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難波神社

◆南御堂、難波別院はパスして、難波神社。WEBb046d4c8.JPG

 反正天皇が大阪府松原市に柴籬宮しばがきのみやを開かれたとき、父帝の仁徳天皇をご祭神として創建されたと伝えられる。
 その後、天王寺区上本町に遷り、豊臣秀吉が大阪城を築城したのち天正年間(1583年)現在地に遷座。昭和20年(1945年)第二次世界大戦大阪空襲に より全焼したため、仮宮によっていたものを昭和49年7月(1974年)再建され現在に至る。


◆だそうである。神社に置いてあったチラシでは、頼朝に荘園を与えられたどうのこうの、ということも書いてあった。由緒はあまり古くなさそうだが、かなり有力な神社だったらしい。大坂に来たらまずはお参りするような。ここの場合は菖蒲がきれいであった。
 

坐摩神社

◆だんだんめんどくさくなってきた。北御堂に行く。いまの名前本願寺津村別院(大阪会館)。空襲で焼け、すっかり都025f0402.JPG市的現代風寺院となっている。
◆坐摩神社 WEB 

当社の創祀には諸説がありますが、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町附近)に奉祀されたのが始まりとされています。
 平安時代の「延喜式」には攝津國西成郡の唯一の大社と記され、産土神として今日に至っています。また朱雀天皇の御代、天慶2年(939)以来祈雨11社中に列し、以後たびたび祈雨〔雨乞い〕のご祈請・奉幣に預かりました。
 天正10年(1582)豊臣秀吉の大坂築城に当たり替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座されました。現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名 が移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。旧社地と伝えられる石町には現在も当社の行宮(御旅所)が鎮座されています。 

◆だそうである。けっこう古い神社のよう。あじさいがきれいだった。
 

うつぼ(靫)公園脇の

◆堂島の蔵屋敷跡面影はまったくない。とくに看板等も見なかったが、あるところのはあるのかもしれません。91ee2faa.JPG
◆土佐堀沿いの細い道を西に進んだわけですが、実際に蔵屋敷が並んでいたのは、この道路と南側の土佐堀通の間なんだろう。この細い道路は、かつては土佐堀川の岸で、船の荷を積み下ろししていた場所と推測する。この道と現在の土佐堀川との間のわずかな範囲に新たに建物がならぶが、明治以降なのだろう。そのなかにはレトロな建物も。前にカミさんと歩いたときもあったような。
◆靫公園で足を休めたのち、インド喫茶に入る。店の名前は?女性ばっかりですわ。
 

安田ビル

◆1936年のものだそうだ(左)。a7620992.JPGで、北上すると、左手になにやらおしゃれな店が。建物も、下部が煉瓦である。調べてみると、安田第三ビルというやつらしいが、1961年とある。そんな古くないのかね。なかなかいいもんですよ。11ea5ba4.JPG
 

京町ビル

◆御霊神社に行くも写真を撮るのを忘れた。西横堀川を越えて堂島をめざす。48163173.JPG
◆京町堀1丁目のこれは何の建物?交差点からながめただけだが。調べてみると、旧京町堀ビル、1926年、という。

店の看板も学びになる

「美々卯」という飯屋もまた長細い。で、院生らが見ているのが、この地域の店を表示した看板。その写真を挙げておく0dabd82a.JPGが、御霊神社の北の短冊は、「おお江戸時代のままや」と。aa0e58cd.JPG
 

錢高組分室

◆錢高組って、ゼネコンやな~。分室?。何するところ?。調べれば何か出てくるのだろうが・・・、WEB。a5e5eee8.JPG

番匠屋錢高家は、江戸時代より泉州尾崎村(阪南市)にて、歴代錢高林右衛門、錢高助左衛門などを襲名し、錢高善造に至るまで宮大工の棟梁を代々家業としていた。1705年9月18日には、業祖錢高林右衛門が棟梁として建立に携わった本願寺尾崎別院が落慶する。錢高組創業の瞬間である。社祖 錢高善造は、1884年に上京し、明治の文明開化の波と共に勃興しつつあった西洋建築の新技術や近代経営の習得に努めるなか、数多くの得意先から知遇を得ていく。そして1887年、善造は大阪市内の地に移り、屋号の番匠屋を錢高組に改め、新たな一歩を踏み出す。

◆だそうである。ちなみに、このとき、中から人が出てきたが、何をしていたんですかね。事務所として使っているんでしょうか

芝川ビル

◆これ有名らしいで。1927年竣工だそうな。ベトナム料理屋には、是非、行ってみたい。006e2667.JPGしかし、こうやって見ると、電柱が邪魔やね。背割り部分とかに埋設できないものなのか。大阪の町から電柱を除去すると、けっこう画期的とちゃうか。

道修町の通りに面して開いてない

◆なので、江戸時代のあと、明治以降に大きく変えたのかな。これは何なんか、当日は確認しなかったが、いまグーグル9092044a.JPGで見たら、「かんてきや要」という、魚を食べさせる店らしい。がんこ寿司もそうだが、古い建物のかなりは飲食店として利用されていますね。和風であれ、石造りや煉瓦造りのモダンなものであれ、そうしたレトロ感が、飲食店としては大いにプラスなんだろう。
 

北垣薬品株式会社

◆動物用の薬の卸をやっているところらしい。cc01fecf.JPG
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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