人を幸せにする人になろう

大県郡ですが

◆河内の条里を学部演習でやってきて、大県郡のところなんですが。平尾山の山中に3つか4つの郷が あり、氏神がある。これ河内の平野部とはぜんぜん違うわけ。こんな郷、タンボを作っていた50戸ではありえない。
◆とすれば鍛冶でしょうね。大県遺跡は6世紀後半がピークで、そのあとは消え、田辺とかの方に一部は移るみたい。大県遺跡の技術者集団は、飛鳥時代に入って、もっと広範に技術扶植のために分散した可能性はある。が、大県郡の郷からすると、大県遺跡のある平野部から離され平尾山一帯に生産地を移したに違いないと思うのだ。実際に鉄滓も出ているらしいが、鍛冶工房が明確になっているわけでなく、あんまり7世紀以降の鍛冶工房は想定されてないみたい。
◆しかし郷の存立を論理的に考えれば、そういう結論になる。
[写真]国分駅前の梅?。その右は玉1の後円部。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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