人を幸せにする人になろう

鐸(ぬで)比古・鐸比売神社

河内国大県郡(柏原市平野、大県地区)の氏神であり、背後にそびえる高尾山(標高:278m)を神体山・磐座と13808c62.jpgしている。  祭神は「鐸比古命」「鐸比売命」。 鐸比古命は垂仁天皇の子であり、「沼滞別命」「鐸石別命」と同人とされる。 和気清麻呂の遠祖であり、鐸比古命を祭神とするのは日本全国でもここと岡山県の和気神社のみとされている。『河内名所図会』 には、「鐸比古神社 (高尾神社・大県神社・高尾明神) 延喜式内、高尾山の嶺にあり、今比賣春日御前という。傍に清泉あり」と記されている。 もともとは鐸比古神社と鐸比賣神社は別々の神社であり、鐸比古神社は高尾山の山頂に祀られていたが、中世には現在の地に遷されたといわれている。現在の社殿は江戸時代・元禄年間の再建。〔ウィキ〕
◆鉄器生産と関連ある祭神らしい。ネットでいくつか記事が見える。



恩智神社(河内二の宮)

af21b780.jpg現在の主祭神は、大御食津彦命(おおみけつひこ)、大御食津姫命である。当初は天児屋根命を祀っていたが、後になって枚岡神社に遷座し、現在の祭神を祀ることになる。大御食津彦命は天児屋根命の五世代の孫、大御食津姫命は伊勢神宮外宮に祀られる豊受姫大神の別名であるとされる。〔ウィキ〕
 

伊賀上野城

◆既に御墓山古墳と敢国神社の記事を書いたように、土曜日の晩からカミさんと伊賀上野に出かける。翌朝、まず32819bfa.JPGd7a43664.JPG御墓山古墳に行き、神社はたまたまで、それから上野城に行く。
◆以前に市役所とその脇にある資料館に行ったことはあるが、城には行ったことがない。藤堂高虎の居城で、日本一高い石垣があるというので、大阪城との関係で行ってみたかった。
◆伊賀上野はかなり涼しかった。この日、全国的にうだるような厚さだったのだが、なんで伊賀盆地はすずしいのだろうか。
◆石垣は確かに高い。「一、二の高さで有名な」という文言はおもしろいですね。その縁回りに安全柵がなく、子供を遊ばせるには怖い。30mともいわれる石垣が堀に落ちている。発掘調査をして石垣を復元している工事も行われている。下に下りて周囲をめぐる。藩校もよく残っf0bde731.JPGていて史跡になってa7bceb85.JPGいる。また旧制第2中学校の校舎が、いまの上野高校内に保存されている。
◆合併前の上野市の人口が6万人、合併後の伊賀市では10万人である。なかなかのどかでよい城下町である。観光資源にめぐまれ力も入れている。が一方で町はややさびれている様子。大店舗ができ、町中の商店はかなり閉まっている。城下町を活かしつつ、コンパクト化をはかり、味わい深い町づくりで魅力を増して欲しいもの。伊賀国府は知らないが、御墓山や国分寺などの遺跡も、そうした魅力に組み込んで欲しいものだ。
◆お昼を取り、名物のでんがくも食べる。それと、帰りに伊賀焼の展示館に入る。歴史学教室旅行でも、行った先でいろいろ焼き物を見てまわるのが好きである。で、あんまり高いもの16c82aa6.JPG79e980f4.JPG手を出すことはないが1000円前後の気に入った器があったら買うことにしている。で、教室旅行ではそれを取り出してビールを飲んでいる。で伊賀焼。どうしても欲しい魅力的な器を見つけたのだが、ちと高い。迷ったが、思い切って5000円出して買う。
◆昼過ぎには帰途につき、奈良の河合町の「虹の湯」で汗を流す。これで3週連続である。屋外の露天風呂をのぞくと、素っ裸のおっさんがゴロゴロ横たわる。
◆家に帰ると、子供らはそれぞれでかけている。さっそく、伊賀焼の器で焼酎のオンザロックを飲み、夕方から仮眠を取って、サッカーの試合に備える。
◆4時から試合を見る。液晶テレビが修理中なので、寝室に置いている単身赴任時代の小さいブラウン管テレビでサッカーを見る。最後、後半の後半くらいから、カミさんと娘が起きてきて、3人で見る。

