人を幸せにする人になろう

ガジュマルの樹

◆町の指定文化財である。確かにでかい。

テクズク遺跡群の看板

◆昔来たとき、Tさんが、圃場整備にかかる発掘で、すごい人数の作業員さんとテクズク遺跡群のある地点を発掘している現場を訪ねた。島の南側である。この看板は、テクズクあたりの道路沿いにあったのだったかな。
◆城久遺跡のあと、琉球国が進行するまでの間の歴史も、遺跡の調査でかなりわかってきている。

テーバルバンタ

◆Tさんにお勧めのスポットとして教えてもらったもの。喜界島は平均して1年間で2ミリ隆起しているのだそうである。そうした段丘地形がよくわかる場所とのこと。
◆1泊目、名瀬のホテルで、カメラのバッテリーをフル充電したのだが、なぜだか、喜界では最初から赤ランプ。今日1日、それでもだましだまし撮影してきたが、ついに絶命した。これ以降はスマホです。

阿伝の集落

◆石灰岩の石垣で有名。とはいえ、歴史民俗資料館の解説では、米軍の空爆でけっこう村々はやられ、いまの石垣は戦後のものと書いてあった。風の強い南西諸島の島では、屋敷を石垣で囲うことは共通しているようだ。
◆喜界島にもあちこちに残るが、ここ阿伝がもっともその景観を伝える。これって、文化的景観ではとも思う。が、菅浦もそうであるが、いまは空き屋も多く、屋敷地も自然に帰りかけているものが多い。人の暮らしが続いてこその文化的景観だろうとも。なかなか難しい問題である。

風が強まり波高く

◆小野津の集落へ下りて行ったが、風が強まり、白波が海岸に押し寄せている。北端をまわり、灯台に行き、平家上陸の地に行く。壇ノ浦の後、平資盛以下約200名が、奄美大島などに渡る前に喜界島(志戸桶集落)に最初に上陸したという。

ムチャカナ公園

◆ムチャカナの話はネットで調べてみてください。母親は喜界島にたどりつき、娘は突き落とされて、奄美に遺体が流れ着いたんですね。とはいえ、これもネットで読んだひとつで、説話にはいろんなバリエーションがあるよう。

サトウキビの一本道

◆喜界島では著名なビューポイントである。

埋蔵文化財センター

◆2回目の訪問である。展示室は1室であるが、城久遺跡以外を含めた、喜界町の遺跡調査でわかってきたことをまとめている。
◆圃場整備事業がずっと続いているようで、あちこちで工事現場を見た。これにより遺跡の調査もけっこう大変なようである。サトウキビという、この島を成り立たせている重要産業の環境を整えることは重要であるが、遺跡の保存とを両立させてほしいものである。

城久遺跡

◆前に来た時、国史跡にはなっていなかったが、遺構表示をしている場所を、1か所、見た記憶がある。
◆その後、国史跡となり、この看板も新しい。歴史民俗資料館には、遺跡の紹介はあるが、まとまった展示スぺ―スを設けるところまではいっていない。出土品を見るには、埋蔵文化財センターに足を伸ばすのがよい。いずれまとまったガイダンス施設なども設けてほしいものである。

サトウキビの刈り入れ

◆いまちょうど刈り入れのシーズンなだそうです。3月・4月までが忙しい時期になる。刈り入れては、黒糖の工場に運び込まれる。
◆傾いたようなサトウキビも、このマシンで刈り込み、軸部以外は吐き出され、軸部は数10センチほどの長さに切断され、大きな収穫袋に詰められ、それを回収するトラックが走り回っている。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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