人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
ニサンザイ一般公開
◆いずみの国歴史館から、泉北の道路を通って大学に行くとなると、ニサンザイを通るわけです。これ見とかなあかん。で
のぞきに行く。前方部西側が受付になっていて、150とか200人単位で全体説明、そのあと
現場に向かい、20人ずつ通路を進んでもらうとのこと。足場
の荷重の関係。おじいちゃんが手すりから落下しないのを祈るばかりという。日曜日の昼、続々と人が集まり、既に見た人が帰って行く。昨日は3000人弱くらいだったそうです。一時ヒョウが降るような天候だったとか。
◆展示施設も充実していて、金曜日に見た宮内庁調査区の出土品のみならず、堺市調査区の埴輪をずらずら並べてくれている。鹿児島の橋本さんも駆けつけている。なりゆきで博物館巡りをして、ニサンザイに立ち寄ることになった、予定していたわけでない行動だったが、ほんと行って良かった。
◆ここまでくれば、墳丘本体含めての史跡指定を実現してほしいもの。
◆展示施設も充実していて、金曜日に見た宮内庁調査区の出土品のみならず、堺市調査区の埴輪をずらずら並べてくれている。鹿児島の橋本さんも駆けつけている。なりゆきで博物館巡りをして、ニサンザイに立ち寄ることになった、予定していたわけでない行動だったが、ほんと行って良かった。
◆ここまでくれば、墳丘本体含めての史跡指定を実現してほしいもの。
和泉市で大園の展示
◆これ行きたかったんですわ~。近つを見終わって大学に向かおうと思っていたが、今日をのがせば厳しいので、
みはらの黒山廃寺展と和泉の大園展をはしごしようと思ったが、黒山廃寺はパスした。
◆大園の埴輪の一部がならぶ。ツイタテ形・盾形など。あとは上町(かみちょう)の埴輪棺の資料、貝吹山・カニヤ塚の資料もならぶ。そして大園古墳、6世紀の集落資料、それに8世紀の資料、10世紀~11世紀の資料も。大園の全体像がいまいち把握できないのは、遺跡が和泉市・高石市・泉大津市にまたがるネックもあるわけだが、主要な資料を集めてくれているようだ。
◆眼目のひとつは摩湯山との関係で、4世紀後葉の大園の埴輪集積遺構の資料が見れるからというのであったが、一方でいまやっている和泉市史テーマ編を書かなあかんこともあり、どうしても大園の6世紀以降の集落のことを知る必要があったから。和泉国府説にもふれている。
◆A3二ツ折りのリーフレットしかないのは残念。並べてくれている資料の写真を、ひととおり収録したものがあれば、ありがたいのだが・・・。
◆大園の埴輪の一部がならぶ。ツイタテ形・盾形など。あとは上町(かみちょう)の埴輪棺の資料、貝吹山・カニヤ塚の資料もならぶ。そして大園古墳、6世紀の集落資料、それに8世紀の資料、10世紀~11世紀の資料も。大園の全体像がいまいち把握できないのは、遺跡が和泉市・高石市・泉大津市にまたがるネックもあるわけだが、主要な資料を集めてくれているようだ。
◆眼目のひとつは摩湯山との関係で、4世紀後葉の大園の埴輪集積遺構の資料が見れるからというのであったが、一方でいまやっている和泉市史テーマ編を書かなあかんこともあり、どうしても大園の6世紀以降の集落のことを知る必要があったから。和泉国府説にもふれている。
◆A3二ツ折りのリーフレットしかないのは残念。並べてくれている資料の写真を、ひととおり収録したものがあれば、ありがたいのだが・・・。
近つで南九州の資料を見る
◆夜、博物館実習の仕事をして夜半に学生にメールを送り、朝、近つに向かう。10時着。車から降りるとき、図録はもったが、鉛筆を忘れる。特別展の入口で壺形埴輪を見て書き込もうとポケットをさぐるが筆記具はなし。とたんに気持ちが萎える。
◆南九州の最先端を知ることができる。とくにレキハクの研究会で橋本さんの話を聞いていたし、鹿児島の最先端の資料をみることができ感激である。。大昔にまわったと時は横瀬と唐仁大塚だけだで、塚崎とかまわっていなかった。前に家族で南九州に行ったときは、夜中、南下していると横に横瀬があった。内之浦近くでテントを張って寝た。