敢国(あえくに)神社(伊賀一の宮)

◆敢国神社に立ち寄る。御墓山から遠くない。伊賀盆地の東側の山裾だ。df398e9c.JPG907849e2.jpg
◆地図を見ていると、国分寺と、なんとか廃寺というのがあったんだ。気がつかなかった

御墓山古墳

◆伊賀上野に行き、御墓山古墳を見る。前の科研の時に、澤田さんと訪ねたのが2回目で、今回は3回目か。新し9591c8a4.jpgく看板ができ、付近の道路にも道案内がある。何よりも古墳の草刈りなどの手入れが、以前からするとダンチになされており、墳丘が実によく観察できるようになっていることに驚く。そして実に残りがよい。
◆前はもっと樹木も繁茂していて、縦断するような見学路はあっても、あんまり墳丘各所に入っていけないような、あるいは入っていく気がしないような状態だったと思うが、非常にスッキリしている。2段築成は明らかな間違いで、後円部の背後を含めて3段築成である。下段の葺石が溜め池の斜面に露出している。5464b9a1.JPG
◆伊賀上野の教育委員会も力を入れているのか、そして地元における草刈りなどの管理がされるようになったと思われる01746744.jpg。ここ5年くらいのようであるが、いや~、見応えがあります。5世紀前半になっていたが、たぶんやっぱり4世紀後半でしょうね。伊賀盆地がここで狭まり、少し行けば近江への入り口となる柘植だし、その先は伊勢の平野まで狭隘な谷部となる。佐紀段階の交通路を押さえるあり方の典型的なひとつになろう。

増田重信さんのお仕事

◆高校の先生を務めながら、姫路周辺の遺跡の調査、近代遺跡、姫路城の石垣や、民俗的調査などを手がf1ebb32d.JPGけられた播磨の郷土史家。お名前は存じ上げていたが、具体的なお仕事はあまり知らなかったが、縄文の遺跡で有名な福本遺跡の発見者であり調査者であり、また古墳時代で言えば壇場山古墳の埴輪なども採集されていることを知る。
◆このブログで、難波宮第1号瓦について書き(『市大日本史』第14号に掲載)、そのなかで藤原光輝さんについても調べてみたいと記したが、実は藤原さんが増田さんと縁が深く、ブログを見た増田さんのご子息から連絡があり、7月16日(土曜日)にお会いした。
◆そこで右に示す、重信氏のお仕事をまとめた650頁におよぶ著作集が真陽社から発刊されているのだが、大阪市大にご恵与いただいた。調査日誌によると、1950年6月1日に、藤原さんが角田さんの紹介状をもって増田さんを訪ねられ、その後も長くつきあいが続く。そのなかでは福本遺跡出土の土器が押型文であることを藤原さんが指摘し、増田さんの業績の大きな柱である、この遺跡調査に大きな貢献をしたらしい。その後も、播磨での出土品や遺跡の調査で、藤原さんもたびたび姫路を訪れているし、逆に増田さんも大阪市大を訪ねていることがわかる。
◆藤原さんについては、末永先生との関係、角田さんとの関係、市大歴史学教室での直木先生との関係、そしてもちろん難波の宮、山根徳太郎との関係、大阪市立美術館でのお仕事など、いろいろな面がある。新沢千塚や丹生遺跡の調査にも深くかかわっている。35歳で亡くなったとき、『古代文化』に追悼特集が組まれ、また大阪市大考古学研究会の『史峯』にもあり、そして直木先生が書いたものがある。カシコーケンには藤原さんの図書が収められているという。
◆1965年になくなった藤原さんについて、あたりまえだが面識があるはずもない。わたしの関心は、大阪市大歴史学教室発足間もない時期、歴史学教室独自の調査を手がけ、そして難波宮の調査が入ってくる、そうした草創期の時期の考古学的調査を実質的に担っていた藤原光輝という人物に興味があるのである。『古代文化』を入手し読んでみないといけないが、藤原さんのお仕事については、上記のような記録、そして当時の関係者の記憶が材料となるが、どうもまだきちんとまとめられていないように感じている。増田さんのご子息とお会いし(わたしより少し上)、藤原さんに重信さんがお世話になったことを是非とも知っておいて欲しいという、真摯なお申し出を受けて、わたしなりに藤原さんについて調べてまとめることをやはりやってみたいと思った。
◆モチベーションとして、書いたものが発表される場が必要なので考えてみた。うちに大学史資料室というのがあり、そこが研究紀要を年1冊発行している。ある程度のボリュームのものを書かせてもらえる適切な場としてはここかなと、その日の帰りに考えていた。

