡も入り、阪急でとにかく来てくれと頼み、発表順を入れ替え、なんとか予定通り3人の報告をいただいた。発表もよかったし、人数が少ないのはとてももったいないが、いたしかたないところ。
◆あれから1週間か。いろいろ思うところもあったが、既に過去になりつつある。

室津の大阪城残石

◆室津に大阪城の残石があるとは思わなかった。最初見たとき、きっと小豆島から移したんだろうと思ったが、説明看板による70e7f455.JPGと、室津の海に沈んでいて引き揚げたものという。

室津の幼稚園と小学校

◆沿岸部にある小学校と幼稚園、なかなか趣がある。小学校は伝建のまちである室津を意識して、一定、景観cb4f8d77.JPGを配慮したデザインなんだろう。建物の全体の写真を撮るのを忘れたが、桜のむこうにあるやつ。最近、新しく4b27f9c0.JPGなった?。それとその東隣にある幼稚園は、これは大陸風というか、海に面したオレンジ色の瓦屋根の非日本的なもので、これはこれでおしゃれである。
 

室津の賀茂神社

◆室津の賀茂神社は11世紀末・12世紀はじめに京都から勧請したものという。なかなか立派な神社である。桜は満開。a823dd12.JPG
 

4月7日、室津

◆土曜日に一仕事してから、加古川に行く。この日、爆弾低気圧が通過するというので、外出は控えるようにニュースでさんざaae9e911.JPGんアナウンスがあった。おかげで阪神高速はガラガラですいすいと到着。やはり時折の風は怖い63a296eb.JPGのでスピードは抑え気味。
◆翌日、親と室津にでかける。両親は何度も訪れており、正月もカキを買いに来たとのことだが、恥ずかしながら、われわれは行ったことがない。むかし発掘であのあたりに泊まっていたときに、ドライブで七曲がりをめぐった記憶はあるので、通ってはいるのだろうが。
◆旧御津町、いまは、たつの市。カキを販売している西側に車を止め、まちなかを散策。海駅館というのと民俗館というのがある。この日、偶然、小五月祭で、賀茂神社でいまは祭礼をしているが、もうすぐ街中を練り歩くというのを海駅館で聞いて喜んだが、天候不順のため中止となったとの情報が聞こえてきて残念。もっとも天候はぜんぜん大丈夫なのだが。

博物館実習室の整備(4月2日)

◆今年度から実習室になる2コマ分のスペースは、完全にはサラになっておらず、モノが置かれたままではあったが、4月2日IMG_9441.JPGに設営と決め作業にかかる。前年度のものを廊下をはさんだ院生共同研究室に移し、机椅子を配置し、パソコンを4段設置。あわせて考古学実習室の懸案の片付けも行った。パソコンまわりは院生の徳満君に全面的にお願いした。
◆この日、朝10時から夜まで丸1日かかったが、新しい部屋の整備のカタがついた(実際にはパソコンへのソフトのインストールや認証など、翌日までかかったわけだが)。

新学期が始まり

◆定年まであと16年。新学期が始まる。なにかとあるので、ブログの更新も滞っている。明日は大歴の現地見学検討会。これが終われば、一息付ける。この間のいろんなことを日曜日にでも書き込もう。
◆奈良博の当麻寺展で、ほんまもんの曼荼羅が見れるらしい。興福寺の特別拝観もやっているとのこと。来週にむけて、日曜日にやっておくことはあるのだけれど、奈良に行くかもね。
◆はや桜も終わり、日に日に葉がにょきにょきと。科研も落ちたし、軍資金なし。さて、どうするか。

沖縄基地の返還に関する覚え

◆新聞記事が出ていました。自分の覚えとして、記事に付してあった地図をアップする。79832641.JPG

発掘調査の手引き

◆各種遺跡調査編が届いた。執筆者、取りまとめにあたられた方々に敬意を表します。ef8ae8b0.JPG

高松塚の壁画を見る

◆集まったのは10人くらい?。前日が考古の学会で、今日が歴史学会だったらしい。文化庁はじめ、研究所や県や村の職員、実際に修復作業にあたっておられる方々など、迎えていただいた方が多かった?。
◆ご対面~ん。じっくりと各石材をじろじろと観察する。貴重な機会をいただいた。終末期古墳の原稿を書いているが、石材の加工など勉強になる。7末に牽牛子塚を作り直したんなら、これに近い凝灰岩加工に進んでいたに違いない。刳り抜くのもたいへんだろうが・・・。
◆ひたすらカビやシミや、くすんだ部分をきれいにし、ほぼ地の部分はだいたいやることはやってきたという。運び込まれてきた段階の写真と比較するとよくわかる。ただし、壁画の部分はそれぞれの色の成分分析による絵の具の特定がまだできていないものもあるらしく、それをふまえて、これから着手するのだという。
◆いま今後の活用の会議が動いているらしい。キトラは先行しており、脇に展示館を建設し、H28に開館という。見せていただいた高松塚の部屋の隣で、キトラも作業しているらしいが、それは見せていただけなかった。剥がした壁画の修復も進んでいるのだろう。さて高松塚はどうする。10年間の半分が経過したとの紹介があったが、これからの5年間くらいのなかで決定していくのであろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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