◆その前はえびの高原のキャンプ地のロッジに泊まったのだが、そうか、島内は高速道路の西側だったんや。これ高速道路が一律2000円とかいうときに、えびのに泊まり、翌日、高千穂にむかい、そのあと肝属平野に下りていったのだった。ロッジはかび臭く、離れの風呂に入りに行くとフランス人がいてびっくりした記憶がある。それと夜中、外に出てみると、鹿ががさごそしていた。そうそう台風が接近していた。
◆まあ、それにしても、こんだけの古墳があり、初期須恵器や武器武具がばんばん入る南九州とは何なのか、なぜなのか、橋本論文を読んで勉強しよう。
◆それとまあ、ありがたいことやな~、と。大阪柏原市におり、春・秋、弥生や近つや、カシコーケンや、安土や兵庫県など、考古の特別展が身近で開催されることが、だ。まわりに古墳もいっぱいあるし。今日も観音塚の横を通りつつ、オーコに行ったことはないな~とか思いつつ、こんなにも身近に研究対象がころがっていることに感謝し、もっともっと大阪のことせなあかん、と改めて感じていた。
◆南九州の最先端を知ることができる。とくにレキハクの研究会で橋本さんの話を聞いていたし、鹿児島の最先端の資料をみることができ感激である。。大昔にまわったと時は横瀬と唐仁大塚だけだで、塚崎とかまわっていなかった。前に家族で南九州に行ったときは、夜中、南下していると横に横瀬があった。内之浦近くでテントを張って寝た。
◆その前はえびの高原のキャンプ地のロッジに泊まったのだが、そうか、島内は高速道路の西側だったんや。これ高速道路が一律2000円とかいうときに、えびのに泊まり、翌日、高千穂にむかい、そのあと肝属平野に下りていったのだった。ロッジはかび臭く、離れの風呂に入りに行くとフランス人がいてびっくりした記憶がある。それと夜中、外に出てみると、鹿ががさごそしていた。そうそう台風が接近していた。
◆まあ、それにしても、こんだけの古墳があり、初期須恵器や武器武具がばんばん入る南九州とは何なのか、なぜなのか、橋本論文を読んで勉強しよう。
◆それとまあ、ありがたいことやな~、と。大阪柏原市におり、春・秋、弥生や近つや、カシコーケンや、安土や兵庫県など、考古の特別展が身近で開催されることが、だ。まわりに古墳もいっぱいあるし。今日も観音塚の横を通りつつ、オーコに行ったことはないな~とか思いつつ、こんなにも身近に研究対象がころがっていることに感謝し、もっともっと大阪のことせなあかん、と改めて感じていた。
ニサンザイ続き
◆布堀の掘形を穿ち、埴輪を据えるのでないという、ひとつの手法が確認できたと。御廟山もそうらしい(ちゃんと読みます)。その前は基本は溝を掘る。それが5世紀半ばを転換点に据え方が変わるのかも。これ重要な事実ですよね。そうすると、それは、どこまで据える以前に表面を調整しておき、埴輪をいかに据え、そして埋め込むのか、これだけの良好な調査事例なだけに、そこでじっくりと手術をし、ブラックジャックばりのオペをやり、手法を復元する、くらいのことをやってほしい。調査途中で、そういうことがわかってきたなら、そこを確実に明らかにする試みをやってほしいもの。調査って、そういう試行錯誤をやるもんですよね、学術調査の場合。予定している調査箇所をなるべく掘り上げようとする、が、出方によっては手間がかかるし、上に挙げたような、この現場で勝負しておく課題も生まれる。壊れる遺跡ではない。予定期間はあるにしても、期間内で掘り上げることが至上命題ではないはずだ。
◆とかいったことを本日、考えておりました。
◆とかいったことを本日、考えておりました。
古代史教員の公募
◆模擬展示の仕事を一日やるつもりで出勤したものの、陵墓と大歴で暮れていく。いつもの愚痴です。空調が壊れていて寒いし。土曜日の22時半となり、まあ誰もいやしない。ま、あたりまえのことですが・・・。まずい、近つ、明日までや。
◆さて、大阪市大の日本史で、古代史教員を公募することになり、公表されました。
http://www.osaka-cu.ac.jp/ja/about/jobs_faculty/faculty
