人を幸せにする人になろう

つぼり山古墳

◆平群谷は竜田川両岸の盆地だが、地形は単純ではなく、両側から丘陵尾根が伸び、ウネウネト起伏がある。e507075d.JPGd484c17d.JPG古墳はおおむね、そうした東西から張り出した尾根の南斜面にある。いまの地図やらでは宅地化してしまい地形がわかりにくい。明治の仮製図などで、平群谷の地勢をみなければならん。
◆つぼり山古墳もそうした南に面した地点にあった。団地のなかにひっそりと残る。玄室と羨道の両方に石棺があり、二上山製で打ち割られ、トロケ、そして苔むしている。こういうのはどうしたらいいんでしょうかね。石棺も遺構の一部で現地にあるのがいいのは確かだし、訪問者にとっても嬉しいのだが。蓋石が跳ね上げられている状態そのままでいいのか。なにより風化を止めるのは難しいであろう。
 

楢本神社(式内社)

◆せっかくなので、長屋王墓・吉備内親王墓に行く。これって古墳時代の古墳を利用して明治に陵墓としたもの36ad8355.JPGらしい。ちゃんと調べていないが、これはでっちあげの陵墓っぽい。栄原先生が平76593fbd.JPG群谷の紀氏について論文を書いているので、紀氏神社にいくべきだが先を急ぐ。
◆楢本神社というのがあるので行く。式内社だが、ひっそりとした村社となっている。場所も移動したらしい説明があった。

三里古墳

◆真新しい木製の道しるべが、そこここに立っている。が、大きい道路を歩きたくないので、古墳のある山際にc01dc16e.JPGe6fc9ad4.JPG入っていき移動したので、最初の三里古墳はすこしウロウロ。が、まあ、あのへんやろと思ってたどりつく。人の家の畑みたいな場所の脇に階段が取り付けられ、看板もある。
◆石棚って、あんな下位にあるんかねえ。奥壁の石材がかなり手前にずれてきており、そのうちに落下しそうである。鐘形の馬具はカシコーケンにある。

2011年9月25日平群谷

◆26日の月曜日、なにかとあり、準備もとも思いつつ、この3連休二つにはさまれた1週間、台風の来た水曜日も9c4de7ce.JPG含めて毎日働いていたので、まあ、休むかと・・・。カミさんが「いい気候やし、歩きに行こうと」というので、平群谷に。ちょっと前に少し調べて、人のブログの古墳巡りのコピーを用意していた。
◆高井田から王寺、近鉄生駒線で平群駅に。なぜ平群谷かは、前に書いたとおり、メインは西宮古墳が目当て。この観光案内図、実は帰りの竜田川駅にあったものだが、平群駅にはこんなんなかったように思うが。もっともブログのコピーに地図があったので、困りはしなかったが。f807c80b.JPG
◆三里古墳、長屋王墓・吉備内親王墓、楢本神社、つぼり山古墳、平群神社、西宮古墳、椿井宮山塚古墳、で竜田川駅から戻る。烏土塚古墳は前に行ったので、今回は省略。栗が実り、稲穂はたわわに実り刈り入れ間近、そして彼岸花が咲く。あんまり晴れてなく、散策には絶好でした。

陵南の森

◆9月17日、羽曳野市史第1巻(この巻のみ図書館にないのだ)を見に立ち寄る。、西田孝司さんの文献に引用b24e7dc0.JPGされていたため、市史で北野耕平先生が大塚山古墳についてどう書いてあるかチェックする。まあ、あんまり突っ込んだことは書いていなかった。
◆あわせて展示室を覗くと、速報展をやっていた。高屋城周辺の出土品が取り上げてあった。鏡も展示されている。高屋城、まあ安閑陵があるわけだが、城としても戦後までよく残っていたのに、もったいない話である。近鉄南大阪線、古市駅前のいい場所であるが。城の外郭部などが宅地開発されたのはいつのことなんだろう。
 

2011年9月24日Octフェスティバル

◆9時に大学に行き、大坂城研究会の発表準備。13時、大阪駅前第2ビルコンソーシアム大阪の会場。発表は58a0f390.JPG501d466e.JPGまあまあか。1630終了。
◆この日、カミさん、昨年までの京大の研究室がらみの、誰かさんがイギリスに1年行く壮行会がてら、天王寺公園で開催されているオクトーバーフェスティバルで宴。ドイツのビールを呑む催し。研究会終了後、合流。人だらけ。ビールを買うにも列にならばんといかん。
◆舞台では、ドイツ人なのか、バンドが演奏し、日本人の女性もそうしたカッコウをして盛り上げている。まわりを囲む客たちも、やんや、と呼応し、乾杯のおたけびを挙げる。ま、岸和田のだんじりと同じか、発散の場をほしがっている日本人がけえっこういいノリ。そういうオレも、立ち上4b83d2b7.JPGがって、隣の集団と乾杯なぞしたり。ジョニーデップもいた。オレは、おっさん丸出しで、オネエさんとの写真を撮ってもらう。
◆この日、イギリスからきたなんとか、から、イングランド、ウェールズ、スコットランド、などの話を聞く。これはまた改めよう。このおにいちゃん、日本人の女性とつきあっているんだとか。知り合ったのは六甲山だそうですよ。
◆イギリスでは、採用の年齢制限なく、応募の書類に年齢を書く欄さえないという。求める職に対して、その能力があるかどうかのみで判断するからだと。アメリカが自由のように思われるがそうじゃないと。いい話ですね。
◆オレが考古学をやっているというので、カミさんの同業者のやつらがイメージするのはマスターキートンらしいが、ドナウ川流域の文化を聞かれても、そんなこと知っちゃいないし、まして爆弾は扱えない。イメージ先行もほどほどに。

