人を幸せにする人になろう

記録として

◆博物館実習展Aの公式記録写真を撮影する。そこから3カット。
◆大学史運営委員会とかでも好評とのこと。2週間はもったいないとも。ま、1年目ですから。また、1月になれば、学生た1c999ee6.JPGちに企画から撤収までの記録、感想、改善点などをまとめてもらい、記録集を作成するつもacdea5b8.JPGり。大学史資料室ニュースへの原稿依頼も来ているが、それfa75ba65.JPGはそれとして、実習のまとめの原稿は、内部文書でなく、『大学史資料室紀要』に掲載してもらおうかとも思っている。

富田林の展示

◆角南くんからチラシを送ってもらった。忙しい中、発掘した成果の速報をやっている。頑張ってくれ。うちも大学ミュージa51cd4ad.JPGアムがないなか、大学史資料室と連携し、博物館実習展を続けて、なんとか・・・、と思ってやっております。やれることをやっていきましょう。
◆『置かれた場所で咲きなさい』、ということで。

継体シンポ

◆塚口先生に送っていただいたものを読み。村居田古墳というのと、林ノ腰古墳という重要な前方後円墳を知る。前に学0a283557.jpg生と野洲あたりの古墳をめぐったとき、近江毛野の墓ってどれなんだろうと考えたことを思い出すが、辻川さんは林ノ腰古墳を候補と考えているとのこと。
◆継体が前代を継承している部分と、革新的なものを導入した部分と、0か100でないのは当然として、どう評価できるのか、ということがシンポで話題にされていた。古市末期をどう考えるかにつながる。横穴式石室も導入している、百済的な副葬品も導入している、それを定式化したみたいな評価をすべきでないかとの意見も。年代的に詰めるべきところは、とことんやらなあかんのでしょうね。しかし、授業でも使わせて貰い、こないだの阪南大シンポでも使った、道昭さんの播磨の編年表、これに古墳時代のだいたいの局面はすべて表れている。6世紀に入って、地域首長にとって時代は変わっていることは明らかだろう。ただ時期ですかね。継体生前というよりも6世紀半ばという見方もできるかもしれない。しかし、6世紀前半期(第2四半期)の淀川流域を見れば明らかだろう。一定の幅をもたせなあかんにしても、転換点は継体擁立にあるだろう。そして、ほぼ1代かぎりで続かないことは、安閑排除と欽明朝への転換が反映しているのだろう。
◆古市末期については、さらに考えたい。河内政権に接続され、仁賢の娘たちと結びつけられる。欽明だって古市で生まれ育ったからこそ、古市でモガリをするのだろう。が、6世紀中葉には、大和南部が核となる。
 

98かはく、99ルーブル

◆子供らの写真。8月1日?かな。上が6才、下が3才。恐竜展を見に行ったのでしょうか。679cd4ce.JPGfc286705.JPG
◆99、ユネスコの会議に行ったときのもの。どんな頭しとんのや・・・。
 

ほんとに佐味田宝塚の円筒棺?

◆いまはどうか知らないが、展示室の一画に横たえてあったと思う。1986年にスケッチしてます。この資料カードも捨てま104dc9cd.JPGしょう。

とくにどうということもなく

◆地震と津波のリーフレット、和泉市史原稿、あともろもろを課題に出勤したが、まずは溜まったメール処理や事14c3f88e.JPG務仕事をやって既に13時をまわる。あきてきたので引き出しを片付け始める。集中力がないということ・・・。でモロモロ、捨てる。出てきたものをいくつか紹介します。まあ、個人的なものです。
◆ナブンケンの仕事始め記念写真1995。阪神大震災の起こった月ということになります。
 

岡山城

◆そのあと、大阪城の豊臣石垣がらみで、岡山城で古い時期の石垣を見せる施設を作っていることを、前の会議の時に1939858e.JPG知り、その話をしていると、寄っていただくことになる。で中の段の御殿の表示、それと2箇159ccdd2.JPG所の下層石垣露出展示の施設を見せて貰っ22dd209a.JPGた。その手前では、テニスコートのあった場所の、蔵の復元整備がいちおうできあがった姿も。
◆それと石垣修理で、解体せず、詰め物をしてもたせる方法を採ったという話も聞いた。やはり解体して積み直すと、現代の石垣になってしまうのだとか。はらみなどはあるが、できるだけ解体を避けて現状で固める方法が模索されているようだ。城郭の修理や整備など、素人ながら、いろいろ勉強をさせてもらった。
◆大阪城本丸でも、御殿を表示するのがまず課題となるが、岡山城でひとつの例を見ることができた。板張りと土間?で、遺構表示を変えたらしいが、舗装も色あせてくると区別がつかなくなるとの話も聞く。
 

12月14日は千足の現場

◆岡山千足古墳の発掘調査を見せていただく。朝、すこし遅れたが、10時前に岡山駅に降り立つ。塚口義信先生から、高島町の継体シンポの資料が送られてきたので、車中、それを読んでいた。
◆10月のレキハク以来の千足。墳丘裾部にトレンチが入り、数mの周溝がめぐっているのがとらえられていた。埴輪もけっこう出土しているようだ。丘陵を利用して築造するが、削り離し、ではなく、丘陵上に周溝がめぐる。ただし、もしかして段々になっているのでは、とのこと。造山古墳群、金蔵山古墳、岡山城、それに縄文の貝塚など、対応しなければならない対象に対し、一所懸命取り組んでおられる様子に感銘をおぼえる。造山古墳群についても、順次、陪冢の確認調査を進めては、追加して、一定の整備を続けていくとのこと。そして造山本体も視野に入っている。
◆史跡の範囲は、ほんとに墳丘の現状裾でしかなく、墳端・周濠など附帯するもの、保護すべき範囲を定めていく作業を続けていくとのことである。

昭和町の料理屋

◆なかなかいいところでした。天王寺から北が戦災でやられたのに対し、天王寺のすぐ南のこのあたりは、昭和初期の区6e910356.JPG画整理にともなう時期の古い家屋が残り、店のある筋は、すべて料理屋となり、こじゃれた285841c5.JPG空間となっている。落ち着いた雰囲気のところで、川岡先生を囲んでゆったりとした時間を過ごす。

今週もばたばたと暮れつつ

◆月曜日、博物館実習展Aのリーフレットを作っていた。ほぼできあがるも、最終頁は残る。火曜日。後期は火曜日5限の1c8c3a26.jpg博物館概論がヤマ。毎週、これをどのようにこなすか、ひーひー。水曜日にリーフレットはできあがfb69f107.jpgり、印刷屋に電話する。この日は定例の卒論演習の最終日、あとは個別に相a290d3ec.jpg談をうけつつ年明けの提出までやっていくことになる。で、呑み会に1ca6e6a4.jpg突入。なかなか久しぶりの呑み会である。
◆で、リーフレット原稿を木曜の午前にうけわたし、仕上がりは月曜日、展示終了4日前である。ひとまず、100部ほど、カラーコピーし、学情にもってゆき、置いておく。で、いよいよ展示B地震と津波にとりかかる。5限の実習の時間、理学部学生を中心にパネル作り。この週、愛媛大学の川岡先生の集中講義で、夕刻から歓迎会というかご苦労さん会。19時スタートにのばしてもらうが、パネル作りが続き、学生らには「すまん」と言って出る。それでも間に合いそうになくタクシー。なんとか19時に昭和町にすべりこむ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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