◆さて、大阪市大の日本史で、古代史教員を公募することになり、公表されました。
http://www.osaka-cu.ac.jp/ja/about/jobs_faculty/faculty
首長権継承儀礼としての古墳
◆先日の学部学生の演習発表を聞いていて、図示したような表を作りかけている(水野さんや和田さんの研究を図示しているだけだが)。もともと古墳が首長権継承儀礼の
場であるという見解を支持しており、具体のことが古墳の調査で実証できるかというと困難ながら、それは十分にありえ、それが大嘗祭につながっていく、ということはありうることと思っている。そのため関係資料をストックするフォルダも作ってはあるが、あんまり中身の蓄積はない。
◆基本的に寺澤さんに賛成で、いまいちばん考古学の側から議論を立てているのが寺澤さんだ。岡田精司批判は同感。墓で継承儀礼をやった証拠はなにもないというが、しょせん後の時代のもの。具体の埋葬施設の調査所見にもとづく議論で、寺澤さんを超えるのは容易ではない。がそこは自分もやるべき。
◆言いたいことは、水野さんの言うように、埋葬時期はほぼ冬なのだ。11月に特定されているわけではないが。それと11月に大嘗祭が行われるようになることとは関連あるとみたい、というのがネタ。大嘗祭が新嘗祭のひとつというのは当たらない。折口信夫は基本的に生きている。数々の天皇継承儀礼が整えられてくるが、その本源が大嘗祭で、その本質はニニギノミコトの祖霊を継承することであるとの議論は生きていると考えている。が、ニニギノミコトなどの存在そのものも、そう古いことではないのかもしれないが、そうしたコンセプトが整備されるのは後代としても、古墳上でそうした観念の下で継承儀礼が行われていた可能性は十分あると思ってる。
◆基本的に寺澤さんに賛成で、いまいちばん考古学の側から議論を立てているのが寺澤さんだ。岡田精司批判は同感。墓で継承儀礼をやった証拠はなにもないというが、しょせん後の時代のもの。具体の埋葬施設の調査所見にもとづく議論で、寺澤さんを超えるのは容易ではない。がそこは自分もやるべき。
◆言いたいことは、水野さんの言うように、埋葬時期はほぼ冬なのだ。11月に特定されているわけではないが。それと11月に大嘗祭が行われるようになることとは関連あるとみたい、というのがネタ。大嘗祭が新嘗祭のひとつというのは当たらない。折口信夫は基本的に生きている。数々の天皇継承儀礼が整えられてくるが、その本源が大嘗祭で、その本質はニニギノミコトの祖霊を継承することであるとの議論は生きていると考えている。が、ニニギノミコトなどの存在そのものも、そう古いことではないのかもしれないが、そうしたコンセプトが整備されるのは後代としても、古墳上でそうした観念の下で継承儀礼が行われていた可能性は十分あると思ってる。
2012列島展
◆堺市博物館で検討会後、列島展の展示を見た。近つにも和泉の国歴史館へも行けていない・・・。列島展はこうしてさい
わい見ることができた。地域展の《慶長を掘る》の図録もいただいた。一定の感想もあり論評もしてみたいところだが、集団で見ている制約はあり、個人でじっくり見ないと無責任なことはいえない。
◆気になったのは、図録が非常に学術的なのだが、展示の工夫がやや気になった印象。とはいえ、解説パネルが小さくて文字が多いな、くらいの印象で、ちゃんと見直しが必要だが。こと、この展示そのものの話はここまでにする。以下、一般論。
◆なんとなく図録に精力を割き、展示がそれにくらべて工夫が追いついていないみたいなことは、どこでも、とくに研究面を重視するところでは、そうなるような傾向があるように思う。残っていくのは図録で、そこに力点を置く。展示は終わったら片づいてなくなるわけだが、本来は逆ですよね。展示でいかに見せるかがメイン、図録は補助。買ってくれるような人には、いい図録やな、頑張っているな、と思ってもらえるが、そうでなく一般観覧者に、展示の中でいかに伝えるかが柱だろう。
◆それと全国巡回展で、秋田の遺跡を見ていて、やっぱり埋文業界は、いかに展示し成果を発信するか、これがきわめて重要ということを感じる。いまどこの組織でも(発掘機関とかいう意味だけではないですよ、大学含めてすべて)存在意義を市民に理解してもらうかが課題になっているが、埋文はこれ必須だと感じた。
