人を幸せにする人になろう

下宮の水利

◆今回の合同調査でたどった水路を、翌日、イラレに落とし込んだもの。下宮町の範囲についても不十分ですね。帰ってきてからグーグルを見ると、二ノ井の取水口はもうちょっとで確かめられたようです。下準備が足りません。一方、一ノ井は槇尾川(父鬼川)をかなりさかのぼったところに取水口があるようだ。大野のところらしい。和歌山へ行くとき、京奈和が多いが、鍋谷峠から「かつらぎ町」へ出るルートもけっこう通った。阪和道の和泉岸和田ICで下り、和泉市のララポートから工業団地を抜け、外環に出て、大野のところで南に折れる。あの谷が父鬼川(槇尾川)なんですね。
◆今度通る時があったら取水口を見に行こうか。とはいえグーグルで見ても途中でわからなくなる。旧の170号線をたどり、川を覗いて堰を確認するのが近道か。

2025年9月23日(火・祝)

◆朝8時過ぎから職場にいます。スピード感のない者は、休みの日も出勤し、時間をかけ、ちょこちょこ仕事をこなすほかない。
◆今日の新聞。大阪高松大司教さんの話が載っていた。この教会、玉造にあるんですね。難波宮から東の環状線側に進んでいくとある。たぶん見たことがある。プラザ合意の記事。ロヒンギャの特集記事もあった(第1回)。それと自民総裁選の記事。奈良県選出議員の、皇室典範のことと、自衛隊の憲法明記の2つが日本にとってもっとも重要なんだとか。もう1人も自衛隊の明記に加え、防衛費GDP2%ではとうてい足りない、との発言をしたという。国民のことを大事にしているとは思えません。能登の復興住宅の建設の遅れをどう考えているのだろう。
◆明日のオープニングセレモニー用のレンタル器材が運び込まれ、準備が進められている。

寝屋川と第2寝屋川

◆新キャンパスの東を平野川が流れ、北を第2寝屋川が流れる。寝屋川と第2寝屋川について少し調べ、地図に記入してみました。

2025年9月17日(水)合同調査3日目

◆3日目。朝から2時間半くらい、水路の源流をめざす。道の左の水路が二ノ井、その左斜面の上に(高低差10mくらいか)一ノ井があって、並走している。
◆いつもなら、大きめに印刷した書き込み用の地図を用意するのだが、今年は全然余裕なし。実行委員会作成の地図を使って、それに記入していった。記憶の新しいうちに整理しておかなければならない。

2025年9月16日(火)合同調査2日目

◆初日は終了後に森之宮に行き、仕事をしました。それで終わらせたつもりなんですが、まずい点に気づき差し替えが必要となり、また明日、つまりは本日にズレ込む。
◆合同調査2日目は、和泉中央駅の集合時間に遅れる。午前は農業関係の聞き取り調査に参加する。泉州、そしてここ横山にとって、昭和20年代・30年代のみかん景気はすごかったわけです。収穫時期には主に北陸から出稼ぎ者が多く来ていたらしい。横山地区の盆地周囲の山々はみな「みかん山」だったわけです。
◆午前の終了後、昨日の仕事の続きをやっつける(場所を移して)。14時過ぎに下宮に戻り、午後は、1人、水路を歩く。写真はオノウト神社の前を通る二ノ井の水路。

2025年和泉市合同調査

◆15・16・17日で、和泉市横山地区の下宮町で実施。840和泉中央で院生らを乗せて現地へ。初日の月曜日は敬老の日。午前、ある班と村を歩く。旧道に面した古い家屋にみかん蔵がまだ残っている。この旧道は、槙尾川沿いに池田谷に抜けるほんとの旧道。村は山裾の道沿いに長くのびる。デンバタは、そこから槇尾川までの段々に下がる緩傾斜地。歩いていくと山側に大きな墓地がある。これ横山地区の共同墓地だそうである。
◆午後は町会の聞き取りに参加。「支配割」という言葉があるのですね。200戸を越えていたのが、いま135戸だそうである。いまの町会の活動を担うのは自分より10歳くらい上の世代だろうか。家があり、田があり山もある。通えるところで就職し、家を継いできた人たちである。しかし離れる人も当然出てくる。空き家も多くなり、耕作していないデンバタも増えていく。いまの日本の縮図ですと、町会長さん。

令和の5公5民というそうです

◆9月14日、いまシンドイ作業をやっていますが、仲間に助けられ、今日・明日頑張れば何とかなりそうなところまで、こぎつけています。
◆右図、税と保険料をあわせ、半分近く取られるとのこと。

大歴考古部会

◆9月例会です。

報 告:西川 輝政 氏
演 題:古墳時代前期における円筒埴輪の規格
日 時:2025年9月19日(金)19時~
会 場:阿倍野市民学習センター 和室
(あべのベルタ3階。地下鉄・JR 天王寺駅/近鉄阿部野橋駅より徒歩8 分)
[報告者コメント]
古墳時代に用いられた埴輪のうち最も古く位置づけられる「Ⅰ群」の円筒埴輪は、吉備地域の特殊器台を基に創出され、畿内地域を中心として各地で受容された。円筒埴輪に見出せる諸要素のうち、口縁部高、突帯間隔、底部高は、円筒埴輪の規格性と関係する。今回の発表では、規格に着目してⅠ群円筒埴輪の分類を行い、その変遷や分布の検討を踏まえて、古墳時代前期における円筒埴輪の様相について考察する。

松岳山古墳の復元は難しい

◆測量概報で、およその段築復元案を示した。が、ちゃんとテラス面を取って、上・中・下段に塗り分けた復元図を出しているわけではない。現在は、前方後円墳の段築復元をする際、主軸にあわせて配置し復元する手順のスタンダードを決めている。が、松岳山についてはやっていない。国土座標のまま、測量図の報告として出し、それに復元線を入れたにとどまる。
◆で、やってみるか、と。ひとまず概報段階の復元をなぞったものを作成した。前方部前面は主軸と斜交するとみるほかないのだが、ひとまず直交で(下段をどう収めてよいか容易には決められないので)。
◆全体として、テラス面にあたるとおもわれる平坦面あるいは緩斜面部もあるが限られている。再度、図面をにらみながら、妥当な調整をする必要がある。そして、やはり現場に行かないといけませんね。図面をもって斜面をくまなく歩き、垂直壁が顔を出しているところはないだろうが、テラス面をさぐり、所見を記入していくことをやらないとダメですね。
◆紫金山も難しい・・・

石炭を使ったことがありますか

◆どのくらいの世代まで石炭を使ったことがあるのだろうか。小学校の頃、石炭ストーブだったかもしれないが覚えていない。弁当を温めていた記憶があるが、小学校は給食なので、小学校以前の記憶か。自分の世代は、ものごころついた頃、家ではおそらく既に石油ストーブになっていた。石炭ストーブを見たことはない。1970年頃には石炭は身近なものでなくなっている。
◆ところが大学時代の1980年代。クラブの部室は石炭ストーブで、石炭の配給があった。なくなったら学生部にもらいにいくのだろう(記憶はないが)。そこで、ストーブに石炭を放り込むという経験をしたわけです。さすがに、いまはもうないだろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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