人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2024年12月22日 神棚の仕舞
◆カミサンの実家は、2月に人の手にわたる。その話が整う前の、親類一同の集まりや、購入を希望する相手さんとの仲介業者との話し合いにも、今年、立ち会った。立派な家だが、空き家で傷んでいくよりも、そこに住み、果樹栽培をしたい方に使ってもらうのはいいことなんだろう。相手さんはそこそこ年配の方で、既に別のところで栽培をやっているとのこと。この先、場所を変えてやりたいと望んでいる人に使ってもらえるわけだ。
◆相続の時に、カミサンはわずかな農地を継ぎ、家屋敷やいま残る農地はすべて、東京の義弟が相続した。義弟は売却や、それにともなう不具合な箇所を直すことを、この間、少しずつ進め、やってくる時はカミサンとともに立ち会って来た。このあいだの仏壇の処理には行けなかったが、この日は神棚の始末。長谷村は小さな村であるが、神社の宮司さんは在村している。儀式は、高天原から家の守り神として来てもらった神にお帰りいただく、というもののよう。
◆大きい家で、モノが膨大だが、この先、2回に分けて引き取り処分業者が来ることになっている。なので、この間にも、少しずつ片付けて、うちに持ち帰ったものもあるが、たいした量ではない。が、これから2月までの間に、いよいよ、親の残したもののうち、取
っておくものを時間をかけて選び、持ち帰る作業が必要となる。年末には2日間かける予定である。
◆22日は終了後、義弟を鈴木屋敷と藤白神社に案内する。藤白坂を少し歩いて上がったが、和歌山の海を眺望できるところまでは行けず、引き返した。写真は少し上がっていったところから見た海南の市街地である。
◆相続の時に、カミサンはわずかな農地を継ぎ、家屋敷やいま残る農地はすべて、東京の義弟が相続した。義弟は売却や、それにともなう不具合な箇所を直すことを、この間、少しずつ進め、やってくる時はカミサンとともに立ち会って来た。このあいだの仏壇の処理には行けなかったが、この日は神棚の始末。長谷村は小さな村であるが、神社の宮司さんは在村している。儀式は、高天原から家の守り神として来てもらった神にお帰りいただく、というもののよう。
◆大きい家で、モノが膨大だが、この先、2回に分けて引き取り処分業者が来ることになっている。なので、この間にも、少しずつ片付けて、うちに持ち帰ったものもあるが、たいした量ではない。が、これから2月までの間に、いよいよ、親の残したもののうち、取
◆22日は終了後、義弟を鈴木屋敷と藤白神社に案内する。藤白坂を少し歩いて上がったが、和歌山の海を眺望できるところまでは行けず、引き返した。写真は少し上がっていったところから見た海南の市街地である。
浮き沈み
◆このところ浮き沈みが・・・。やらないといけないこともあるが、研究的なものにも走ってしまう。ちょこちょこ前方後円墳をいじるが、ことごとくうまくいかない。落ち込みます。しばらく遠ざかりたい気になる。で、業務的なこともさぼるので、これもまた精神的な負担になる。うまくバランスが取れない。
◆いまの大阪の歴史文化研究拠点の仕事に邁進することですね。なかかな、鉄の仕事に入れません。
◆いまの大阪の歴史文化研究拠点の仕事に邁進することですね。なかかな、鉄の仕事に入れません。
白馬岳
◆で白馬岳。翌朝、猿倉までバス、白馬岳2932mに登る。そこから撮影した黒部川の写真を記憶している。このマップを見ていて、栂池に下りたような気もするが、定かではない。糸魚川に出て、北陸線で京都に戻る。
◆2日連続で3000m弱に登った。体力的にピークだったんでしょう。そうか、まだ3000m級には登ってないな。でももうこれからはダメですな。
スタジア測量
◆手元に、近藤義郎先生本の『発掘調査の手びき』初版がある(高校の時に買った自分の本はどこへ行ったのやら)。