◆例えば自分自身に引きつけていえば、松岳山古墳の測量をしたと(未完だが、ほぼできた)。それをリーフレットを作るようにしており準備もしているが、それだけでなく、例えば学内でパネル展を文学部の廊下を使ってやる、さらにいえば、柏原市歴史資料館の壁をすこしお借りして速報パネルを掲示させてもらう、そういうことをやっていくべきですね。そういうことも考えていきたいもの。
◆気になったのは、図録が非常に学術的なのだが、展示の工夫がやや気になった印象。とはいえ、解説パネルが小さくて文字が多いな、くらいの印象で、ちゃんと見直しが必要だが。こと、この展示そのものの話はここまでにする。以下、一般論。
◆なんとなく図録に精力を割き、展示がそれにくらべて工夫が追いついていないみたいなことは、どこでも、とくに研究面を重視するところでは、そうなるような傾向があるように思う。残っていくのは図録で、そこに力点を置く。展示は終わったら片づいてなくなるわけだが、本来は逆ですよね。展示でいかに見せるかがメイン、図録は補助。買ってくれるような人には、いい図録やな、頑張っているな、と思ってもらえるが、そうでなく一般観覧者に、展示の中でいかに伝えるかが柱だろう。
◆それと全国巡回展で、秋田の遺跡を見ていて、やっぱり埋文業界は、いかに展示し成果を発信するか、これがきわめて重要ということを感じる。いまどこの組織でも(発掘機関とかいう意味だけではないですよ、大学含めてすべて)存在意義を市民に理解してもらうかが課題になっているが、埋文はこれ必須だと感じた。
◆例えば自分自身に引きつけていえば、松岳山古墳の測量をしたと(未完だが、ほぼできた)。それをリーフレットを作るようにしており準備もしているが、それだけでなく、例えば学内でパネル展を文学部の廊下を使ってやる、さらにいえば、柏原市歴史資料館の壁をすこしお借りして速報パネルを掲示させてもらう、そういうことをやっていくべきですね。そういうことも考えていきたいもの。
クローズアップ現代で渡辺邸解体が取り上げられた、とのこと
◆さて陵墓見学会のおり、渡辺邸の解体が、前日29日のNHKクローズアップ現代で取り上げられたことを知る。早速情
報をもらったので紹介します。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3281.html#marugotocheck
◆NHK、金取るな。テキストで呼んだわい!。繰り返すが、行政に限界がある中で、文化財を実際に守っている地域住民、そして支援したいと思っている潜在的応援団が力をあわせ、なんとか守っていく仕組み、そういうものを作り育てていかなければ、と。
◆渡辺津があり渡辺党がおり、いまの大阪がある。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3281.html#marugotocheck
◆NHK、金取るな。テキストで呼んだわい!。繰り返すが、行政に限界がある中で、文化財を実際に守っている地域住民、そして支援したいと思っている潜在的応援団が力をあわせ、なんとか守っていく仕組み、そういうものを作り育てていかなければ、と。
◆渡辺津があり渡辺党がおり、いまの大阪がある。
ニサンザイ調査の感想
◆今回、レーザー測量の図面が堺市のリーフレットに使われていて感動。いや~、すごい。で、まあよく残っているわけだ。そこに19箇所のトレンチが入っていて、テラスがあり、埴輪があり、中段裾の葺
石があると。こうした多数のトレンチを入れてテラスばっかり掘ることには疑問もあるが、いろいろ書いてきたし繰り返さない。一定の理解もできる。が、1シーズン3ヶ月弱でやる調査として過大ではないのかという反対意見は、7月懇談会時にもあった通り。その心配は当たっていないこともないように思う。半分に分け、各トレンチをより入念に調査すべきだろう。
