人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2013年3月22日、49歳になっちまった
◆49歳はカラオケ屋でむかえる。カラオケはぜんぶで3部屋に別れていて、2部屋を移動しながら謳ったりなんぞしていたのだが、元の部屋から呼ばれ、なにごとかと思ったら、ハッピバースデイ to youの歌が流れた。茅野さん・木上さん、うれしかったですよ。ありがとう!
◆朝9:30に大阪市のユトミドの方と約束あり。今度開催される豊臣石垣公開施設の会議の事前のレクを受ける。なかなかよく考えられている。それから、和泉市史の2枚目の図をだいたい仕上げる。
◆で夕刻、考古の追いコンで、シンガ
ポール料理屋「梁亜楼」へ。うちのカミさんもいつも呼んでもらっています。難波高島屋から東に入ったところ。今年度の卒業生4人に加え、昨年の卒業生、来年度の新院生も入っています。18時から22時、ゆっくりとした時間を過ごしました。木建さんがいないのがチト寂しい・・・。が、だいぶオナカも大きくなり、呑み会に誘うことははばかられる。
◆昨年も同じく3月22日が追いコンとなり、誕生日ケーキが出てきてビックリしたが、今年もまた祝ってもらいました。アラフィフ、アラフィフ・・・。人間50年・・・、化天のうちを比ぶれば・・・。
◆朝9:30に大阪市のユトミドの方と約束あり。今度開催される豊臣石垣公開施設の会議の事前のレクを受ける。なかなかよく考えられている。それから、和泉市史の2枚目の図をだいたい仕上げる。
◆で夕刻、考古の追いコンで、シンガ
◆昨年も同じく3月22日が追いコンとなり、誕生日ケーキが出てきてビックリしたが、今年もまた祝ってもらいました。アラフィフ、アラフィフ・・・。人間50年・・・、化天のうちを比ぶれば・・・。
2013年3月21日、堺市
◆午後、堺市の会議が入り、堺東の市役所高層館20階の会議室。上から大仙とミサンザイがよく見えるのだが、カメラを
研究室に置いてきて携帯電話で撮影するも、データ取り出せず。(1)ニサンザイの調査について橋のことをめぐって議論。今年度、後円部で掘れなかった地点の調査を25年度、そして前方部は26年度にするとのこと。それと、(2)御廟表塚の調査成果のまとめ、(3)25年度に新たに調査を実施する削平された長山古墳の調査計画について、が議題。
◆ニサンザイも後円部の墳端が求められたことで、設計寸法が出せるはずだが、図面をいじっている余裕がない。
【追記】ちょとやってみました(すみません宮川先生の作成されたものを使わせてもらいます)。宮川先生の復元で、後円部はすんなり110歩だ。墳丘長や幅は、復元線にしたがった寸法で出したものが赤で、その歩数を10歩単位でまとめた案が青です。墳丘長200歩、前方部幅160歩でいいんでしょう。新たなレーザースキャン図もできたし、いよいよぜんぶ設計寸法を決めていくべき段階だ、な。
【追記2】この数字、2004年に出してました(「前方後円墳の墳急規模」)。
◆ニサンザイも後円部の墳端が求められたことで、設計寸法が出せるはずだが、図面をいじっている余裕がない。
【追記】ちょとやってみました(すみません宮川先生の作成されたものを使わせてもらいます)。宮川先生の復元で、後円部はすんなり110歩だ。墳丘長や幅は、復元線にしたがった寸法で出したものが赤で、その歩数を10歩単位でまとめた案が青です。墳丘長200歩、前方部幅160歩でいいんでしょう。新たなレーザースキャン図もできたし、いよいよぜんぶ設計寸法を決めていくべき段階だ、な。
【追記2】この数字、2004年に出してました(「前方後円墳の墳急規模」)。
元稲荷と乙訓の古墳群
◆梅本さんに丁寧に説明していただく。テラスの礫敷は(墳端外の礫敷もあり)乙訓でもほぼそうであると。渡辺さん(ナ