またゲンパツ

◆モーニングバード、朝8時6チャン。車で出勤するときは、だいたいカーナビでモーニングバードを流している(もはや浜村淳は聞かないな~)。赤江さんが好き、というのもある。
◆で、菅直人が脱原発を発表したが、それについて、今日は取り上げられていた。だいたいが、独断、延命、エエカッコシイ、みたいな批判論調。だが、今日のモーニングバードでは、例の退職勧告を受けている通産官僚が出てきて、違う解釈をしていた。例えば、浜岡原発の停止も、それを決めた金曜日の夜おそくにただちに発表したが、これを翌週の月曜日にすると、土日の段階で巻き返されるのだという。日本の基幹産業である電力会社は、経済界に大きな影響力をもち、むろん通産官僚や、これまでの原発推進の政治家など、あっという間に根回しをしてねじ伏せられるのだという。マスコミのことも言っていた。「そんなことしたら、電気はどうなる、電力不足で企業は海外に出て行く、雇用は減る、そういう責任が取れるのか」、とまわりがすべて容認派で取り囲まれると。
◆なので、ああいう独断ででもやらないと(むろん、菅内閣後にそれが政府決定として継承されていく保障はどこにもないわけだが)、手段がないと。「早急に国民的議論を尽くし・・・」といっている間はダメだと、ゼッタイに容認せざるをえないという結論に導かれるのだ。
◆どだい、この問題は、いろいろデータを集めて試算をしたり、といった論理的帰結はもはや不要。まず原子力発電が安価という嘘、電気は足りないという嘘をあばき、そして未来永劫、放射性物質を管理し続けなければならないコストと、何よりも事故がひとたび起こればとんでもないことになること、こんなにも危険なものは、感覚的・生理的・情緒的に反対でいいのである。国民の多くもこうした事実を知り、「やめた方がいいんちゃう」という機運が高まっているいまこそ、財界・政界の既得権益者を国民の声で封じ込めなければならない。
◆エネルギー不足はなんとかなる、でよい。少なくとも、原子力予算につぎこんできたような開発費があれば、代替エネルギーなど、なんとでもなる。もっと極論をいえば、代替エネルギーが育つまで、節電でいきましょう、国民よ我慢してくれ、でいいのである。
◆菅内閣の支持率が高ければ、政治主導でグイグイと有無を言わせず、国民の支持をえている、と突き進むことができるのだが、そうでないのが残念だ。ともかく「原発やめる」と首相が打ち上げることそのものに意味がある(あった)というべきだろう。当然巻き返しがあるし、でかい敵に対してドンキホーテのような一言に過ぎないにしても、逆にいえば、脱原発は正しいしみなそう思っているとしても、「国民的議論を踏まえて」と言っている間はまず無理なわけで、ほっとけば続いていくのである。先の菅直人の意見表明は、そうしたほっといたら敵に封じられる世界で、そうするよりほかなかったと言うべきかもしれない。

