人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
つぼり山古墳
◆平群谷は竜田川両岸の盆地だが、地形は単純ではなく、両側から丘陵尾根が伸び、ウネウネト起伏がある。
古墳はおおむね、そうした東西から張り出した尾根の南斜面にある。いまの地図やらでは宅地化してしまい地形がわかりにくい。明治の仮製図などで、平群谷の地勢をみなければならん。
◆つぼり山古墳もそうした南に面した地点にあった。団地のなかにひっそりと残る。玄室と羨道の両方に石棺があり、二上山製で打ち割られ、トロケ、そして苔むしている。こういうのはどうしたらいいんでしょうかね。石棺も遺構の一部で現地にあるのがいいのは確かだし、訪問者にとっても嬉しいのだが。蓋石が跳ね上げられている状態そのままでいいのか。なにより風化を止めるのは難しいであろう。
◆つぼり山古墳もそうした南に面した地点にあった。団地のなかにひっそりと残る。玄室と羨道の両方に石棺があり、二上山製で打ち割られ、トロケ、そして苔むしている。こういうのはどうしたらいいんでしょうかね。石棺も遺構の一部で現地にあるのがいいのは確かだし、訪問者にとっても嬉しいのだが。蓋石が跳ね上げられている状態そのままでいいのか。なにより風化を止めるのは難しいであろう。
2011年9月25日平群谷
◆26日の月曜日、なにかとあり、準備もとも思いつつ、この3連休二つにはさまれた1週間、台風の来た水曜日も
含めて毎日働いていたので、まあ、休むかと・・・。カミさんが「いい気候やし、歩きに行こうと」というので、平群谷に。ちょっと前に少し調べて、人のブログの古墳巡りのコピーを用意していた。
◆高井田から王寺、近鉄生駒線で平群駅に。なぜ平群谷かは、前に書いたとおり、メインは西宮古墳が目当て。この観光案内図、実は帰りの竜田川駅にあったものだが、平群駅にはこんなんなかったように思うが。もっともブログのコピーに地図があったので、困りはしなかったが。
◆三里古墳、長屋王墓・吉備内親王墓、楢本神社、つぼり山古墳、平群神社、西宮古墳、椿井宮山塚古墳、で竜田川駅から戻る。烏土塚古墳は前に行ったので、今回は省略。栗が実り、稲穂はたわわに実り刈り入れ間近、そして彼岸花が咲く。あんまり晴れてなく、散策には絶好でした。
◆高井田から王寺、近鉄生駒線で平群駅に。なぜ平群谷かは、前に書いたとおり、メインは西宮古墳が目当て。この観光案内図、実は帰りの竜田川駅にあったものだが、平群駅にはこんなんなかったように思うが。もっともブログのコピーに地図があったので、困りはしなかったが。
◆三里古墳、長屋王墓・吉備内親王墓、楢本神社、つぼり山古墳、平群神社、西宮古墳、椿井宮山塚古墳、で竜田川駅から戻る。烏土塚古墳は前に行ったので、今回は省略。栗が実り、稲穂はたわわに実り刈り入れ間近、そして彼岸花が咲く。あんまり晴れてなく、散策には絶好でした。
2011年9月24日Octフェスティバル
◆9時に大学に行き、大坂城研究会の発表準備。13時、大阪駅前第2ビルコンソーシアム大阪の会場。発表は
まあまあか。1630終了。
◆この日、カミさん、昨年までの京大の研究室がらみの、誰かさんがイギリスに1年行く壮行会がてら、天王寺公園で開催されているオクトーバーフェスティバルで宴。ドイツのビールを呑む催し。研究会終了後、合流。人だらけ。ビールを買うにも列にならばんといかん。
◆舞台では、ドイツ人なのか、バンドが演奏し、日本人の女性もそうしたカッコウをして盛り上げている。まわりを囲む客たちも、やんや、と呼応し、乾杯のおたけびを挙げる。ま、岸和田のだんじりと同じか、発散の場をほしがっている日本人がけえっこういいノリ。そういうオレも、立ち上
がって、隣の集団と乾杯なぞしたり。ジョニーデップもいた。オレは、おっさん丸出しで、オネエさんとの写真を撮ってもらう。
◆この日、イギリスからきたなんとか、から、イングランド、ウェールズ、スコットランド、などの話を聞く。これはまた改めよう。このおにいちゃん、日本人の女性とつきあっているんだとか。知り合ったのは六甲山だそうですよ。
◆イギリスでは、採用の年齢制限なく、応募の書類に年齢を書く欄さえないという。求める職に対して、その能力があるかどうかのみで判断するからだと。アメリカが自由のように思われるがそうじゃないと。いい話ですね。
◆オレが考古学をやっているというので、カミさんの同業者のやつらがイメージするのはマスターキートンらしいが、ドナウ川流域の文化を聞かれても、そんなこと知っちゃいないし、まして爆弾は扱えない。イメージ先行もほどほどに。
◆この日、カミさん、昨年までの京大の研究室がらみの、誰かさんがイギリスに1年行く壮行会がてら、天王寺公園で開催されているオクトーバーフェスティバルで宴。ドイツのビールを呑む催し。研究会終了後、合流。人だらけ。ビールを買うにも列にならばんといかん。
