人を幸せにする人になろう

箭田大塚YataBigMound

◆2回目だがでかい。この間の、こっちの横穴式石室を見る目も多少は進化しているので、いろいろと面白かった。まず、43259e2c.JPG入口を見て、羨道は広いなと。それから、羨道の石積みのもっとも入り口に近いところは、地山が一段高く、その上から壁体がある。これなんぞ、階段なんだろうなと。文殊院西とか、クサ墓もそうだったっけか。こういうの、もともとでいいのではないかと思うが、そういうものがどこまでさかのぼるかが問題でしょうね。600年くらいの古墳で、既にそうなっているのではないだろうか。それと、玄門からの羨道天井石が3石あって、それより入口では天井石がない(失われている?、どっち?)のだが、壁体(石は小さい)の石が天井石の下面を超えており、段差があった可能性がある。これなんぞは、石舞台や岩屋山と同じなんだろう。
◆なかなかイオスキッスではピントがあわず、イクシーで撮る。このへんは、バカチョンの方がよく撮れたりする。
◆墳丘にまわり、これは前方後円墳ではないのか、という意見が出る。そう、かもしれない、くらいにしておこう。円墳としたときに、造出状の張り出しがあるとされているのが変、かつ見かけの裾部の高さがかなり異なる。旧地形を考え、どのように尾根を切り離しているかを考え、改変のあり方を検討しなかればなりませんね。

勝負砂はまあええでしょう、二万大塚

◆勝負砂、埋め戻しているが、そら窪むわな。墳丘の調査もやっているが、前方部の形状はまだ明確ではないらしい。勝負砂→天狗山とならべる意見と、併存するとの見方があるらしい。2b6fd232.JPG494be7eb.JPG
◆二万大塚は38mの後期前半の前方後円墳で、畿内型横穴式石室をもつという。石室は神社の裏にあり、調査段階では開けたが、封鎖している。TK10らしい。5ad897ea.JPG
◆この地域の主要古墳を掘ってきた岡山大学が、どのような地域社会像を描くのか、眺めていよう。

天狗山

◆ちゃんと写真を撮らんかった。草が繁茂。高梁川に、西から小田川が合流するポイントにある。前に勝負砂には連れてb06f454d.JPG行ってもらったことがあるが、やっぱりそれでは場所は頭に入らないですね。箭田大塚含め5fef1c8b.JPG、どういう場所だったのかを初めて知る。
◆この古墳、山の上にあるホタテだが、堤があるのである。藤沢さんと、設計図をもらって、そのまんま造ったのか?と話す。堀があり堤があるという平坦な台地でのモデルを、丘陵頂部に造り上げている。短い前方部の側面には造出もあり、栄山江の土器が出ているんだとか。
◆墳頂には巨大な乱掘坑。埋葬施設は地下深くにある(5m)。東博にある、あの有名な甲冑などが出た。時期はTK23くらいという意見が強そう。

小造山

◆145mといったか、松木さんと澤田さんが測量中(ほぼ完了)で、その図面を見ながら、測量のためにある程度伐採され43243603.JPGた墳丘を歩く。こういう大きさのものがごろごろしている吉備。
◆Ⅳ期の埴輪が見つかっているのだという。で、造山→小造山と考えられている。墳丘としては、造山の後とはいいいにくいだろう(前方部の高さ、くらいだが)。年代が正しいとすれば、ニューモデルではなく、造山を模倣したとか・・・。
◆いま金蔵山も測量中とか。
 

まず造山

◆造山。岡山市の西田氏も合流。東斜面はほぼ伐開され、セイタカアワダチソウ(ブタクサというのだそうで)が繁殖。新44ab69b3.JPG庄車塚古墳という、造山の西北にありすっかり削平された跡地を教えてもらう(これなども調査すべきですね)。南へ降りてゆき、榊山を望み、2号墳の埴輪列の位置を教えてもらい、4号墳、そして千足へ。みな石室へ入っている間、オレは4号墳・6号墳、そして千足の墳丘をぐるりと歩く。岡山市の西田氏の案内。
◆ちなみに今回のメンバー。レキハクの上野・高田、それに藤沢・松木・若狭・坂・吉井・杉井・高久・橋本・井上・山本+1。背後は千足ピラミッド
 

さて28日の午前2時、ようやくホテルの部屋に入り

◆金曜日中に岡山に行くのは取りやめ、原稿を書く。昼まで科研の申請書に費やし、午後は部屋といろんな雑f53b6197.JPG事を片付け、三角縁の原稿を22時までにいちおう仕上げる。帰ってから入稿。
◆6時1分だかの準急で岡山に向かう。この間、海津さんにもらった笠田の議論のコピーを読む。面白かったが、これはまたあとで。8時前、岡山。レンタカー屋の前で830集合。2台で出発、途中、カルチャーホテルで、さらに合流し、吉備路に向かう。今回はテーマのひとつの地域社会像のひとつめで、岡山とあいなったもの。コーディネ-トは松木さん。

こんなものが

◆姫路駅のホームにいると、ついつい食べてしまう。それがカップ麺になったと。
◆科研申請はやっぱり1130までずれ込むが、細かな文章表現まで、ひととおりさらに修正を加え、申請書としてはいいものになったと思う。あとは来年4月の結果待ち。90c11fe9.JPG
 

