人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
なにかと
◆ヒストリアの原稿もかなり書いたがストップ。宣化陵は現・宣化陵なんでしょうね。やっぱり宣化がわからん。水
谷さんの言うように、親蘇我であったとして、即位したんだとすると、それなりの前方後円墳を築造するわな。鳥屋ミサンザイは140m、のちの平田梅山とほぼ同規模で、それでええんかもしれないが、五条野丸山がある。140mでええんか、と。だが、ムサツキノウエノ陵はやっぱり鳥屋ミサンザイなんやろうし。須恵器は古いとも、埴輪は新しいとも・・・。とほほ。
◆ついでに岡ミサンザイ以後にも手をのばし、それなりにやってみると気がつくこともあるが、なかなか古市末期の前方後円墳、ボケ山・峯塚・高屋築山・白髪山を配列するのは難しい。でもまあ、こんな順番らしい。で、清寧陵ってドレ?。白髪山は新しいんでしょ(白髪山なんて、清寧陵とされて以降の名前なんちゃうの?)。軽里大塚かな、とも思うが、埴輪からするとあわんみたいやし。まあ、文献のことはわからん、で、考
古学的にならべようとするが、なかなかシンドイ。2王並立みたいなものに合わせて考えようとしてしまう自分がいる。新納さんの言うことも、もっともや。やっぱり横目で文献とか、自分の2王並立論から、動かそうとしてしまう。それがあかんわけではないが、考古資料でいけるという根拠を積まないと・・・。
◆ついでに岡ミサンザイ以後にも手をのばし、それなりにやってみると気がつくこともあるが、なかなか古市末期の前方後円墳、ボケ山・峯塚・高屋築山・白髪山を配列するのは難しい。でもまあ、こんな順番らしい。で、清寧陵ってドレ?。白髪山は新しいんでしょ(白髪山なんて、清寧陵とされて以降の名前なんちゃうの?)。軽里大塚かな、とも思うが、埴輪からするとあわんみたいやし。まあ、文献のことはわからん、で、考
あさきゆめみし
◆このところ、『あさきゆめみし』を読んでいた。なにをやっているんでしょうか。「源氏物語って、あんな話なんや」
と言うと、カミさんが「よくそんなんで文学部に行ったな」と。「いずれのおおんときにか、にょうごこういあまたさぶらひたまいけるなかに、いとやんごとなききわにはあらぬが、」とそらんじると、「完全に受験だけやな」ともバカにされる。ま、そんなもんです。大学に入って、友人の高善雄くんが「紫の上作戦が理想や」と主張していたのを思い出す。
◆まあ訳本を読むわけがない。なんでか、谷崎訳の源氏物語をそろえてはいたが、読みはしない。マンガがちょうどよい。
◆それにしても、源氏物語ってよくできた話ですね。ストーリーとか・・・。女性が書いたところにも意義があるだろう。最後のところ、紫の上が死んだところの描写で、ズキンとくる表現が。いま原本がないが、「なんでオレはしあわせになれたのに、しあわせをつぶすようなことしかしてこなかったんだろう」というところ。オレは人をしあわせにできているんだろうかと自省する。
◆別に、里中真智子の『ギリシア神話』も読む。あは、何をやってるんでしょうね。これも勉強になる。これも「そうやったんや」と言うと、カミさんは「常識や」と。いや、これはよくできてるマンガですよ。
◆まあ訳本を読むわけがない。なんでか、谷崎訳の源氏物語をそろえてはいたが、読みはしない。マンガがちょうどよい。
◆それにしても、源氏物語ってよくできた話ですね。ストーリーとか・・・。女性が書いたところにも意義があるだろう。最後のところ、紫の上が死んだところの描写で、ズキンとくる表現が。いま原本がないが、「なんでオレはしあわせになれたのに、しあわせをつぶすようなことしかしてこなかったんだろう」というところ。オレは人をしあわせにできているんだろうかと自省する。
◆別に、里中真智子の『ギリシア神話』も読む。あは、何をやってるんでしょうね。これも勉強になる。これも「そうやったんや」と言うと、カミさんは「常識や」と。いや、これはよくできてるマンガですよ。
岩崎山4号の斜縁二神四獣鏡
◆1992年10月22日、科研で香川に行き、岩崎山4号墳の鏡の拓本と断面図を作った。津田町の資料館の鍵を
開けてもらい、しばらく籠もった記憶がある。そのあと、富田に行ったような・・・。
