人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
坐摩神社
◆だんだんめんどくさくなってきた。北御堂に行く。いまの名前本願寺津村別院(大阪会館)。空襲で焼け、すっかり都市的現代風寺院となっている。
◆坐摩神社 WEB
当社の創祀には諸説がありますが、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町附近)に奉祀されたのが始まりとされています。
平安時代の「延喜式」には攝津國西成郡の唯一の大社と記され、産土神として今日に至っています。また朱雀天皇の御代、天慶2年(939)以来祈雨11社中に列し、以後たびたび祈雨〔雨乞い〕のご祈請・奉幣に預かりました。
天正10年(1582)豊臣秀吉の大坂築城に当たり替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座されました。現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名 が移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。旧社地と伝えられる石町には現在も当社の行宮(御旅所)が鎮座されています。
◆だそうである。けっこう古い神社のよう。あじさいがきれいだった。
◆坐摩神社 WEB
当社の創祀には諸説がありますが、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町附近)に奉祀されたのが始まりとされています。
平安時代の「延喜式」には攝津國西成郡の唯一の大社と記され、産土神として今日に至っています。また朱雀天皇の御代、天慶2年(939)以来祈雨11社中に列し、以後たびたび祈雨〔雨乞い〕のご祈請・奉幣に預かりました。
天正10年(1582)豊臣秀吉の大坂築城に当たり替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座されました。現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名 が移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。旧社地と伝えられる石町には現在も当社の行宮(御旅所)が鎮座されています。
◆だそうである。けっこう古い神社のよう。あじさいがきれいだった。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。