人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
小菅修船所
◆今回、長崎で見たかった小菅修船所に行く。トンネルを抜けてすぐのところで(1度間違えた)、 なんとかセンターへの進入路を行くと、駐車スペースがあり、ガイドさんが2人、寒いのにおられた。日本最古のレンガ建築といって言いもののようだが、はっきりと断定できないのか、明確には主張していない印象。聞いてみたらよかったが。
◆帰ってきて調べると、反射炉用の白煉瓦というのが先行し、建築用の赤レンガとしては、長崎造船所が、万延元年12月上棟で古いとのこと(厚みの薄いコンニャク煉瓦)。横須賀造船所がこれに次ぐという。長崎造船所の建物は残っていないようで、明治元年12月(太陽暦で1868年なのかな)という小菅修船所が、明確なものではもっとも古いものの候補となる。どなたかのブログで、どこかのお寺のなかに2年ほどさかのぼる?ものを見つけた、というを見たが。横須賀の方は、完成が1871年だが1865年開設ともあり、詳しくは不明だが、いずれにしてもこの修船所よりも古いレンガ建物があるような記事には出くわさない。
◆煉瓦はマニアがたくさんいるので、詳しい人なら、いろいろ教えてもらえそうである。
◆とにかくこの修船所、小松帯刀が主としてかかわり、五代友厚も協力したのだったか。要するに薩摩の蒸気船の修理場所が必要となって、それを造れということになったよう。五代の関与がどこまでか、これも五代マニアはたくさんいるので、詳しい人は詳しいのだろう。
◆まあ、よく残ってきたものです。ガイドさんと話をしていると、谷を利用していて、背後からの水が入ってきてしまうようで、雨が降ったあとはグズグズらしい。川筋そのものは振っているんだろうが、もとの谷筋沿いに水が入ってきてしまうのだろう。建物の中の大きな歯車のあるところは溝が切ってあり回転するわけだが、水つかりの状態である。
◆帰ってきて調べると、反射炉用の白煉瓦というのが先行し、建築用の赤レンガとしては、長崎造船所が、万延元年12月上棟で古いとのこと(厚みの薄いコンニャク煉瓦)。横須賀造船所がこれに次ぐという。長崎造船所の建物は残っていないようで、明治元年12月(太陽暦で1868年なのかな)という小菅修船所が、明確なものではもっとも古いものの候補となる。どなたかのブログで、どこかのお寺のなかに2年ほどさかのぼる?ものを見つけた、というを見たが。横須賀の方は、完成が1871年だが1865年開設ともあり、詳しくは不明だが、いずれにしてもこの修船所よりも古いレンガ建物があるような記事には出くわさない。
◆煉瓦はマニアがたくさんいるので、詳しい人なら、いろいろ教えてもらえそうである。
◆とにかくこの修船所、小松帯刀が主としてかかわり、五代友厚も協力したのだったか。要するに薩摩の蒸気船の修理場所が必要となって、それを造れということになったよう。五代の関与がどこまでか、これも五代マニアはたくさんいるので、詳しい人は詳しいのだろう。
◆まあ、よく残ってきたものです。ガイドさんと話をしていると、谷を利用していて、背後からの水が入ってきてしまうようで、雨が降ったあとはグズグズらしい。川筋そのものは振っているんだろうが、もとの谷筋沿いに水が入ってきてしまうのだろう。建物の中の大きな歯車のあるところは溝が切ってあり回転するわけだが、水つかりの状態である。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。