◆これでトラバース測量なるものを学ぶ。で、事例として挙がっている牧野車塚古墳というものも知る。古墳を測量するのに、トランシットで角度を測り、鋼尺で距離を測り、それを内業で誤差を配分する。丁瓢塚古墳の測量の時にこれをやった。研究室のトランシットを借りたんでしょうね。O助手から「貸したるから『史林』に報告を書け」といわれたように記憶する。とはいえ、1度出撃してそれをやり、本戦は平板だけだったのかな。白マイラーだったように思う。誤差配分の計算はできたとして、白マイラーに100分の1で杭位置を落としたんだろうか。どうやって正確に落とすんでしょうね。原図を引っ張り出せばいのだが、どこにあるのやら。
◆自分がやっている測量は、200m級でも適当です。開放トラバース。1㎝誤差が出ても「歴史は変わらん」と。1㎝程度ならいいのだが、時には3㎝程度異なることもある。ままよ。
◆でスタジア測量。やったことも、おぼろげにある。レンズをのぞいてスタジア線間の間隔を読み取ればいいのだと。いつごろ、どこでやったのかな。
◆『発掘調査の手引き』における牧野車塚古墳を例とした測量の説明。平板の横にトランシットを立てて(2mくらい離れているのがいいのだそうだ)、その位置を平板上の紙にも落とす。測点をレベルで出すのは同じ。測点が決まれば、アリダードで細線で直線を引いておき、トランシットによるスタジア測量で算出した距離を、紙に落としたトラ位置から、その距離をこの細線上に求めて(交差させて)点を落とす、ということのよう。
◆会津大塚山古墳の測量の時は、WILDのRK1というものにお目にかかった。これエスロンテープを張り距離を測る必要がないマシン。アリダードの物差しが動くようになっていた記憶がある。
◆これでトラバース測量なるものを学ぶ。で、事例として挙がっている牧野車塚古墳というものも知る。古墳を測量するのに、トランシットで角度を測り、鋼尺で距離を測り、それを内業で誤差を配分する。丁瓢塚古墳の測量の時にこれをやった。研究室のトランシットを借りたんでしょうね。O助手から「貸したるから『史林』に報告を書け」といわれたように記憶する。とはいえ、1度出撃してそれをやり、本戦は平板だけだったのかな。白マイラーだったように思う。誤差配分の計算はできたとして、白マイラーに100分の1で杭位置を落としたんだろうか。どうやって正確に落とすんでしょうね。原図を引っ張り出せばいのだが、どこにあるのやら。
◆自分がやっている測量は、200m級でも適当です。開放トラバース。1㎝誤差が出ても「歴史は変わらん」と。1㎝程度ならいいのだが、時には3㎝程度異なることもある。ままよ。
◆でスタジア測量。やったことも、おぼろげにある。レンズをのぞいてスタジア線間の間隔を読み取ればいいのだと。いつごろ、どこでやったのかな。
◆『発掘調査の手引き』における牧野車塚古墳を例とした測量の説明。平板の横にトランシットを立てて(2mくらい離れているのがいいのだそうだ)、その位置を平板上の紙にも落とす。測点をレベルで出すのは同じ。測点が決まれば、アリダードで細線で直線を引いておき、トランシットによるスタジア測量で算出した距離を、紙に落としたトラ位置から、その距離をこの細線上に求めて(交差させて)点を落とす、ということのよう。
◆会津大塚山古墳の測量の時は、WILDのRK1というものにお目にかかった。これエスロンテープを張り距離を測る必要がないマシン。アリダードの物差しが動くようになっていた記憶がある。
小野山先生の訃報
◆11月29日にお亡くなりになったとの連絡を受ける。昭和6年の生まれ、佐原さんが7年で、タナカタクさんが8年だったかと。ほぼ親世代です(S7)。
◆1983年に入学するも専攻分属は3回生から。1・2年次の教養科目に考古学の授業はないが、1983年の物集女車塚古墳の調査の時、先生が来られたと思う。小林行雄先生も(小林先生を見たのはこれが最初で最後でした)。都出先生も、同じ夏に長法寺南原古墳を発掘していて、みなで見学に行ってお見かけした。
