人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
自分のことより親のこと
◆義父が体調を悪くし、SOSが出て、カミさんは間に一度実家に行き、木曜日の晩から今度は2人で 行きました。落ち着いていれば問題ないのですが、血糖値が異常に高くなるとたいへんで、助けがいります。ひとまず介護認定を受けて、という風にいま進んでいます。
◆で、金曜日。われわれもいると、落ち着いており、気分転換に九度山の真田ミュージアムにでかけました。関ヶ原のあと、真田昌幸と繁信が九度山に流され、大阪の陣に出陣するまで10数年間いたところです。以前から真田で売り出していたようですが、大河ドラマで取り上げられ、こういう施設を作ったよう。六文銭の赤旗が、あちこちにはためいている。で、平日の金曜日というのに、うじゃうじゃ人が押し寄せていました。
◆パネルの文字も小さく、読んではいられないので、さっと流した程度です。それより、このあたりは、高野山に登るのに、もとはメインルートで、以前はよく五差路を通っていたところなんですが、少し入ると九度山の昔の町並みがよく残っており、改めて、まあ真田はよしとして、町歩きをしたいものです。
◆そんな次第で金曜日、大学史資料室と展示について打ち合わせる予定を入れていたが、キャンセルさせてもらった。次は水曜日ですかね。
◆で、金曜日。われわれもいると、落ち着いており、気分転換に九度山の真田ミュージアムにでかけました。関ヶ原のあと、真田昌幸と繁信が九度山に流され、大阪の陣に出陣するまで10数年間いたところです。以前から真田で売り出していたようですが、大河ドラマで取り上げられ、こういう施設を作ったよう。六文銭の赤旗が、あちこちにはためいている。で、平日の金曜日というのに、うじゃうじゃ人が押し寄せていました。
◆パネルの文字も小さく、読んではいられないので、さっと流した程度です。それより、このあたりは、高野山に登るのに、もとはメインルートで、以前はよく五差路を通っていたところなんですが、少し入ると九度山の昔の町並みがよく残っており、改めて、まあ真田はよしとして、町歩きをしたいものです。
◆そんな次第で金曜日、大学史資料室と展示について打ち合わせる予定を入れていたが、キャンセルさせてもらった。次は水曜日ですかね。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。