人を幸せにする人になろう

オリンピックがはじまり

◆サッカーをのぞけばニュースで見るくらいです。ちゃんと予定をチェックしていないので、なでしこの2戦目は見てません。土曜の夜だったようですが、何をしてたんでしょうか。藤井寺に家族3人でラーメンを食べに行って、それからブックオフに行ってマンガを買い、やれやれ集中講義も終わったというので、缶チューハイを飲みながら、だらだらマンガを読みながら寝てしまいました。そんなに疲れた感じではなかったのですが、1日しゃべって、もう何にもする気がおこりませんでした。今日の南アフリカとの対戦は見ることにしよう。
◆娘の三者面談は木曜日だったのでカミさんに行ってもらいましたが、成績はやや落ちていたが、あんまり緊張感のない面談だったそうです。この学年は学校期待の学年のようですが、うちの娘は、第三集団くらいです。生物志望の理系。数学と化学に穴があり、ちと厳しいようですが、夏季講習とか申し込んでいるようです。冬場の兄貴が受験の頃は、テレビも消して2人で勉強していましたが、このところ、またよくパソコンに向かっていることが多くなっています。
◆オリンピック。国の威信を背負うのでなく、挑戦する若者や、よし。失敗も人間くさくていいではありませんか。開会式、朝、やってたんでしたっけ。カミさんと娘は、地理の勉強になるとか言って見てました(娘はセンター地理を選択しています、けっこう好きみたいですよ)。

関学の集中講義は楽しかった

◆7月31日、7月も終わる・・・。社会復帰しました。今日は朝から元気、小さな原稿をすべてやっつけるつもり。91619b2b.JPG天気もジメットしておらず、わりあいカラッとさわやか、暑いけど。
◆26日・27日・28日の集中講義は、5コマ*3日の無茶なスケジュール。さすがに最終日は、雄略朝の部分の不完全な2回を統合し、少し早く切り上げることにした。もっとも、初日、2日目も、最後の5コマ目は、軽めのトピック的なものを入れていた。受講生13人の大学院科目、全員、3日とも欠席なく、熱心に聞いてくれた。こっちも、昨年末の東北学院大学で原型を作り、今年度前期に神戸大学で復習し、さらに不備の箇所を訂正し、だんだんと中身の体裁も整っていったことも大きい。1日5コマ、そりゃ寝る人間もいるけれど、そういうものも、レジュメとパワポもありながら、それに従って流すだけではダメで、できるだけ語りかけることを心がけた。こういうのも経験ですね。毎日の終わり、「これで終わります」と言うと、声をそろえて「ありがとうございました」と返してくれたのも感激でした。
◆関学は、前に大歴の大会で初めて行ったが、久しぶりである。キャンパスはきれいし、伝統ある私学の良さを感じた。暑いさなかであったが、なにしろキャンパス内に緑が多く、それもかなり大きい木に育っていて木陰がある。近所の家族連れや、セミ取りに来ている子供たちも多い。
◆そういうのを見ていると、日本の住宅地というか街中というか、緑が少ないことがよくわかる。うちの大学も、駅方面からキャンパスにむかうと、大きな木立があり歩道に蔭があり、関学にはおよばないが緑地帯となっている。この日本の暑さ、上空の葉っぱで直射日光をさえぎるべきですね。土地が狭い日本では、個々の敷地をめいいっぱい使い、緑地なんぞなく、道路も、大きな道路でなければ街路樹もない。アスファルトが熱を吸収し放射する。木を植えることは大事ですね。
 

