人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
下垣さんとしゃべるのは楽しい
◆電話がかかってきた。彼とはいつも長くなる。互いに考えていることをしゃべりあい、「どうよ」と言い合える。関心が重なる同士で(むろんベースは違うが)、楽しいことであり、ありがたいことである。
◆オレがぶつけてみたのは、歴博の原稿を書き進めていると、これまで3世紀前半の倭国という枠組みができあがった段階に考えてきたことの多くが、実は2世紀後半にさかのぼるということだ。別に列強の相競う時代でいいのだが、マキムクがあり、100mの前方後円墳があり、そしてそこに漢鏡7期第1段階の鏡をおいてやると、これかなりのもんではないか、と思うのだ。のちの倭国の枠組みに近いようなものが、つまりはヤマト国の求心性が生まれている、ということ。中国鏡はわからんといわれればそれまでだが、マキムクに外来の人々がやってきているのだ。これは何のため?なにかを求めてきているだろうに。別に交易といったっていい、人々の集散の核ができあがっているんだよ?。
◆オレがぶつけてみたのは、歴博の原稿を書き進めていると、これまで3世紀前半の倭国という枠組みができあがった段階に考えてきたことの多くが、実は2世紀後半にさかのぼるということだ。別に列強の相競う時代でいいのだが、マキムクがあり、100mの前方後円墳があり、そしてそこに漢鏡7期第1段階の鏡をおいてやると、これかなりのもんではないか、と思うのだ。のちの倭国の枠組みに近いようなものが、つまりはヤマト国の求心性が生まれている、ということ。中国鏡はわからんといわれればそれまでだが、マキムクに外来の人々がやってきているのだ。これは何のため?なにかを求めてきているだろうに。別に交易といったっていい、人々の集散の核ができあがっているんだよ?。
「丸い校舎の銀の屋根・・・」
◆加古川市立川西小学校の校歌である。いまはこの円形校舎もなくなったのだが、校歌はそのまま?。先日、新聞で、八尾にふたつ、それと応神陵の空中写真で知られる誉田中学と、大阪の身近にはいくつもあったんですね。だが、それもすべて取り壊されるという。日当たりの差、それはあるわな。回転しないモノか・・・。
◆でも、川西小学校の円形校舎で学んだ者としては、いいもんですよ、といいたい。外にはベランダがあり(いまのご時世では危険かな)、出れば一周してほかのクラスをのぞける。教室から出ると(内側)、円形廊下があり、中心に螺旋階段がある。こういうのも、いいと思います。
◆でも、川西小学校の円形校舎で学んだ者としては、いいもんですよ、といいたい。外にはベランダがあり(いまのご時世では危険かな)、出れば一周してほかのクラスをのぞける。教室から出ると(内側)、円形廊下があり、中心に螺旋階段がある。こういうのも、いいと思います。
もひとつ図を
◆もひとつ図を出しておきます。
銅鐸です。出雲や吉備は青銅器を廃し首長墓を発達させたと。それでもいい。けど、畿内が後期になってもまだ銅鐸を作っていることが後進的だとかは、まったく思いません。
◆同じように広域地域圏(ヤマト国)を作り上げ、西日本諸地域とわたりあっていこうとするあり方は、別にほかとかわりないのである。そうしたヤマト国という枠組みができると、当然に、それを統括していく指導体制が整えられていく。実態は不明ながら、集団指導体制的なものであっても、その権力の集中はかなりのものであり、ヤマト国王が生まれて行くであろう。首長権の伸張を墓制によって考えるならば、同等に墓制で考えればいいのであって(それがないとされるわけだが、見つかっていないだけ&実は見つかっている)、得意な青銅器生産技術を用いて、過去のムラの祭器というものではなく、びっくりするようなモノを作って利用しているのである。吉備や出雲が青銅器を捨てるのは勝手だが、ヤマト国が、ヤマトのシンボルとして大型の青銅器を作り、弥生後期の戦国時代のなかで、それを使うことにしたことを示すのである。どこまでの効果があるかは別だが、ヤマト国には青銅器生産という手段もあったということ。いずれにしても、そうした器物があるおかげで、ヤマト国の活動をわれわれは知ることができるのである。
◆青銅器にしがみついている古い体質で、その結果、首長権の伸張が遅れ「発展圏外に去った」なんて・・・。
◆そして最古の前方後円墳である纒向石塚古墳こそ、2世紀中頃に誕生したヤマト国王墓なのであり、吉備や出雲で王墓が出現することと、まったく変わりないのである。
◆同じように広域地域圏(ヤマト国)を作り上げ、西日本諸地域とわたりあっていこうとするあり方は、別にほかとかわりないのである。そうしたヤマト国という枠組みができると、当然に、それを統括していく指導体制が整えられていく。実態は不明ながら、集団指導体制的なものであっても、その権力の集中はかなりのものであり、ヤマト国王が生まれて行くであろう。首長権の伸張を墓制によって考えるならば、同等に墓制で考えればいいのであって(それがないとされるわけだが、見つかっていないだけ&実は見つかっている)、得意な青銅器生産技術を用いて、過去のムラの祭器というものではなく、びっくりするようなモノを作って利用しているのである。吉備や出雲が青銅器を捨てるのは勝手だが、ヤマト国が、ヤマトのシンボルとして大型の青銅器を作り、弥生後期の戦国時代のなかで、それを使うことにしたことを示すのである。どこまでの効果があるかは別だが、ヤマト国には青銅器生産という手段もあったということ。いずれにしても、そうした器物があるおかげで、ヤマト国の活動をわれわれは知ることができるのである。