◆次は3年生になった1985年なんだろう。概論だけだったか、いわゆる研究の授業もあったのか、覚えていない。前年までは演習も洋書講読も小野山先生だったと聞いている(年を取ると確からしさが失われる)。それが1985年から、前年着任の山中先生が演習も洋書講読も担当となる。4回生では卒論演習を受けた。卒論演習の12月の授業で、英文が配られ読解せよ、と。これが大学院入試の予行演習だったのだと、あとで知る。2月だったかの大学院入試に失敗し、「英語がね~、12月の時はできてたんだけどね~」とのお言葉。
◆3回生の時、近藤義郎先生からの楯築発掘への参加者募集の紙が
掲示される。それを見て小野山先生のところに「行きたい」と言いに行ったな。それと、1989年の文学部博物館のオープニング。椿井大塚山古墳と三角縁神獣鏡の展示準備の最終日、O助手・H助手・Mさんによる展示設営を手伝っていて、終わったあと、日仏会館でおいしいものをごちそうになった。
◆おこられたのはD1の時。武藤誠先生から頼まれ兵庫県史の嘱託になり(相談すべきですよね)、呼び出され「君はなんでドクターに上がったのか」と怒られた。どう答えたのかは覚えていない。あれで、専攻生としてはハズレになったのでしょう。で、その年にナブンケンの募集があり、まず声をかけられた。すぐに返事はしなかったが、そのあと受けますと伝えた。
◆先生と撮った写真はなさそうだ。1枚出しておく。これは椿井大塚山古墳の測量の時なので1988年?、陣中見舞いに来られた時のもの。小林行雄の測量の方法を教えていただいたのは、たぶんこの時。『発掘調査の手引き』には書いてあるのでは。アリダードでのぞくとして、テープで距離を測るのとは違うやり方。写真は差し入れのチョコを撮影したもの。
◆あんまりよくできた弟子ではなかっただろう。著書をお送りしたが、ざっとでも目を通していただいたのだろうか。それが気になります。ご冥福をお祈りします。
◆1983年に入学するも専攻分属は3回生から。1・2年次の教養科目に考古学の授業はないが、1983年の物集女車塚古墳の調査の時、先生が来られたと思う。小林行雄先生も(小林先生を見たのはこれが最初で最後でした)。都出先生も、同じ夏に長法寺南原古墳を発掘していて、みなで見学に行ってお見かけした。
◆次は3年生になった1985年なんだろう。概論だけだったか、いわゆる研究の授業もあったのか、覚えていない。前年までは演習も洋書講読も小野山先生だったと聞いている(年を取ると確からしさが失われる)。それが1985年から、前年着任の山中先生が演習も洋書講読も担当となる。4回生では卒論演習を受けた。卒論演習の12月の授業で、英文が配られ読解せよ、と。これが大学院入試の予行演習だったのだと、あとで知る。2月だったかの大学院入試に失敗し、「英語がね~、12月の時はできてたんだけどね~」とのお言葉。
◆3回生の時、近藤義郎先生からの楯築発掘への参加者募集の紙が
◆おこられたのはD1の時。武藤誠先生から頼まれ兵庫県史の嘱託になり(相談すべきですよね)、呼び出され「君はなんでドクターに上がったのか」と怒られた。どう答えたのかは覚えていない。あれで、専攻生としてはハズレになったのでしょう。で、その年にナブンケンの募集があり、まず声をかけられた。すぐに返事はしなかったが、そのあと受けますと伝えた。
◆先生と撮った写真はなさそうだ。1枚出しておく。これは椿井大塚山古墳の測量の時なので1988年?、陣中見舞いに来られた時のもの。小林行雄の測量の方法を教えていただいたのは、たぶんこの時。『発掘調査の手引き』には書いてあるのでは。アリダードでのぞくとして、テープで距離を測るのとは違うやり方。写真は差し入れのチョコを撮影したもの。
◆あんまりよくできた弟子ではなかっただろう。著書をお送りしたが、ざっとでも目を通していただいたのだろうか。それが気になります。ご冥福をお祈りします。
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自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。