やっぱり庄内式

◆弥生後期の各地の土器、その平行関係があると。そこに庄内式がどう重なるのか。畿内にお08ae5711.jpgける後期の土器と庄内式の平行関係の問題。庄内甕は特定のところにしか出てこないんでしょ。まわりは後期の土器だと。そのカブリ具合が突き詰められているのだろうか。a888e656.jpg
◆タテツキと石塚はかなり接近するんとちゃうか。
◆わからんけど、どうもそのへんに鍵があるように思えてならない。そういうことは十分わかっていて、検討されているのでしょうが、ダブリを少なめにして、連続的に配列しようとするから、庄内が押し込められているような気がする・・・。C14JCAL値では、庄内1式は2世紀後半になる=石塚。石塚がタテツキより確実に新しい、と言えるんだろうか?。
【追記】消そうかとも思いましたが、当面、残しておきます。
【追記2】夜考えていると、ひとつ思い浮かんだ。古墳につながる要素が畿内にはないという議論。石塚も箸墓も平野に築かれ周濠をもつということが考慮されていないんではないか〈寺澤さんは挙げていた〉。

7月23日大歴委員会

◆今井代表委員、飯塚事務局長体制になった、最初の委員会が行われました。それだけです。ちょっとだけ言うと、なかなか共通理解にはないな~と、思うところもママあり。大会のことなんですけど。そこを我慢強く、伝える努力をせなあかんのでしょうね。
◆大阪中央郵便局ですが、会のHPを見てアゼン。すっかり解体されてしまっています。裁判は成立しないのでしょう。
◆ちなみに、和歌山県に根来のことで情報開示請求をしていたのですが、デキタというのでお金を払い込みました。請求したもののうち、開示できないものは理由が書かれた通知を受けとりましたが、どんなものが届くのでしょうか。それと昨年度の発掘調査の報告書、これを入手した方面から、スキャンしたデータも受けとりました。さて、根来ももうひとふんばりせなアカン。
◆そのあと、企画委員で喫茶店でお茶を飲みつつ、役割分担等について確認しました。で、災害史の企画のところで、若い委員たちと意見があわないのです。オレの説明が足りないと思います、ちょっと不機嫌になってしまったのはまずかったか。が、なんか理屈っぽいんですよね。大歴としてやるからには、みたいなことを言うのです。オレは別に新しいことせんでええ、世間の役に立つようなものを作りたい、と。エエもん作れば使ってくれるンとちゃう、と。
◆ひとまず、義務でもないし、企画としてこんなんやってみてはどうか、という話なので、実現するかどうかはわかりませんが、入口のところで議論するのはいいことだと思った。また、若いモンが(いや~、オレがこんなことを言うとは)、けっこう熱く語るのは頼もしいと、思って聞いておりました。みんなが合意できるなら、やればいい。
◆明日、補講が終われば集中講義の準備。木・金・土と朝から晩まで関学です。トホホ。来週になれば基本は夏休みなのですが、水曜日に試験をし、3日は大阪城の打ち合わせ、4日に高校生講座、7・8日はオープンキャンパス。それでようやっと一息つけます。

さてとタテツキと石塚の間 西乗鞍

◆C14データ、まあ、アカンところはアカンとしても、基本的に使える。データをどう配列するかというのが問題らしいが、オ20306b86.jpgレには理解の彼方。しかし問題が指摘されている以上、そこんところを理解してクリアして使わなアカンのですが。
◆庄内0式なんて、やめてくれればいいんですよね。たぶん。後期土器だとした方がよほど・・・。で、タテツキはどこで、石塚はどこやねん、と。そう、タテツキの土器にお焦げはないもんかね。あるいは陥没坑内の炭、これを是非ともC14データを出して欲しいもの。藤尾さんの書いたものを見ていても、弥生はじめの土器ですが、南九州でしたか、一見すると古いけど、データで言えば下がり、残存している様子がわかると、そんなことを読んだような気がする。C14の精度があがれば、土器型式へのあてはめや、その平行関係など関係なく、年代が出てくるわけでしょ。大木を燃やしたら別かも知れないけれど、埋葬時に火を使ってて、その炭化物であることが明白な遺構出土のサンプルがあれば、どんどん計測して欲しいですね。
◆別件ですが、西乗鞍が立ち入り禁止になって、動物霊園予定地の看板が貼り出されている、との情報をえました。
 

