人を幸せにする人になろう

森浩一先生の『記紀の考古学』

◆おとつい?、5限の授業が終わって、なにをする気力もなく、上記の本をパラパラぜんぶ読んだ。そのメモ。
◆「ある時期の天皇は一人」という前提でものを考えているが、「大草香皇子や市辺王のように、大王扱いされていた人物35b937cd.JPGが、同時期に複数いたとういう状況をも想定してかからねばならない」と書いている。→293頁
◆滋賀県のケンサイ塚古墳は大きな円墳(径80m)だが、埋葬施設である粘土槨はあるが、遺物はなかったそうである。森先生は、改葬を考えている。→296頁。掘り出した痕跡があるのか?、ないんでしょうね。
◆陶邑などの邑と表記されているものについて、村でなく拠点的なもので、「まち」というほうが実態に近いと考え、本書ではそのように書いたとある。→348頁。まあ、そうなんでしょうね。村と邑、区別されていたんでしょうね。
【追記】金・土・日と、研究室旅行に行きます。

博物館実習室

◆新カリキュラムの学内実習室の工事が夏休みに終わり、個人研究室2単位分のスペースができあがった。ほんとは335204c38.jpg単位分ほしいのだが、簡単ではない。で、予算要求はしていたが、部屋が確保されてからということで保留になっていた、机・椅子・パソコンなどの要求のためのカタログや見積を用意して欲しいとのことで、作業をする。
◆実際に部屋のスペースを考えて机の寸法を選んだりしてイメージを作った。

2012年11月6日?『和泉郡の条里』成る!

◆夕方、市史編纂で働いているODの山下君が届けてくれた。めでたい。006e52cb.JPG
 

2012年11月4日

◆朝、カミさんは試験監督なのだが、もう間に合わないから車で送れと言われ、出発。第2京阪経由で日曜の朝だし、35分くらいで到着。そこから大阪市大へ。ほぼ9時。昨日より早いではないか。476234a0.jpgb18c8df8.jpg
◆雑用を2、3処理し、12月の阪南大シンポの資料作りにかかる。未完。

11月1日と2日?の尖閣と竹島の記事

◆両日の新聞を取っておいたが、でかいので、ネット配信の記事を保存しておこうかと、いろいろいじっていたのですが、結局はやめた。新聞そのものを取っておくことにした。画像はネットだとカラーなので、地図の部分を拝借する。takeshima_top.jpgsenkaku_top.jpg
◆基本ノーコメントだが、竹島に関して、明治政府は、日本でなく関知しないという姿勢をとっていたようだ。で、1900年の韓国の勅令と1905年の日本の編入の閣議決定が問題となるようだ。まあ併合へ向かう時期にあるので、それが問題とされる。『嫌韓流』を見ると、1877年の太政官指令「竹島外一島の件は日本と関係がないと心得るべし」という話は紹介されていない。
◆1954年に、韓国が沿岸警備隊を派遣し、8月には海上保安庁の巡視船が銃撃を受ける事件もあったとのこと。
◆なお、名古屋大池内氏は、1900年前後に鬱陵島の人々が竹島周辺で漁をしている事実を韓国側が掘り起こそうとしていることを紹介し、1905年の編入の直接契機となった隠岐の実業家の働きかけも、こうした漁場をめぐる競合を背景としていた可能性があること、それ以前に韓国が自国領と考えていた可能性などを指摘している。
 

岡大で思わず吹き出したこと

◆肖像権もあるのでしょうが、公人ということでお許しあれ。696c5021.JPGこういうのが、そちこちの壁に貼ってあるのである。

11月3日パソコン設定

◆おおよそ新マシンの環境設定はできていたが、それぞれの能力に応じてデータを配置し、バックアップを取って、午後IMG_1394.JPGが暮れていった。5年前には考えられないこと。かつて加東郡社町の整理事務所にお邪魔したとき、半分は土器を接合したりするスペースだが、残り半分はすべてパソコンがならぶ姿に感動した。遺構図も遺物もすべてデジタル、これ90年代後半だったように思う。役所の古いパソコントかもらってくるんだと、おっしゃっていたことを思い出す。それから10年以上、オレの研究室もパソコンが4台ならぶ仕儀となった。それはそれでいいのだが、遺物をさわることを忘れてはならない。長らく玉3の埴輪の接合も止まっているが、遺構図のトレースも始めたし、第3次調査分の接合作業を再開しなければならない。
◆そんなんで、阪南大の資料を作ったり、火曜日の授業の準備をと思いつつ、部屋も片付けつつ、パソコンまわりの環境整備となった。まあ、すっきりした。

博学連携講座

◆昨日2日、大阪市博物館協会と大阪市大の包括連携協定にもとづく考古学の講座4回の1回目、トップバッターでオレがやる。「大阪市の古墳を考える」というタイトルだが、前半は古墳時代概説みたいなものにしたが、2/3を占める。最fd7a941a.JPG近は、詰め込みすぎでいつも失敗している。今回もそうではあるが、まあ、適当に切り上げ、御勝山、茶臼山、帝塚山の話をする。IMG_8623.JPG
◆ほんとうは9212fc75.JPG、帝塚山を測量したので、あの住吉大社近辺の古墳群をきちんと報告するというのは、必要な仕事なので、やってみたかったが、それを準備する余裕はなかった。とはいえ、現存、伝承、地名、といったものを整理列挙する作業で、確実なことはほとんどわからないので、全体として、じゃーこの古墳群はどう評価できるんや、と言われても、なかなかしんどいのではあるが。
◆2000年の時の帝塚山測量時の資料を引っ張り出してきたが、『市大日本史』に書いた筋を話すくらいしかできなかった。御勝山・茶臼山・帝塚山とも、研究を進めるには、発掘しかないだろう。どれひとつ、あんまり確かなことがわかっていないのだから。
◆ひとまず、帝塚山については、『市大日本史』をふまえ、小さな冊子くらい作って、うちの測量図の普及をめざしてもいいかもしれない。印刷屋が簡易印刷にしたもんだから雑誌の図面はダメ。抜き刷りの時にちゃんと印刷させたが、そういう次第で、どこぞで『市大日本史』を見つけてコピーしてもらっても、図面は使えない状態なのである。
 

卒論中間報告会

◆11月1日、学園祭の初日だが、卒論中間報告会。考古(道上)・古代(茅野)・中世(石川)・近世(木上)・近現代史(豊田)の各1名が50分で報告。けっこう参加者は多かったが、3回生があまりいないのは問題。終了後、報告者とゴクローサン会ですこし呑む。みんな2日寝てないとかそういう状態。あと2ヶ月半くらい、これからが勝負ですよ。ここから飛躍していく。最後まで粘り、納得いくものを書き上げて欲しい。
◆前日から本体だけ新たに購入したパソコンのセッティングをして、イラレ・フォトショなどの認証をすこしいじったり。ソフトを1セット買わなあかんかとも思うが、やりくりして、ひとまずは様子を見よう。あとは、データそのものの配置をさらに調整し、バックアップもとっておこう。本日3日のハザマでやろう。

前期前葉から中葉の編年図

◆今週、授業がほとんどないので、モロモロ片付けている。ひとまず、同成社の図がようやくできた。本文は既に提出済58caf283.jpgみ。次は『和泉市史テーマ叙述編』にいよいよかからねば。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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