◆舞台では、ドイツ人なのか、バンドが演奏し、日本人の女性もそうしたカッコウをして盛り上げている。まわりを囲む客たちも、やんや、と呼応し、乾杯のおたけびを挙げる。ま、岸和田のだんじりと同じか、発散の場をほしがっている日本人がけえっこういいノリ。そういうオレも、立ち上
◆この日、イギリスからきたなんとか、から、イングランド、ウェールズ、スコットランド、などの話を聞く。これはまた改めよう。このおにいちゃん、日本人の女性とつきあっているんだとか。知り合ったのは六甲山だそうですよ。
◆イギリスでは、採用の年齢制限なく、応募の書類に年齢を書く欄さえないという。求める職に対して、その能力があるかどうかのみで判断するからだと。アメリカが自由のように思われるがそうじゃないと。いい話ですね。
◆オレが考古学をやっているというので、カミさんの同業者のやつらがイメージするのはマスターキートンらしいが、ドナウ川流域の文化を聞かれても、そんなこと知っちゃいないし、まして爆弾は扱えない。イメージ先行もほどほどに。
植山古墳
◆植山古墳は竹田・推古墓でいいんでしょうか。考古学研究に書いたものでも、あれには突っ込まなかっ
た。が、被葬者論がいけるとするなら、論旨からすれば、横穴式石室の年代を考える重要な根拠になるから、取り上げなきゃならん。だが・・・。
◆報告書は未入手だが、盛り土がされて、東石室は同時に構築され、西石室は封土をうがって追加しているんだとか。だけど、長方形の掘り込みは一体。これはどういうことか。墳丘の付加とかは確認できないんだろうか。東石室の方が立派だし、こいつのために盛り土し石室を作った段階で、長方形に作っていると。推古が、あとで自分用のも作るから、そうさせた?。で、けっこう早い段階で、開口部を共有するように、やや斜めに自分の石室を作った、そういうことですか。
◆それぞれの石室はいつなんだろう。現説資料では東石室が牧野と近いとある。白石は、東が平林式で、西が牧野という。まあそんなところですかね。自分の年代観で行けば、東石室は580年前後か(なんちゃって)。で、西もそう変わらんか。で、東石室から須恵器が出ていて、6末くらいなんかな。お恥ずかしい限りだが、オレの力量はそんなところだ。ぜんぜん石室も須恵器も基礎学力がなく自信はない。石室はともにそう新しくはないんとちゃうの。推古が即位して「ただちに」(590年代)、竹田の隣に(予定通り)石室を作れ、と言ったんでしょうか。でも、馬子の墓や厩戸の墓室に対して、ちょっと貧弱ですよね。そんな豪壮なん作らんでエエヨと言ったとしても。
◆丸山の真東で、欽明にかかわる人物だろうという意見も強い。まあ、そうかもしれない。が、1本、谷を隔てていて隣の尾根ですよね。植山の尾根が高く、丸山も高いので、確かにお隣さんという雰囲気ではあるのかもしれないが。なんで阿蘇の石棺なんですかね。それもわからん。
◆まあ、しっくりこないわけだ。保留だ・・・。
◆報告書は未入手だが、盛り土がされて、東石室は同時に構築され、西石室は封土をうがって追加しているんだとか。だけど、長方形の掘り込みは一体。これはどういうことか。墳丘の付加とかは確認できないんだろうか。東石室の方が立派だし、こいつのために盛り土し石室を作った段階で、長方形に作っていると。推古が、あとで自分用のも作るから、そうさせた?。で、けっこう早い段階で、開口部を共有するように、やや斜めに自分の石室を作った、そういうことですか。
◆それぞれの石室はいつなんだろう。現説資料では東石室が牧野と近いとある。白石は、東が平林式で、西が牧野という。まあそんなところですかね。自分の年代観で行けば、東石室は580年前後か(なんちゃって)。で、西もそう変わらんか。で、東石室から須恵器が出ていて、6末くらいなんかな。お恥ずかしい限りだが、オレの力量はそんなところだ。ぜんぜん石室も須恵器も基礎学力がなく自信はない。石室はともにそう新しくはないんとちゃうの。推古が即位して「ただちに」(590年代)、竹田の隣に(予定通り)石室を作れ、と言ったんでしょうか。でも、馬子の墓や厩戸の墓室に対して、ちょっと貧弱ですよね。そんな豪壮なん作らんでエエヨと言ったとしても。
◆丸山の真東で、欽明にかかわる人物だろうという意見も強い。まあ、そうかもしれない。が、1本、谷を隔てていて隣の尾根ですよね。植山の尾根が高く、丸山も高いので、確かにお隣さんという雰囲気ではあるのかもしれないが。なんで阿蘇の石棺なんですかね。それもわからん。
◆まあ、しっくりこないわけだ。保留だ・・・。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。