ついでに伝世鏡と高地性聚落

◆やはり伝世鏡も重要ですね。伝世鏡を認める立場に立ってるんですけど、これは顕微鏡で見るような世界には突入しd816fd03.JPGてないんで、はっきりものが言えないので、材料にしにくいんですけど。なぜあると思うか、それは1990年度に兵庫県の鏡をぜんぶ見たわけです。やっぱり後漢鏡のほとんどはズルズルですよ。湯回りが悪いとか複製したからとか、そんなんで全部説明できるとは思えないんですよね。よ~く使ってますよ。ほんとに。
◆それと高地性聚落。カシコーケンの図録について書きましたが、その同じ図録の高地性集落の図を使わせてもらってます。緑は地域内部の戦争で内陸寄り、赤は瀬戸内沿いの沿岸部であることはハッキリしていると見えます。こういうの、近年はほとんど取り上げられませんよね。
◆ついでに銅鐸論。福永さんで尽きてるんですけど、寺澤さんや岩永さんの、その都度埋納というのは、銅鐸の本質を忘れているように感じます。村の祭りに使う宝器をそんなに簡単に捨てやしませんよ。捨てさせられてるわけです。中期の拠点聚落の解体と銅鐸の埋納が連動しているのは明々白々だと思うんですけど。

明日の弥生の授業を準備しているのですが

◆先週、宮内庁懇談会で休講にしたので、明日、補講です。先々週は1世紀の話までたどりつき、明日は2世紀の話。a671a1a5.jpgこれ歴博の原稿の準備を兼ねて、ヤマト国のことを考えるにはいい機会だと思っていましたが、やっておりますが、なかなか進みません。畿内もすごいぞ、ということがどれだけ言えるか、というのがテーマなのです。
◆いろいろと畿内はダメ論を読んでいますが、都出先生の畿内が共同体の枠組みを強めるなかで結局は大きな政治権力を生むに至った、という1970年の議論(原点まで戻ってません、北條さんのまとめ)は、ちょっと違うのですが、当たっているのでは感じるようになりました。潜在的な生産力はあるわけです。新納さんのGISの図、ありますよね。傾斜を計算し農耕化できる面積を算出し、また隣接地域と結びつけたもの。あれを見ても、畿内は東海や北部九州より優位にあるわけです。もっと黒いのが関東ですが開発そのものが2世紀段階ではそこまでいっていない。つまりは、北部九州は、いち早く農耕・戦争を経験し、大陸との窓口である優位性もあって先頭を走ってきたが、畿内は数百年遅れ、戦争もようやくBC1世紀に激化しと。拠点聚落がならびたつ時代も長く持続したのかも知れませんが、いずれにしても、開発が進み生産性が上がってきて、そうして地域間競合に突入し、その結果、畿88255f25.jpg内がひとつにまとまるとすれば、北部九州や吉備よりも大きな権力体ができあがる、というのは当たっているんではないかと思います。
◆ほんとは、寺澤さんと北條さんとオレと、どこが違うのか、図化したものができたので、それを披露しようと思ったのです。左から、寺澤・北條・岸本です。同じことを繰り返しますが、そんなところに明治新政府は樹立されません。差別的と受けとられるかもしれませんが、狩猟採集の暮らしを続けていた社会に、ヨーロッパ人が乗り込んでくるような、そんなイメージを想像してしまうのです。そうじゃない、同質な社会の競合関係です。たとえ合意とか協調が強調されても、そんなこと起こるんでしょうかね。
◆ついでに、こないだ出した庄内・布留の平行関係に、時代区分を加えたものも出しておきます。ただし、実年代が違うんですよね。これはあくまで時期幅とかも関係なく、土器型式の最小単位を均等幅にしたものにすぎない。弥生後期はやっぱりさっぱりわからん。+これにC14を軸に実年代に配列し直すには、まだ遠い。

