人を幸せにする人になろう

2025年12月27日奄美最終日

◆27日に大阪に戻り、画像を取り込んだのであるが、本日28日、その移動に失敗し、消失してしまった。あちゃ~。不思議なことだが、まあしゃーない。
◆翌日は瀬戸内町に向かう。国史跡「奄美大島要塞跡および大島防備隊跡 附 大島需品支庫跡」は、以下の通り。
〇2023年3月20日(月曜日)付の官報にて告示された3遺跡
    西古見砲台跡(にしこみほうだいあと)
    安脚場砲台跡(あんきゃばほうだいあと)
    手安弾薬本庫跡(てあんだんやくほんこあと)
〇2025年9月18日(木曜日)付の官報にて追加指定が告示された3遺跡
    大島需品支庫跡(おおしまじゅひんしこあと)
    ※佐世保海軍軍需部大島支庫跡(させぼかいぐんぐんじゅぶおおしましこあと)
    大島防備隊本部跡(おおしまぼうびたいほんぶあと)
    第18震洋隊基地跡(だいじゅうはちしんようたいきちあと)
◆朝8時前には出て、古仁屋に着き、本部跡は跡地だけのよう。行ったのは手案弾薬本庫跡のみ。

砂糖の流通

◆大阪の唐薬問屋が砂糖を扱っていたのだったか。昔、K君の修士論文で読んだような気がする。ぜいたく品である砂糖は輸入品で、薬の原料ととともに唐薬問屋が扱っていたのだという。その後、讃岐など国産品が出回るようになり、砂糖問屋が独立するという話だったか、覚えていない。いま調べると、讃岐もサトウキビなんですね。てん菜による砂糖づくりが北海道で盛んになるのは近代以降のよう。
◆黒糖をさらに精製して白砂糖にすることで、もっと和菓子などに普及するようになるのだろう。江戸期における大阪の砂糖の扱いを、再度、勉強してみよう。で、これらの砂糖で薩摩藩はもうけたとして、それをどのように流通に乗せていたのかに興味がある。
◆画像は、喜界から戻る飛行機から撮影したサトウキビ畑。ずいぶん整った圃場になっている。

喜界島第2日

◆もう1日できたので、喜界をもう3周くらいするかと。これは冗談。
◆まず百之台公園に行く。そこからの画像。サトウキビの収穫が始まっている様子を見ることができる。雁又の泉に行く(源為朝伝説)。藤崎商店に行く。ファミリーレストラン「さんご」に行く。喜界最高点211ポイントに行く。外は、晴れ間がさしたと思うと、また雨がパラパラ来るなど。車でドライブしているのがいちばん。うろうろしたが、ルートはほとんど覚えていない。
◆最後はやはり15時くらいに空港に行く。なんとか飛びそうな感じである。発券後、レンタカーを返し、空港の売店横でコーヒーを飲む。そうこうするうちに搭乗待合室への案内があり、無事に奄美大島にたどり着いた。翌日27日午後の喜界・奄美便のキャンセルをして、名瀬に向かう。

2025年12月26日喜界

◆昨日25日の話の続き。まだありました。26日午後に奄美大島に帰れたとして、当初の大阪便と乗り継げるのだが、名瀬のホテルに荷物を置いたままなので、そうもいかない。今回は奄美大島をまわるのが目的なので、名瀬のホテルを延泊する連絡。奄美のレンタカーも延長。
◆で26日の朝、まず空港に行き、この日の午後便で奄美に帰れたとして、大阪便を27日に変更する。当初は夕方便まで、奄美を1日めぐる予定だったが、27日になるとカミサンは夕方の用があるというので、昼13時発を確保。
◆この26日朝の時点で、午前便は、鹿児島・奄美大島行とも欠航になっていました。まあ午後便でよかった。台風並みの風で、夜中、ビュービュー吹いていた。ただ、25日夜の天気予報では、午後には西からの高気圧で、等圧線の間隔も広がる予報だったので、なんとかなるだろう、と。

奄美大島に帰れず・・・

◆喜界島は25日の日帰りプラン。夕方便は16:35発。15時頃にレンタカーを返しに行くと、さっき欠航という放送がありましたと。ええっ!。
◆そこからがたいへん。まず飛行機は、翌26日便は、午前便がもう埋まり、午後便もJALとしては埋まり、空いているのが27日の午後便とのこと。まずそれを押さえる。その上で、この奄美・喜界便は、なんというのですか、ANA枠が4席あるのだそうです。調べると、26日午後便は残り2席というので、それも押さえる。もし翌日に飛行機が飛べば、午後便には乗れる。26日も欠航であれ ば27日の午後便となるわけだ。で、この25日は喜界島に泊まるしかないので、前に来た時に何泊かした喜界第1ホテルを取る。
◆まあしゃーない。ホテルに入る。そして天晴という店に歩いていく。前に来た時も、Tさんと飲みに行った店だが、昨年、店を別の場所に新しくしたとのこと。予約客が多かったが、2人なのでカウンターに座ることができた。夜光貝を食べました。レンタカーも延長。

それから地下ダム施設のトンネル

◆サトウキビ栽培に必要な水をいかに確保するかが、この島の課題だった。で、地下にとんでもない水槽を作り?、水をため、そこからサトウキビ畑のスプリンクラーに水をまくばる、恐るべき施設が作られている。既にいくつかあるのかな。聞くところによると、もうひとつ作る話もあるという。その最初のものなのか、見学できる施設になっていて、これは農水省?。見学を申し出ると、地下へ入る入り口の鍵を開けてくれ、そこから数十mおり、地下のトンネルを歩いてゆく。水がぴちゃぴちゃとつたって床を濡らしている。壁に説明などがある。
◆出口は、町の物産売り場となっている施設にあり、階段を上がるとそこに出る。碑文があって、島民の悲願の施設で、1980年代からの20年にわたる大工事の末にできあがったものという。

ガジュマルの樹

◆町の指定文化財である。確かにでかい。

テクズク遺跡群の看板

◆昔来たとき、Tさんが、圃場整備にかかる発掘で、すごい人数の作業員さんとテクズク遺跡群のある地点を発掘している現場を訪ねた。島の南側である。この看板は、テクズクあたりの道路沿いにあったのだったかな。
◆城久遺跡のあと、琉球国が進行するまでの間の歴史も、遺跡の調査でかなりわかってきている。

テーバルバンタ

◆Tさんにお勧めのスポットとして教えてもらったもの。喜界島は平均して1年間で2ミリ隆起しているのだそうである。そうした段丘地形がよくわかる場所とのこと。
◆1泊目、名瀬のホテルで、カメラのバッテリーをフル充電したのだが、なぜだか、喜界では最初から赤ランプ。今日1日、それでもだましだまし撮影してきたが、ついに絶命した。これ以降はスマホです。

阿伝の集落

◆石灰岩の石垣で有名。とはいえ、歴史民俗資料館の解説では、米軍の空爆でけっこう村々はやられ、いまの石垣は戦後のものと書いてあった。風の強い南西諸島の島では、屋敷を石垣で囲うことは共通しているようだ。
◆喜界島にもあちこちに残るが、ここ阿伝がもっともその景観を伝える。これって、文化的景観ではとも思う。が、菅浦もそうであるが、いまは空き屋も多く、屋敷地も自然に帰りかけているものが多い。人の暮らしが続いてこその文化的景観だろうとも。なかなか難しい問題である。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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