土日は岡山なんですが

◆土日は歴博の共同研究で岡山。朝も早いらしく、みな前泊というが、オレはまったくなにもしていない。可能なら、土曜日の朝に動きたいのだが、そのへんの予定を立てる余裕なし。土曜日の泊も未定。まあ、どうとでもなろう。が、明日金曜日中に移動するのなら、朝には決めておかなければならないが、もう疲れ果てている。
◆もひとつ、陵墓の勉強会が開催されるのとバッティング。これ歴博の日程が決まってから、高木さんから連絡があったものだが、「行けません」とは返事をし、歴博にはこないだの佐倉の研究会の時に全日参加と改めて言ったのではあるが、陵墓のこの会、行ってないと取り残されるし、とも思う。これもまた、どうすべ~と思いつつ直前に至る。
◆今日、博物館実習Ⅰで、戦前の大阪商大の学生生活と、大阪の地震という、先週2つに絞った模擬展テーマの、さらに内容を詰めてもらった構想案を発表してもらい、どうするかを検討する。オレが1本に絞るか2本でいくか決めないから、みんなで話をして決めようとは言ったものの、なかなか難しい。しかし、2つの案とも準備され出てくると、二つともやってもらおうという気持ちに傾く。関大では5~6班で、それだけのテーマの展示をやっていた。30人の受講生がひとつのテーマでやるのがいいのか、15人でひとつを2組というのが適当かとも思うし、文系・理系の別もある。これに加えて、会場のスペースの問題もある。いまの情勢としては、12月の2週間ということで学術情報センターには了解をもらっているわけだが、1月にも使わせてもらえるなら、限られたスペースとはいえ、それをさらに半分に仕切るといったことをせず、時期を違えて二つやるか、という機運である。あとはオレの交渉ということになる。
◆まあ、なかなか楽しい。この先、展示までなんとか乗り切りたいものである。この後期の数回くらいを経験して、前期も、見学実習とか実務実習とかというより、ちょっと違う趣向で、実践的なもの、例えば、学舎のなかにパネルを設営するとか、なにかサインを作るとか、やっぱりそういうことをした方がいいのかな、とも思い出した。まあ、後期を終えてから、1月頃、来年度のシラバスに間に合う時間で考えてみたい。

大阪市の豊臣石垣の委員会

◆委嘱を受け、初会合に出る。写真は淀屋橋の地下鉄の駅から地上に出たら、あまりにも空がキレイで、かつ橋下城がで~んとしていたので撮影した。
◆中村先生、玉野先生、小竹森さん、跡部君、など、みなさんに「ごぶさたしております」と挨99e4c9e0.JPG拶。こういう会議に呼んでもらえて光栄である。
◆科研、月曜日の18時以降に書き始める。リミットは26日・・・。火曜日はほとんどできず、おまけに夜の市大日本史学会の委員会の頃には頭痛が激しくなり体調悪く、カミさんに風邪を移されたよう。帰って寝て、今日の水曜日、まだすこし頭はだるいが、さほどでもなく、風邪じゃなかったかな、と思いつつ、午前は科研の書類書き。が、午後は3コマの授業、そのあと大阪市の会議、戻ってきて18:30~2200まで卒論指導で、ようやく終わる。
◆明日も午前はやれるが、午後は授業ふたつ。研究の計画・方法の半分くらいまでは来た。なんとかなるか、というよりも、来年の研究費のために、でっちあげて出さねばならない。ネタはいいと思うので、書き様だ。ま、なんとか
【追記】オレにしては珍しく、ほぼ木曜日中に科研の申請書はできあがった。終了してもいいのだが、よりいいものにできるなら、ぎりぎりまでとも思う。ほぼ点検も終わったが、気になるところがひとつあり、そこんところだけなんとかして、明日金曜日、930位には終えて、同成社の原稿を、明日中には終わらせよう。

もひとつ岩倉2号墳

◆小野市の岩倉2号墳の石室の写真があった。なつかしい。市史編纂の考古を受けてしまい、奈文研時代、兵隊はいなかったが、考古第3のアルバイト学生に声をかけて実測した。オレは、ずうっと貼り付くこともできず、頭とお尻だったか?。最初とにかf9968515.JPGく設定。トランシットで、まあ、なんとかなるやろと、適当なもんで、なんとかしたはず。c487b148.JPGチョークだった。その後、文化庁の時に、九州で、クサビ形の小さな木片を打ち込み、それに小さな釘を打ち水糸を張っているのを見て「なるほどね~」と思った記憶がある。
◆最後は、学生の書いた図面を手直ししたのだったか?。石室を実測したのは、あとにも先にもこの1回だけだ。横穴式石室をトレースしたのもこれっきりだ(まだ老眼鏡はいらんかった)。まあ、そこそこ描けてますね。天井も描いてある。
◆市史の人が発電機や照明はやってくれ、宿の手配もしてくれたし。学生は何日泊まりだったんだろうか、一緒に貼り付けていたら楽しかっただろうが、そうもいかなかった。まあ、ほとんど記憶にない・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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