人を幸せにする人になろう

多賀大社

◆前から行きたかったところ。門前は雰囲気がありそうであったが、実際、車を降りて散策してみると、ほんとの神社前の店ea7762ba.JPGはともかく、JRの駅からの通りの大方はさびれている。むしろ街道沿いの町並みの方がよさそうだ(足をのばしませんでした)。第1回大河ドラマの『花の生涯』の説明看板があった。以下、ウィキ。

◆村山 たか(1809-1876年)。近江国犬上郡多賀町で、多賀大社にあった寺坊尊勝院の娘として生まれる。生後すぐに寺侍村山氏に預けられ、18歳の時に当時の藩主である井伊直亮の侍女となる。20歳になり京都に上って、祇園で芸妓となり、その際男子をもうけるが、私生児であった為に自らが引き取り、生まれ故郷の彦根に戻る。その際彦根城下で蟄居生活を過ごしていた井伊直弼と出会って情交を結び、またその数年後に直弼を通じて出会った長野主膳とも深い関係になったとされる。やがて直弼が大老となり、江戸に移った後二人は別れたとされるが、安政の大獄の際には京都にいる倒幕派の情報を江戸に送るスパイとなり大獄に大きく加担した。日本の政権に属した女性工作員としては、史上初めて名をとどめる存在である。1860年(安政7年)の桜田門外の変で直弼が暗殺された後、1862年に尊王攘夷派の武士に捕らえられ三条河原に3日3晩晒されたが、女性ということで殺害を免れた。しかし、息子の多田帯刀は母親のかわりに岡田以蔵らによって斬殺され、首を晒されている。その後、洛外一乗寺の金福寺で出家し妙寿尼と名乗り、1876年に亡くなった。
◆長らく、たかと井伊直弼の具体的な関係は不明であったが、2011年の末、京都市東山区の井伊美術館で、井伊がたかへと宛てた手紙が発見された。手紙は井伊が20代後半に書かれたものと思われ、藩の反対で、たかと会えなくなった際の、辛い心情が綴られている。

◆生まれが多賀なのだ。昼飯に蕎麦を食べる。犬上郡に足を踏み入れうれしい。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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