なんでだろう

◆ランとか、ぜんぜん詳しくありません。家には無線ランが入っていますが、ぜんぶカミさんに設定してもらいます。いまのノートPC、いつぞや踏んづけられて破損、4月に動かなくなって修理に出しましたが、民間の業者で、メーカーじゃありません。DVDは動かないから外付けでソフトを入れ直したし、設定していた無線ランも使えなくなり、ブログの更新にも不便になっていました。家では1台前のノートPCをブログ用に使っていて、そうなると画像を移したりと、ヒチメンドクサイことになっていたのです。で、昨日、新しいPC、有線ならいけるので、ケーブルにつないで、昨日、たくさん書いてしまいました。
◆今日、同じようにしていたのですが、ケーブルを抜いても動くではありませんか。ということで、どこがどうだったかわかりませんが、ひとつ問題がなくなりました。けど、このPC、修理から帰ってきて、家の無線ランの設定をし直したわけではないんですけどね。昨日、ケーブルにつないだときの接続で、通るようになったんですかね。
◆快適になると書き散らかすのはよくないのですが、もひとつ、このPCが蘇生手術を受けたため、ソフトを入れ直したことによる不具合があるわけです。まず認証。これもよくわからないまま動かしてます。つまりです、このPCで認証を取っていたが、不具合のためHDDを入れ替え、ソフトを入れ直したと、そうするとどうなんでしょう。ネットにつないで、一度、認証を解除した上で、もう一度、同じマシンで認証を受ける、ということなんですかね。イラレとフォトショップはすんなりだったので、古いやつを取り消さないまま、そのままやってます。ただしインデは、このPCに前はCS3が入っていたけれど、もう数がアウトでダメ。なもんで、年度末にCS5を買っていたものだから、それを入れたと。これがよくできておらず、CS3ファイルで作成している資料を、自宅でこのPCで続きをやると、保存型式としてCS3は選択できないのでR。で、また大学に行って、やむをえずCS5形式になったそのファイルを開こうとしても開かない。とっても不便で、インデの作業は大学でしかできなくなって数ヶ月なのです。
◆そういや、CS5をインストールする時も苦労して、ネットで調べていたときに、ダウンなんとか、というのが出ていたことをようやく思い出す。みなさん同じ不便を味わっているようで、購入したのはCS5なんだけど、それを落とすことができるらしいです。あのときダウンなんとかとあったのは「そういうことか」と、ほんの少し前に気づきました。やりきれるか自信はありませんが、チャレンジしてみたいと思います。が、アドビも悪どいではありませんか。

計画村落から播種へ

◆前々から思っているのですが、文献史の方の自然村落・計画村落の議論がある。まともに読んだことはありませんが・・・。たとえば直木先生のイメージはどんなだろう。これは戸籍などを含め、奈良時代の集落とはどんなものか、ということの議論だ。しかしこの議論ももう盛り上がることはないんだろう。
◆で、考古学。6世紀までの集落と、7~8世紀の集落が違うことは、広瀬さんや坂井さん、北陸・関東の調査で明々白々になっている。そういう社会の実態を捉えている考古学の成果と、文献史や歴史地理の過去の計画村落議論というのが、まったく結びついていないのではないか、と思っている。
◆漠然とですが、文献史の計画村落議論と考古の集落再編の話はズレているんだろうと思う。が、両者は結びつけうる問題で、考古学から計画村落の議論ができると思っているわけです。文献史のイメージしてきた計画村落論とはちがうけど、計画村落はあると。はっきりいって、7世紀はいまの中国みたいなもんで、ここ全部立ち退き!、ということをやらせることができた時代で、ほぼ村は配置転換されている。そうして新たにできあがる村というのは、震災後の復旧住宅のようなもので、指定され当てがわれたものだろう。それこそ、50戸単位ごとに、ほんとうに集め/分け、ということが行われていておかしくないと思っている。それこそ、郷を区分し、そこに50戸の住宅を整備し入居させるに近いことが行われていておかしくない、そんなことが考古学の成果からは引き出すことができるわけだ。たぶん宇野さんも同じようなイメージではないだろうか。すでに著書のなかで、そういう暮らしはどんなだろうか、けっこう新しい出会いや恋愛も生まれてエエンデハナイカ、みたいな独特の宇野節でふれていたように思う。
◆ところで、ブログで書き散らしているのは、自分の考えるところをはき出したいというだけでなく、誰かやってくれないかな~と期待しているのです。あほ、ブログに書くより論文を書けと、そうかもしれません。しかし、人間には限界があります。自分が5人の分身をあやつれつなら、分担させますが、生身は1人です。自分で論文にしたいものはしますよ。だけど、そうでなくとも、弥生でも7世紀でも、いろいろ考えるところはあるわけです。質はいろいろでしょうが、そういうもののなかに重要なものも含まれていることだってあるわけです。だが、自分で暖めて、そういうものを論文にできるかというと、ほとんどの場合、そのままです。これは書ける、書きたいと思ったのが条里だったりするわけですが、ほとんどそこまではいかない。
◆話は短めに!。結論、学生さんたちも、このブログをけっこう見てくれているようですし、業界の方もおられるでしょう、ここでいろいろ播いている種、面白いと思ったらどんどん育てて下さいね、というのが言いたいことでした。自分が実際に育てる部分だけでなく、いろんな局面で知ったこととか考えたこととか、ささいなことではあれ、どこかで育つかもしれない種を播きたい(誤解のないようにお願いしますよ)、そう思っているのです。

