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八戸研究会(9)田向冷水遺跡

◆5世紀中頃の竃付き竪穴住居の見つかった遺跡。熊本大のS氏は調査時に、この最北端の竃を見 にやってきたという。角塚古墳や中半入遺跡のある胆沢地方が注目されているが、ほぼ同じ頃に、さらに倭の文化は八戸まで北上しているのである。
◆このあと是川縄文館で遺物をじっくりみたが、須恵器にはTK208の杯身もある。どれもピンピンの上等の須恵器である。まだまだ須恵器がほとんど入らないのが実態で、そこに希少な須恵器が八戸の地にもたらされている。

◆この遺跡、古墳時代の遺構を囲むように方形の薬研堀の深い溝がめぐっている。各時代の遺構もあり、溝の時期は不明で、報告書では近世とか新しいのではとしたが、実際にはわからないのだという。また溝の形態は、古い時期や平安時代以降といった、この地域で見られるものに類例はないという。古墳時代の竪穴とか円形周航溝などの遺構がそっくり収まる。囲んでいる範囲は広く、 古墳時代の竪穴は段丘縁辺寄りで、同時期としても背後に広い空間があることになる。特異な溝、ほかにはない5世紀の倭的集落、結びつけたくなるところである。中半入でも居館風の溝が出ていたのではなかったか。ただ、一気に埋められたような埋没の仕方という。どう考えればいいのでしょうか。
竪穴は8~9棟くらいで、3時期。せいぜい15~20人程度の一時期3棟くらいの集団が50年間くらいとのこと。6世紀に入る頃には廃絶するという。
中半入遺跡があって、これはベースキャンプで、冷水遺跡も無関係ではありえないだろう。一連の動態のなかにあり、一定の役割をもって、さらに北の地に進出した前線基地といった意味合いが考えられる。こういうものが、ほかにも多分あるのだろう(久慈とか)。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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