ベさんと呼ばれていた)がわざわざ現場に来られ、話をする。たぶんモズメの1983の頃は就職されてすぐの頃で、学生にとっては厳しく怖い存在でした。ちょうどそのころ光波が出始めで、トランシットの上に取り付けるタイプのものを向日市で導入したところで、ナベさんが測量していたことを憶えています。
◆で、文化庁時代。たぶん寺戸の前方部を掘っていて、それを見せてもらい、その時に寺戸・元稲荷・五塚原で史跡指定できるんちゃうか、みたいな話をしたらしい。もともとは京都府から打診されたのではなかったか。どんな言い方をしたのか、憶えてはいないが、いけるのではないかと言ったのだろう。その時に渡辺さんと話をしたのだが、あの時以来の群指定の模索を続けてきて、より広く乙訓の枠組みでの一括指定をめざしているのだという。そして元稲荷のデータが整った、と。長岡京市の恵解山もそうだが、粘り強い調査を続けている。長岡京をかかえ、その調査と保存に取り組んできた長岡京市と向日市、埋文に対する両市の長年の蓄積と、それによって構築してきた意識や姿勢に学ぶことは多い。
◆もひとつ。1960年に給水塔のために元稲荷の石室を壊したわけだが、この施設、6~7年で増加する人口増に追いつかず、別のものが造られ、以後は使われなくなったんだそうである。
【追記】この日の、学生との遺跡めぐりについて、ちゃんと記事にしていませんが、いずれまた。梅本さんが電話を入れてくださり、そのあと大山崎町の鳥居前古墳の現場も見せていただいた。ありがとうございました。
◆で、文化庁時代。たぶん寺戸の前方部を掘っていて、それを見せてもらい、その時に寺戸・元稲荷・五塚原で史跡指定できるんちゃうか、みたいな話をしたらしい。もともとは京都府から打診されたのではなかったか。どんな言い方をしたのか、憶えてはいないが、いけるのではないかと言ったのだろう。その時に渡辺さんと話をしたのだが、あの時以来の群指定の模索を続けてきて、より広く乙訓の枠組みでの一括指定をめざしているのだという。そして元稲荷のデータが整った、と。長岡京市の恵解山もそうだが、粘り強い調査を続けている。長岡京をかかえ、その調査と保存に取り組んできた長岡京市と向日市、埋文に対する両市の長年の蓄積と、それによって構築してきた意識や姿勢に学ぶことは多い。
◆もひとつ。1960年に給水塔のために元稲荷の石室を壊したわけだが、この施設、6~7年で増加する人口増に追いつかず、別のものが造られ、以後は使われなくなったんだそうである。
【追記】この日の、学生との遺跡めぐりについて、ちゃんと記事にしていませんが、いずれまた。梅本さんが電話を入れてくださり、そのあと大山崎町の鳥居前古墳の現場も見せていただいた。ありがとうございました。
歴博研究会
◆3月9日と10日は歴博だった。いつものように宴会風景からワンカット。新納先生と呑むなんて、実に久しぶりである。還暦、だそうである。物集女車塚1983年に30歳と言っていたのを思い出す。
◆この日、古代史の研究会も開催しており、のぞく
と森公章氏や坂井さんがいた。夜の懇親会は同じ会場。ほんとうに久しぶりの森さんに挨
拶に行く。坂井さんがこっちに来てくれて、『和泉郡の条里』の郷の話におよぶ。坂井さんに褒めてもらい、ほんとうにウレシイ。集落の話をする。道上君が奈良盆地についてやったという話も。そして前から聞きたかったことを聞く。律令期集落のあとの、沖積地の散居村って名ですよね、と。酔っぱらっていて、あんまり憶えてないが、たぶんそうだろうが、誰も言ってないんだとか。
◆翌日の帰り、いわゆる煙霧。スカイツリーがほとんど見えませんでした。
◆この日、古代史の研究会も開催しており、のぞく
◆翌日の帰り、いわゆる煙霧。スカイツリーがほとんど見えませんでした。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。