大仙と誉田御廟山

◆ところで、話は変わりますが、きのうの準備および質疑を通じて、持統朝以降に比定作業を行ったとき、白石先生の指摘の通り誤りが生じていると思われるが、それはわからなかった結果なのかどうかという問題。250年前の被葬者は必ずしも伝わっていなかったのか、そういうこともアリなのだと思っていたが、そうではなく、オカシイ点があるとすれば、それはたいてい作為なのではないかと思うようになった。
◆当面のことでいえば、もっともでかい大仙と誉田御廟山を、ほんとは允恭と反正だと思っているが、これは前にもふれたように、誤ったのではなくて意図的なものだろうということ。その場合、反正と允恭がでっかい墓を築いた事実をゆがめようとしたのか、応神と仁徳を持ち上げる力学なのか。持統朝にとってはどうでもいいことかも知れません。しかしそうなると、記紀編纂において、応神や仁徳や反正や允恭やを、どのように記述するかということとも連動し、ツジツマをあわせたはずであろう。やっぱり、神功を配置し応神を登場させるストーリーを作り上げている事実、仁徳を聖帝として描いている事実からすると、後者なんだろう。すなわち応神および仁徳を立派とし、大きな墓にあてることとしたと。ただ、そこまでする理由は、もうすこし考えなくてはいかん。
◆仁徳墓=仲津山説に立つ自分としては、応神は古市のなかのデカイのに当てた。仁徳も古市に葬られているんだけれども、百舌鳥のいちばんデカイのにあてたと。その先、どう玉突きがおこるのだろうか。
◆玉突きのカラクリが解けるかと考えてみたが、難しい・・・。これは応神仁徳のみならず、安康なんていたのかと思っているので、そういう存在を作り上げることとか、イチノベは即位したと思うので、それを抹消していることとか(安康とイチノベはセットと思っています)、キナシカルもまた抹消されていると思っているが、そういうカラクリはまだ解けてはいない。
◆それと、レッカキョウでは古市さんから、2系統を別の説明はできないのか、つまりはやっぱり王は1人じゃあないのか、という意見をもらった。白石先生の反論には納得できないものの、反応をいただけることはありがたい。あとは無反応。とくに文献史の側から、なるほどアリかもしれないという応援をもらえるとありがたいのだが、どうもそうはいかないらしい。というより古市さんがそうなのだから、ほとんどこういう5世紀世界に首をつっこもうとする人なんかいないのだろう。そうなるとやはり同業のみなさんの反応ですね。
◆2王統があって、両者から王が出ることがあったが王位はひとつという場合は、あんな併存状態にはならないと思うんですけどね~。

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HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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