◆この科研で年度末にニコンのカメラを買ったが、このときは、高校以来使っていたペンタがしばらく前に壊れて以来、バカチョンしかなく、ろくな三脚もなかった(新婚旅行をするときに、このバカチョンを買ったのだったか・・・)。前にカメラのことをブログに書いた時、大学院の頃にニコンを買ったように書いた記憶があるが間違いであることを思い出す。この鏡の写真のネガもデジタル化したはずだが、どうなったかもはや定かでない。
◆この鏡、津堂に2面の同笵鏡がある。この岩崎山の拓本や断面図を使うこともなかったが、もしかすると津堂がらみで使うことになるかもしれない。この2面が、関大に破片がそれぞれあって、くっついたというもの。
◆この科研で年度末にニコンのカメラを買ったが、このときは、高校以来使っていたペンタがしばらく前に壊れて以来、バカチョンしかなく、ろくな三脚もなかった(新婚旅行をするときに、このバカチョンを買ったのだったか・・・)。前にカメラのことをブログに書いた時、大学院の頃にニコンを買ったように書いた記憶があるが間違いであることを思い出す。この鏡の写真のネガもデジタル化したはずだが、どうなったかもはや定かでない。
◆この鏡、津堂に2面の同笵鏡がある。この岩崎山の拓本や断面図を使うこともなかったが、もしかすると津堂がらみで使うことになるかもしれない。この2面が、関大に破片がそれぞれあって、くっついたというもの。
森浩一先生
◆大阪府の鏡の件で、森浩一先生に撮影のお願いの手紙を書き、本日、承諾書ならびにお手紙、それと抜き刷
りをいただく。森先生をはじめて見たのは五條野丸山の見学会。名刺を取り交わしたのは2008年の和泉市の黄金塚シンポである(写真)。
◆手紙のなかで百舌鳥大塚山の鏡の保管場所が分離している経緯など、森先生の調査関係のことをお知らせいただいた。ありがたいことである。さっそく、お礼状と、こちらの書いたものを送る。
◆抜き刷りは、邪馬台国の会での講演録である。三角縁神獣鏡の理解はまったく異なるが、目についたのは、森先生が同志社に赴任したが、大学院の授業はまだもてない時期に、水野清一先生がずっと非常勤講師で通っていたことである。そして「考古学は遺跡にもとづく歴史学」との定義を水野先生から学んだことを知る。つながっていたんですね。水野先生の書いたものとして『世界考古学大系』第16巻の「考古学の問題」(1962年)があることを知る。
◆まあ、この抜き刷りでも、京大はいろいろ悪口を書かれていますね。そんなことは、もはやどうでもいいのだが。気になって、放送大学の新しいテキスト(2009)を見る。これほぼ京大の教員で固めてある。そこでは濱田の定義は遺構も含むものだったが、「人間の残したあらゆる行動の痕跡」により「人類の過去を研究する学問」と再定義している。そして、遺物・遺構・遺跡に大別されると。
◆まず、やっぱり濱田が出発点なのである。その言い直しというのはどうなんでしょうね。「人間の残したあらゆる行動の痕跡」って、ふつう遺跡と言い、「人類の過去を研究する学問」とはふつう歴史学と言うと思うのだが・・・。オレはそれよりも、水野先生のずばっと、実態をとらまえて「われわれが相手にするのは遺跡なんだ」と自ら定義する姿勢に共感する。
◆手紙のなかで百舌鳥大塚山の鏡の保管場所が分離している経緯など、森先生の調査関係のことをお知らせいただいた。ありがたいことである。さっそく、お礼状と、こちらの書いたものを送る。
◆抜き刷りは、邪馬台国の会での講演録である。三角縁神獣鏡の理解はまったく異なるが、目についたのは、森先生が同志社に赴任したが、大学院の授業はまだもてない時期に、水野清一先生がずっと非常勤講師で通っていたことである。そして「考古学は遺跡にもとづく歴史学」との定義を水野先生から学んだことを知る。つながっていたんですね。水野先生の書いたものとして『世界考古学大系』第16巻の「考古学の問題」(1962年)があることを知る。
◆まあ、この抜き刷りでも、京大はいろいろ悪口を書かれていますね。そんなことは、もはやどうでもいいのだが。気になって、放送大学の新しいテキスト(2009)を見る。これほぼ京大の教員で固めてある。そこでは濱田の定義は遺構も含むものだったが、「人間の残したあらゆる行動の痕跡」により「人類の過去を研究する学問」と再定義している。そして、遺物・遺構・遺跡に大別されると。