◆青銅器にしがみついている古い体質で、その結果、首長権の伸張が遅れ「発展圏外に去った」なんて・・・。
◆そして最古の前方後円墳である纒向石塚古墳こそ、2世紀中頃に誕生したヤマト国王墓なのであり、吉備や出雲で王墓が出現することと、まったく変わりないのである。
お久しゅうございます
◆書きたいことは50件くらいあるが、歴博の原稿で首がまわりません。和泉市史紀要の条里関係は8日に入稿原稿を印
刷所に送付し、一件落着しました。歴博の原稿を書くのに、ホテルで缶詰になりたい!と叫
んでいると、カミさんが機械学会で金沢に行くが、狭いアパホテルなのでツインで取っているから来るか、と言われ、日曜日の夜に金沢に向かい、月曜日丸一日と火曜日の半日を費やしてかなり書けた。
【追記】中村しんちゃんは、なんといまや金沢大学副学長ですからね。
◆それでおおよその目処が立ち、先週、帰ってきてから、ひたすら集中してやり、いま80%まで来たが、もうほんとうのリミットも近い。後期の学期もひたひたと押し寄せてくる。このあとは同成社の原稿も月末までにはやっつけたいのだが、日本史の合宿もあるし、どうなることやら。
◆歴博原稿の冒頭で、C14年代を整理した(報告が不親切なので、とんでもなくメンドクサイ!)。その図を示しておく。
【追記】中村しんちゃんは、なんといまや金沢大学副学長ですからね。
◆それでおおよその目処が立ち、先週、帰ってきてから、ひたすら集中してやり、いま80%まで来たが、もうほんとうのリミットも近い。後期の学期もひたひたと押し寄せてくる。このあとは同成社の原稿も月末までにはやっつけたいのだが、日本史の合宿もあるし、どうなることやら。
◆歴博原稿の冒頭で、C14年代を整理した(報告が不親切なので、とんでもなくメンドクサイ!)。その図を示しておく。
古代史の郷のイメージは?
◆古代史の人で、郷は領域じゃないという場合、だったらどんな、ということが明確に語られることはない。明確でないから
仕方がないのだが、ではどんなイメージなのか。栄原先生に聞いたら、ええっと、いう返事が返ってきた。ここからこっちは○○郷、こっちは○○郷というのはあってよい、郷地はあるのだが(班給地)、それが入り組んであっちいきこっちいき、とても直線で画されるようなものではないのだ、と。そうなんや、ボンヤリしたものではなく、郷地はあるんだけれど、入り組み倒しているんだとか。ほんまでしょうか。
◆で、ある時、がぜん、模式図を作ろうと思い立って作ったもの。古代史のみなさん、いったいアンタのイメージはどれなのか、選択してほしい。
◆で、ある時、がぜん、模式図を作ろうと思い立って作ったもの。古代史のみなさん、いったいアンタのイメージはどれなのか、選択してほしい。
23日、堺市の現場
◆百舌鳥古墳群の委員会。なんとか古墳、何だっけ。筒井さんの家のところ・・・。この筒井さん、鏡をもってはって、市博
で連絡先をお聞きし、昨年、一度、電話したのだが、お手伝いさんにケンもホロロにあしらわれ、それっきりになっていたのだが、実は、いま堺市が掘ってるのが筒井さんの土地で、なんとトンデモナイ屋敷なのである、これが。まあ、知っている人は知っているよう、一瀬さんもよく知っており、所蔵のいろんな資料を調査することがあったらしい。
◆まあ、すごい屋敷である。和泉市の合同調査で近世に庄屋さんだったお宅にうかがうことがあるが、筒井家はちょっと格が違うくらいデカイ。外からだけだが、まあ塀の長いこと。平野屋新田会所みたい。それでも聞いてみると、国の重文にはちょっとならないんだとか。
◆そう古墳、葺石も埴輪もちゃんと残っています。現場を見ながら思ったのは、土層を見たりする能力が、現場をしばらくやっていないので落ちてるんではないか、というもの。一度、一定程度までいくと、あんまり落ちないのかもしれないが、この石たちをどう思うか聞かれた時、なんとなくぼんやりしていて確信のようなものがないのだ。自分が掘るとなれば、決断してはずすものははずす、残すものは残さないといけないわけだが、そうした切実さを長いことやっていないゆえに、むろん自分で掘っていないからではあるが、ぐらぐらしているように感じた。
◆まあ、すごい屋敷である。和泉市の合同調査で近世に庄屋さんだったお宅にうかがうことがあるが、筒井家はちょっと格が違うくらいデカイ。外からだけだが、まあ塀の長いこと。平野屋新田会所みたい。それでも聞いてみると、国の重文にはちょっとならないんだとか。
◆そう古墳、葺石も埴輪もちゃんと残っています。現場を見ながら思ったのは、土層を見たりする能力が、現場をしばらくやっていないので落ちてるんではないか、というもの。一度、一定程度までいくと、あんまり落ちないのかもしれないが、この石たちをどう思うか聞かれた時、なんとなくぼんやりしていて確信のようなものがないのだ。自分が掘るとなれば、決断してはずすものははずす、残すものは残さないといけないわけだが、そうした切実さを長いことやっていないゆえに、むろん自分で掘っていないからではあるが、ぐらぐらしているように感じた。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。