e61998c4.JPGedff00aa.JPGc24d0881.JPG

なんかつかれています

◆確かに休みなく働いている。『ヒストリア』の原稿は、図を含めてぜんぶ入れた。十河さんの図も持ってきていた8e279613.jpgだき、インデで組んで仕上げにかかるが、途中でストップ。今日、土曜日、大阪城の研究会で発表しなきゃならんので準備。与えられた題目以外の前半部分はパワポもでき、資料も作成できたが、本題の大阪城の石垣の部分はできていない。が、疲れて、頑張る気力なし。本日、午前でなんとかカッコウをつけたい・・・。

植山古墳

◆植山古墳は竹田・推古墓でいいんでしょうか。考古学研究に書いたものでも、あれには突っ込まなかっa4dcc322.jpgた。が、被葬者論がいけるとするなら、論旨からすれば、横穴式石室の年代を考える重要な根拠になるから、取り上げなきゃならん。だが・・・。
◆報告書は未入手だが、盛り土がされて、東石室は同時に構築され、西石室は封土をうがって追加しているんだとか。だけど、長方形の掘り込みは一体。これはどういうことか。墳丘の付加とかは確認できないんだろうか。東石室の方が立派だし、こいつのために盛り土し石室を作った段階で、長方形に作っていると。推古が、あとで自分用のも作るから、そうさせた?。で、けっこう早い段階で、開口部を共有するように、やや斜めに自分の石室を作った、そういうことですか。
◆それぞれの石室はいつなんだろう。現説資料では東石室が牧野と近いとある。白石は、東が平林式で、西が牧野という。まあそんなところですかね。自分の年代観で行けば、東石室は580年前後か(なんちゃって)。で、西もそう変わらんか。で、東石室から須恵器が出ていて、6末くらいなんかな。お恥ずかしい限りだが、オレの力量はそんなところだ。ぜんぜん石室も須恵器も基礎学力がなく自信はない。石室はともにそう新しくはないんとちゃうの。推古が即位して「ただちに」(590年代)、竹田の隣に(予定通り)石室を作れ、と言ったんでしょうか。でも、馬子の墓や厩戸の墓室に対して、ちょっと貧弱ですよね。そんな豪壮なん作らんでエエヨと言ったとしても。
◆丸山の真東で、欽明にかかわる人物だろうという意見も強い。まあ、そうかもしれない。が、1本、谷を隔てていて隣の尾根ですよね。植山の尾根が高く、丸山も高いので、確かにお隣さんという雰囲気ではあるのかもしれないが。なんで阿蘇の石棺なんですかね。それもわからん。
◆まあ、しっくりこないわけだ。保留だ・・・。
 

椿井大塚山の頃

◆椿井の測量をやってた頃の写真。去年、藤澤さんの会の時、過去の写真をつなぎあわせてパワポを作ったわ74720103.JPGけだが、あの歴史的パワポは、パソコント共に消失した。もっとも、元の画像データe9e66b1d.JPGはたぶん残っているが、散らかっている。
◆集合写真は、藤澤さんが陣中見舞いに来られた時のもの(色あせを修正していません)。この前2枚は自分が撮り、このカットは誰かが撮ってくれたわけである。誰だろうと前の写真を見ると、カメラマンは桑原さんでした。背中は吉井君です。
◆この測量で、宿舎の飯をぜんぶ撮影し、日誌に貼っていた。ある時の1カット。みゆきがある。時代を感じますね。
 

子供たちのカワイラシイ写真

◆結局、ヒストリアの完成ができず、ウダウダいらんことをやっている。横穴式石室の大手前の作ったファイルから植山古墳の石室の図を探し出そうとしているのだが、パソコンのDSC00006.JPGデータが、ごっFH010010.JPGちゃごっちゃの、ごっちゃごちゃ。最近は定式化しているんだが、過去のバックアップなどは、入り乱れてわけがわからん。で、こんな写真が出てきたので・・・。
◆上は19才、下は16才となった。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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