人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
河内大塚は安閑未完陵
◆2010年03月18日、堺市の委員会に行く。なかなかイイ会議だった。この会議のメンバーに入れてもらって光栄である。
◆で、河内大塚山古墳について、このブログでもいくつか記事にしてきたが、自分の無知を知る。河内大塚は、堺市の十河さんの安閑未完陵で決まりだと思う。聞いた瞬間から、そうか、それに違いないと思った。後日、『埴輪論叢』ほか、日置荘の埴輪の分析、そしてそれが河内大塚への供給目的に、継体の今城塚造営の新池の埴輪工人組織が丹比に移されたものであるとの、関連論文をおくってもらった。ざっとみた程度で、きちんと紹介する必要があるが、これで決まりであろう。531年の政変ともリンクした説はまことに興味深く魅力がある。全国第6位の巨大前方後円墳が途中で作るのをやめるというのは余程のこと。それを求めるなら531の政変というのは納得できる。もちろん、そのまえに埴輪の緻密な分析あってのことで、それだけに固い!と思う。
◆オレと違って、きちんとした考古学的分析で、ここまで迫れるというスゴイものだ。文献を示しておく。十河良和「日置荘西町窯系埴輪と河内大塚山古墳」(『埴輪論叢』第6号,2007年)。是非、御一読下さい。
◆で、河内大塚山古墳について、このブログでもいくつか記事にしてきたが、自分の無知を知る。河内大塚は、堺市の十河さんの安閑未完陵で決まりだと思う。聞いた瞬間から、そうか、それに違いないと思った。後日、『埴輪論叢』ほか、日置荘の埴輪の分析、そしてそれが河内大塚への供給目的に、継体の今城塚造営の新池の埴輪工人組織が丹比に移されたものであるとの、関連論文をおくってもらった。ざっとみた程度で、きちんと紹介する必要があるが、これで決まりであろう。531年の政変ともリンクした説はまことに興味深く魅力がある。全国第6位の巨大前方後円墳が途中で作るのをやめるというのは余程のこと。それを求めるなら531の政変というのは納得できる。もちろん、そのまえに埴輪の緻密な分析あってのことで、それだけに固い!と思う。
◆オレと違って、きちんとした考古学的分析で、ここまで迫れるというスゴイものだ。文献を示しておく。十河良和「日置荘西町窯系埴輪と河内大塚山古墳」(『埴輪論叢』第6号,2007年)。是非、御一読下さい。
この記事にコメントする
- << 古代を偲ぶ会
- HOME
- 書きたいことが山ほどあるが >>
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(01/27)
(01/16)
(01/13)
(01/11)
(01/05)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。