◆個々のトレンチの判断は詳細には語れないので、全体の印象。転落石や埴輪片が出る流土と思われるものを除いていき、多くのところで埴輪が宙に浮いてしまっている。埴輪は掘形がなく据え付けたものであるらしい(御廟山でもそうらしい)。据える前の面があり、割り付けをして並べ、そこにテラス面の仕上げ土を入れるんだろう。なので充填する土は、それより下位の盛土の締まりよりはやわらかいんだろう。すなわち動きやすいようだ。
◆確かに基部あたりでも埴輪片が出ている。なかなか判断は難しい。全体がずっていて、埴輪片も落下し、検出状況としては、ああならざるをえない箇所もあるのだろう。しかし据え付け時に埴輪が欠け破片が充填土のなかに入る場合も想定できる。あるいは明らかに掘り過ぎと思われる調査区もあった。
◆据え付け穴がなくこうした設置方法を採るものの調査なんてしたことはないし、難しいんだろうな~、と思う。が、し
かし、埴輪片が入っているので掘り進め、底部まで露呈してしまうとすれば、ちょっと待てよ、となる。あるいはそうした設置方法とすれば、残りのいいところであれば、残存面と考えられるところで止め、半分とか壁寄りで接地面を検出する、といった姿に仕上げることが考えられる。そこは試行錯誤の上に、現場で妥当な判断を導いていく必要がある。難しいのは理解できる。そういう意味で、2回に分けて、次年度、そういう経験をふまえて残りに望む、ということがあっていいのではと感じる。
◆ことは全国第7位の前方後円墳である。あんまり言うとさしさわりもあろう。が、それだけの経験と能力をつぎこんで、この最大級の古墳に慎重に対峙してほしい。埴輪があればカッコいいし、成果が上がっているように見える。致命的になにかを壊したというものでもないかもしれない。こっちとしてもエエモンを見せてもらっているという面もある。中断裾がありテラス面があり埴輪が立っているという当たり前の情景の細部に、実は難しい面があったようだ。
◆説明を聞いていて悩みもわかったし、意見の違いもあるようだ。是非とも、議論して、それぞれの調査区での検出状況がこう説明できると解明してほしい。
【追記】当初の記事に事実誤認や不適切な発言がありました。心よりお詫び申し上げます。
◆個々のトレンチの判断は詳細には語れないので、全体の印象。転落石や埴輪片が出る流土と思われるものを除いていき、多くのところで埴輪が宙に浮いてしまっている。埴輪は掘形がなく据え付けたものであるらしい(御廟山でもそうらしい)。据える前の面があり、割り付けをして並べ、そこにテラス面の仕上げ土を入れるんだろう。なので充填する土は、それより下位の盛土の締まりよりはやわらかいんだろう。すなわち動きやすいようだ。
◆確かに基部あたりでも埴輪片が出ている。なかなか判断は難しい。全体がずっていて、埴輪片も落下し、検出状況としては、ああならざるをえない箇所もあるのだろう。しかし据え付け時に埴輪が欠け破片が充填土のなかに入る場合も想定できる。あるいは明らかに掘り過ぎと思われる調査区もあった。
◆据え付け穴がなくこうした設置方法を採るものの調査なんてしたことはないし、難しいんだろうな~、と思う。が、し
◆ことは全国第7位の前方後円墳である。あんまり言うとさしさわりもあろう。が、それだけの経験と能力をつぎこんで、この最大級の古墳に慎重に対峙してほしい。埴輪があればカッコいいし、成果が上がっているように見える。致命的になにかを壊したというものでもないかもしれない。こっちとしてもエエモンを見せてもらっているという面もある。中断裾がありテラス面があり埴輪が立っているという当たり前の情景の細部に、実は難しい面があったようだ。
◆説明を聞いていて悩みもわかったし、意見の違いもあるようだ。是非とも、議論して、それぞれの調査区での検出状況がこう説明できると解明してほしい。
【追記】当初の記事に事実誤認や不適切な発言がありました。心よりお詫び申し上げます。
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兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。