かがみかがみかがみ

◆大学院演習の終了後、フリーとなる。どこぞの原稿を仕上げなきゃならん、大学の仕事もある、大歴の仕事もあるが、結局、鏡の図録のインデザインをいじって終わってしまう。
◆撮影から帰ってきて、パソコンに取り込み、画像をチェックするとともに、大阪府の通し番号を振り、要は画像ファイルに名前をつける作業をする。これが楽しいわけである。昔、玉田さんが、縄文土器の図を縮めて、トレースのレイアウトしながら、「これが醍醐味や」と言っていたのを思い出すが、ま、みんなそうでしょうね。資料調査に行ってデータが蓄積されファイリングされていくのは愉悦である。
◆で、画像のフォトショップでの処理は所さんにお任せである。写真に化粧を施しているわけである。オレのテキトーなデジカメ写真が、実に美しくなる。だがヒマのかかる作業で、これはフォトショップを駆使できないとやれない。オレは明暗とコントラストをざっといじる、汚れを消す、程度しかさわれず、あいかわらずピクチャーマネージャーの世界なのだが、暗すぎるところ、明るすぎるところを、部分を指定して調子をあわせたりしてくれている。
◆で、それをインデに組んであるわけだが、画像処理は追いついていないが(東博のやつがようやく終わった)、写真はかなり貯まったので、、下垣さんに提供してもらった出版物からのスキャン画像で仮レイアウトしてあるものを、画像処理前のスッピン画像ではあるがこれに置き換える作業をやっていたのである。こんなこと、やってる場合でないのだが、ひととおりやらなきゃ気が済まなくなり、やっちまった。で、それを眺めている。

岩屋山の3次元計測をやっているそうです

◆奈文研の小澤さんから電話が入り、ドコソコが(なんか計測みたいなものをする研究機関か、国?独法?)やるというので、奈文研と日文研(宇野さん?)が協力する形で、明日香村越岩屋山の計測をやっているという。で、どういうことかというと、牧野をやった時の当初のターゲットは石舞台だったのだが、明日香村の事情もあって、牧野にした次第。で、共和さんはすぐ仕事をしてくれるので、あっという間に画像はでき、リーフレットを作ったわけだ。で、できあがったものを明日香村に送り、やっぱり石舞台はやれませんかね~、岩屋山とかもあきませんかね~、みたいな手紙を出したのだが、反応はなし。それで、今回、オレも声を上げていたということで、明日香村さんに気にしてもらっているらしく、小澤さんの電話となった次第。
◆気にしていただくことはありません。岩屋山を正式にやりたいと名乗り出たわけではないし、構想としては、畿内の基準となる石室について3次元データをそろえていきたいとは思うが、こっちはまず石舞台ができるものならやりたい、ダメなら石舞台式の谷首をやりたいと考えている。今年の科研の挑戦的萌芽はこのテーマで、2~3基やりたかったんですがね~。もひとついうと、ああいう陰影図は自然石の表現にすこぶる優れているが、切石だとあんまり面白くないかも、というのもある。つまり、統一仕様でそろえたいのではあるが、切石はあと、自然石のものからまずやろうと思っていた。
◆昔のように縄張り意識はないし、地元の意向もあるからね。また、データを共有物にしてくれるそうだから、もし使いたいなら、それを使わせてもらったらいいのである。牧野のデータも死蔵したいとは思わないので、誰にでも使ってもらったらいいんだけど。奈文研で公開してくれればありがたいけどね。
◆横穴式石室のデータが整っていくことは、たいへんいいことである。

交野で

◆交野に行くので、カミさんを乗せていく。その前に、数日前から、テレビの液晶のバックライトが消えて見えなくなる。カミさんが調べたところ、東芝レグザについて同様の症状があるらしい。子供は「はよ直せ」とウルサイ。で、石切に持ち込みでも見てくれるところがあるらしく、テレビを積んで出る。
◆交野の資料館。ここは2回目。入り口に登録文化財のプレートが打ち付けてあった。古い建物を資料館として利用してる。枚方との境界に近く、このあたり、学研都市線沿線はまだのどかである。
◆東車塚の3面。対応してくださった原田さんは、保存畑の人なのかな。自分で型どりして鏡のレプリカも作ってしまうようで、その型も見せてくださった。撮影にあてていただいた部屋はクーラーがきかせてあったが、ほかは入れてないんでしょうね。上着に汗がしみ出している。どことも節電でたいへんである。
◆終了後、ちょっと話をしていると時間が過ぎ、午後の大学院演習の前にテレビの修理に出す時間が厳しくなる。結局、購入したミドリ電化に持ち込むが、持ち込み修理は28型?27型?までで、32型は出張修理になりますと断られる。ちょっと時間も気になっていたし、ミドリ電化の修理窓口でけっこう待たされたこともあり、腹が立ち「役に立たん!」と捨て台詞を吐いて引き上げる。さて、どうしたものか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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