◆まず、やっぱり濱田が出発点なのである。その言い直しというのはどうなんでしょうね。「人間の残したあらゆる行動の痕跡」って、ふつう遺跡と言い、「人類の過去を研究する学問」とはふつう歴史学と言うと思うのだが・・・。オレはそれよりも、水野先生のずばっと、実態をとらまえて「われわれが相手にするのは遺跡なんだ」と自ら定義する姿勢に共感する。
柴籬神社
◆ここへ行ったのは、大塚山から出た手水鉢を見るため。4月の見学会でも行ったが、そ
のとき、ちゃんと写真を撮っていなかった。きのうふと、「ごぼ石」の写真を見ていて、この手水鉢、もしかして「ごぼ石」とくっつくのではないかと思った。『書陵部紀要』の写真を見ていて、矢穴で割られた面が船の形をしていて、これってシバガキ神社の手水鉢ちゃうか、と思った次第。
◆ま、それはともかく、柴籬神社。神社の中を掘るのは難しいんでしょうね。だけど、柴籬宮跡なんて伝承について、どっちかというと根も葉もないこととは思わない。それこそ古墳時代の王宮は、反正が死んだあとも継承されていくものだろう。どっかで途絶えるにしても、どっかまではなにがしかの特別な土地利用が続き、そこに神社が営まれることは十分にありうることだろう。境内地を掘れば、掘立柱建物が出てくるので
は?。なんちゃって。
◆話は変わるが、河内国府はなにもわかっていない。瓦葺きなのに。かねてからの経験で、総社を掘れば出る。三河も武蔵も播磨も、あとは忘れた。河内の総社、ちっぽけに成り下がっていたようにも思うが、きっと、そのあたりが国衙だ。
◆ま、それはともかく、柴籬神社。神社の中を掘るのは難しいんでしょうね。だけど、柴籬宮跡なんて伝承について、どっちかというと根も葉もないこととは思わない。それこそ古墳時代の王宮は、反正が死んだあとも継承されていくものだろう。どっかで途絶えるにしても、どっかまではなにがしかの特別な土地利用が続き、そこに神社が営まれることは十分にありうることだろう。境内地を掘れば、掘立柱建物が出てくるので
◆話は変わるが、河内国府はなにもわかっていない。瓦葺きなのに。かねてからの経験で、総社を掘れば出る。三河も武蔵も播磨も、あとは忘れた。河内の総社、ちっぽけに成り下がっていたようにも思うが、きっと、そのあたりが国衙だ。
松原市民ふるさとぴあプラザ
◆去年初めて行って、今日が4回目くらい。目的は柴籬神社に行くためだが、まず立ち寄る。松原市はけっこうネットで市内の発
掘調査の成果や歴史について公開しているが、そういうものを展示施設に盛り込
むには手狭であるのが残念。道案内や現地の説明看板も充実し、普及事業には力を入れているところなのだが。図書館とか文化会館はもっと立派なんですけどね。
◆特別展示室などは、会期中以外は閉めておくのではなく、年柄年中、常設で並べきれない部分を、入れ替わり立ち替わり展示するのはどうだろうか。なんとか展といったものでなくとも、『松原市史』も出ており、順番に、そうした成果をかみくだいて解説するようなものを、順次入れていってはどうなんだろうか。
◆それと、なにか常設展示図録というよりはカラー普及版の『松原の歴史』といった冊子を作ることも有効だろう。スペースはないけれども、そこに行けば、手頃な値段でざっと概観できるようなスグレモノの図録があるのは、必要なことではないだろうか。
◆それとよく思うのは、展示でよくできたパネルを見ると、その図が欲しいと思いませんか。わかりやすいし、なにか使うこともあるんちゃうかと。で、図録にそういうものが採録されているのが普通ではあるが、そういうものがないと、展示施設のパネルこっきりで終わってしまうのだ。
◆特別展示室などは、会期中以外は閉めておくのではなく、年柄年中、常設で並べきれない部分を、入れ替わり立ち替わり展示するのはどうだろうか。なんとか展といったものでなくとも、『松原市史』も出ており、順番に、そうした成果をかみくだいて解説するようなものを、順次入れていってはどうなんだろうか。
◆それと、なにか常設展示図録というよりはカラー普及版の『松原の歴史』といった冊子を作ることも有効だろう。スペースはないけれども、そこに行けば、手頃な値段でざっと概観できるようなスグレモノの図録があるのは、必要なことではないだろうか。
