人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2025年3月28日講演会準備
◆9時から開場下見。照明・マイク・プロジェクタ・エアコン等をチェ
ック。ワイヤレスマイクがしっかり充電器に入っておらず、ぜんぜん充電されておらず、すぐに黄色→赤色に変わる。危なかった(乾電池をもっていればよい)。それと、展示ケースを運ぶ台車3台と、A1ポスターを貼るパネルボードを2台借り、136に搬入。さらにポスターの印刷。それからSさんと打ち合わせ。打ち合わせする相手がいて話をすると、とても安心できる。天気も回復して晴だそうです。画像は操作パネルです。演題上の電源でなく、ここの電源を入れ、HDMIケーブルは演台上のものに差し込む。ひととおりやると、まあ大丈夫です。
◆今日は後、資料冊子が届くのを待っている。それと自分の趣旨説明のパワポとしゃべりの準備です。昨日までにだいたいやったが、何度も推敲が必要。
【追記】28日の18:02、動員学生への指示書など、準備が終わった。さてパワポとしゃべりメモを。
◆今日は後、資料冊子が届くのを待っている。それと自分の趣旨説明のパワポとしゃべりの準備です。昨日までにだいたいやったが、何度も推敲が必要。
【追記】28日の18:02、動員学生への指示書など、準備が終わった。さてパワポとしゃべりメモを。
なるべく歩くこと
◆いまの中古の車を買ったのが2018年5月。走行距離7万0160km。いま2025年3月、走行距離は24万5307kmです。6年10ヶ月で17万5147kmになる。1か月2136キロ、1年で2万5600キロ平均か。
横口式石槨など
◆石室・石槨の計測データも集めると18件になった。在庫一掃
セールですね。点群データやキャドデータも出してもいいのだが、まずは2次元陰影図を。
◆今日は3月29日の10分の冒頭趣旨説明の準備をしてしまい、講演会裏方の仕事をまとめようと思っていたが、ぜんぜん到達せず。明日〆切の教員評価の書類を・・・。
◆学内戦略的研究の、主だった経費が固まってきて、データがたまっても来ているので、必要なPCやHDなども購入してもらった。なお、残額があるので、代表ということで、有用なものをいくつか買わせてもらいました。いまデスクトップPCに3つのHDとひとつんのSSDが差し込まれていたのですが、HD1を残し、購入したSSDにデータを移しました。
◆今日は3月29日の10分の冒頭趣旨説明の準備をしてしまい、講演会裏方の仕事をまとめようと思っていたが、ぜんぜん到達せず。明日〆切の教員評価の書類を・・・。
◆学内戦略的研究の、主だった経費が固まってきて、データがたまっても来ているので、必要なPCやHDなども購入してもらった。なお、残額があるので、代表ということで、有用なものをいくつか買わせてもらいました。いまデスクトップPCに3つのHDとひとつんのSSDが差し込まれていたのですが、HD1を残し、購入したSSDにデータを移しました。
特設サイトに前方後円墳の測量図と石室の3次元計測の成果を
◆大学からもらっている研究費で、コンテンツを作っている。古文書と講談
本中心できたが、そろそろ考古や古代もはじめ、大阪の歴史全般についての中身も作って公表していかないといけない。そこで、測量してきた前方後円墳のイラレデータをそのままアップして、誰もが自由に使えるようにしようとしている。まあしかし、世間様に見てもらうには、データとして整えないといけない。これまで個別にトレースしてきた。そのトレース図にもとづき、まずは主軸にあわせ、発掘調査のあるものは調査成果を書き込み、次に復元図。この作業は、わりあい定式を作って、同じようなファイルを整えてはきた(不完全だが)。しかし、その大元のところの測量図が、縮尺や線の太さや、各種表現など、てんでばらばら。
◆それを17基取り出してきて、体裁を統一しようとしているが、手間がかかり時間がかかる。ようやっとこの数日で5基について完了した(完璧は無理)。御墓山を挙げておく。
◆それを17基取り出してきて、体裁を統一しようとしているが、手間がかかり時間がかかる。ようやっとこの数日で5基について完了した(完璧は無理)。御墓山を挙げておく。
七輿山古墳近傍の藤岡市の資料館
◆これはいつできたんでしょうか。前に来た時もあったのかな~。白
石稲荷山古墳を含めて、考古資料ほかがならべられている。
◆加えて、堀越二郎の展示もあるのと、藤岡駅前の高山社の展示がある。世界遺産は、富岡製糸場だけでなく、あと3つの構成資産からなり、そのうちのひとつが高山社である。
◆以下、藤岡市のホームページから。
高山社跡は「養蚕改良高山社」の創始者・高山長五郎(生没年1830~1886)の生家で、養蚕法「清温育」の研究と社員への指導を行っていた場所です。
長五郎は明治6年(1873)「養蚕改良高山組」を組織し、自宅で養蚕法の改良と組合員への指導を行いました。明治17年(1884)には「養蚕改良高山社」と改称し初代社長に就任しています。そのあと、教えを請うものが増えたため明治20年(1887)に藤岡町に事務所と伝習所を移し、自宅は高山分教場として後進の指導を続けました。
現在は蚕室(養蚕用家屋)と付属屋が残っておりますが、周囲にも蚕室の痕跡が認められるため、現存する建物だけでなく敷地全体が世界遺産構成資産、また、国指定史跡となっています。
◆加えて、堀越二郎の展示もあるのと、藤岡駅前の高山社の展示がある。世界遺産は、富岡製糸場だけでなく、あと3つの構成資産からなり、そのうちのひとつが高山社である。
◆以下、藤岡市のホームページから。
高山社跡は「養蚕改良高山社」の創始者・高山長五郎(生没年1830~1886)の生家で、養蚕法「清温育」の研究と社員への指導を行っていた場所です。
長五郎は明治6年(1873)「養蚕改良高山組」を組織し、自宅で養蚕法の改良と組合員への指導を行いました。明治17年(1884)には「養蚕改良高山社」と改称し初代社長に就任しています。そのあと、教えを請うものが増えたため明治20年(1887)に藤岡町に事務所と伝習所を移し、自宅は高山分教場として後進の指導を続けました。
現在は蚕室(養蚕用家屋)と付属屋が残っておりますが、周囲にも蚕室の痕跡が認められるため、現存する建物だけでなく敷地全体が世界遺産構成資産、また、国指定史跡となっています。
◆今日は卒業式。ブログをやめて、仕事しよ。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。