◆それとよく思うのは、展示でよくできたパネルを見ると、その図が欲しいと思いませんか。わかりやすいし、なにか使うこともあるんちゃうかと。で、図録にそういうものが採録されているのが普通ではあるが、そういうものがないと、展示施設のパネルこっきりで終わってしまうのだ。
大阪府の条例
◆さっそくにブチ挙げていますね。なかなかコメントは簡単でない。教育が政治的中立を保っているとは言えませんよね。文科省というところがある。教科書検定がある。文科省が教員給与などの予算はつけるが、教育内容は、政府・国会・文科省から完全に独立した機関が扱うのならいいが、そうではない。大元の国がそうである。まして、地方の教育委員会制度が、なんぼアメリカ式独立行政委員会といったって、首長の意向が大きい。そもそもそういうもんなんである(いいといっているわけではない)。君が代起立条例は憲法違反だと思っている。ひとまずそこまでにしておく。
◆もうひとつは、これ、ちゃんと読んでないけど、市議や府議が提案するらしいが、やるなら、まず市議・府議の基本条例と罰則明記ではないのか。マンガを買うとか、ワインを買うとか、賄賂をもらったとか、入札情報をもらしたとか、海外に視察に行ってほとんど遊んできたとか、収支報告の領収書が抜けていたとか、そういうことの免職規定を含めた厳罰化を明記した条例をまずは通すべきでしょう。
◆もうひとつは、これ、ちゃんと読んでないけど、市議や府議が提案するらしいが、やるなら、まず市議・府議の基本条例と罰則明記ではないのか。マンガを買うとか、ワインを買うとか、賄賂をもらったとか、入札情報をもらしたとか、海外に視察に行ってほとんど遊んできたとか、収支報告の領収書が抜けていたとか、そういうことの免職規定を含めた厳罰化を明記した条例をまずは通すべきでしょう。
もひとつ、雄略陵
◆天野さんが岡ミサンザイは雄略陵と言った。コレは明言してますよね。たぶん、発言に至るよりもかなり前から「そうちゃうか」と思ってはったはずだ。まあそれはいい。たぶん、その後、多くの人はそれでいいと考えているんでしょうね。が、あんまりみんな明言しませんね。
◆オレも書いたことはない。まあ、エエンとちゃうとは思っているが、いざ書くとなれば、ちゃんと書く必要があるから。岡ミサンザイは丹南郡、かつての丹比郡だから、それからもOKなんだろう(古代の丹比郡の郡界を復元するのは困難かもしれんが、不勉強)。
◆来年2月に、古市古墳群の終焉について考える機会がありそうなので、そのときに、古市の終わりと継体擁立の問題を考えるつもり。自ずから岡ミサンザイについても決めることになろう。
◆オレも書いたことはない。まあ、エエンとちゃうとは思っているが、いざ書くとなれば、ちゃんと書く必要があるから。岡ミサンザイは丹南郡、かつての丹比郡だから、それからもOKなんだろう(古代の丹比郡の郡界を復元するのは困難かもしれんが、不勉強)。
◆来年2月に、古市古墳群の終焉について考える機会がありそうなので、そのときに、古市の終わりと継体擁立の問題を考えるつもり。自ずから岡ミサンザイについても決めることになろう。
古市・百舌鳥の埴輪の研究
◆埴輪をやっていない者からすると、ちょっとわかりにくいのは、Bヨコの細分などにもとづく、古市・百舌鳥の古墳の築造順がどのように固まってきたのか、という研究史。それまでの地形および上田さんの墳丘型式など、それらにもとづく配列が、川西編年でおおまかにⅢ期とⅣ期に区分されたと、その先である。
◆一瀬さんなんでしょうね。また、藤井寺のガイドブックも1986年と古い。「円筒埴輪総論」が1978年、そこからどのように進化をとげたのか、だれかまとめてくれないものか。
【追記】白石科研で十河さんがちゃんと念入りにまとめてくれていました。ありがとうございます!
◆一瀬さんなんでしょうね。また、藤井寺のガイドブックも1986年と古い。「円筒埴輪総論」が1978年、そこからどのように進化をとげたのか、だれかまとめてくれないものか。
【追記】白石科研で十河さんがちゃんと念入りにまとめてくれていました。ありがとうございます!
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。