人を幸せにする人になろう

2022年7月31日、越前松島水族館

◆越前松島水族館で卵から孵ったミズダコの展示をやっているというの で、急遽、福井に向かう。北陸道丸岡ICで下りる。すこぶる天気よし。東尋坊のすぐ北東にある。
◆長い時間、水族館におり、なかで昼食も取る。水族館の敷地内の浜で、あいかわらず石投げに興じたりする。
◆東尋坊。遊覧船に乗り、外から安山岩の岩場を見る。もう16時を過ぎてきて、帰る頃には店もかなり閉まっていた。息子はこの日のうちに戻るとのことで、米原まで送ることとし、三国の町を訪れることにする。前に考古の見学旅行で来たときは、龍翔館だけ見学しただけだった。
◆今回も、時間も限られていて、ゆっくりまわってはいないが、中心部を歩き、町屋で見ることのできる旧岸名家を見学し、その先でアイスクリームを買って食べた。町屋がとてもよく残っているというわけではない。かなりの部分建て替わって しまっているが、雰囲気は味わえる。
◆もうひとつ、あとからチラシを見ると、三国の歴史などの展示をやっているところがあるようだが、外から見ると真新しい施設のように見え、入らなかった。
◆帰途につき北陸道に入るが、何か所も工事をしていて、カーナビだと米原着がかなり遅くなっている。そこで今庄で下り、栃の木峠越えの北国街道で近江に向かう。19:59の新幹線をめざし、そのまま地道で米原駅に向かう。ぎりぎりになったが乗れたようである。
【追記】そのあと8月5日の豪雨で、今庄のすぐ南の下線合流部が氾濫、また北陸本線のトンネルあたりもやられ、不通となった。

2022年7月30日(土曜日)、父の3回忌

◆前日、子供2人が18時すぎ着の新幹線で新大阪。迎えに行く。翌日、加古川に向かい、志方町西牧 のお寺に。姉のところで遺骨を預かってもらっていて、樹木葬なども考えながらも、そのままになっていた。今年の正月にキョウダイが集まった折に、お寺さんに納骨しようということになる。なので、納骨した上で寺で3回忌法要をすることになった。
◆終了後、東加古川のごんた寿司で会食し、そのあと姉のところに寄り、しばらく歓談し、河内国分に戻る。

会計年度任用職員

◆富山の博物館でも、そう書いた名札をぶらさげていた。南の島でも、会計年度職員が頑張っている。で、この「会計年度任用職員」という言葉、大嫌いだ。こんな言葉、いったいいつから聞かれるようになったのだろう。人間としての尊厳をバカにしている。
◆人件費節減が限界まで突き詰められ、ようよう、いまの日本の組織が成り立っているということを示す。これ西欧では考えられないのではないか。昔、アメリカ史の同僚がそう言っていたことを思い出す。労働者がないがしろにされている。19世紀を経て獲得してきた労働の権利はどこへ行ってしまったのか。
◆パソナはじめ人材派遣会社、諸悪の根源。いや、そういう法的整備を進めた政府がむろん悪いのだが。防衛費をGDPの2%にしよとしているのでしたか。いま5兆円を倍増する話。5兆円を学校教員の人件費にあてたらどうか。5兆円あれば、20人学級は実現するんではないのか。
◆むろん働く側がいろんな働き方をしたいというバリエーションはあるのだろう。が、若者が、それぞれなくてはならない仕事を組織のなかでしながら、ちゃんと職員となっていないという現実をもっと重視すべき。公務員国家というのも、あってよい。平成の市町村合併で、地域がよりいっそう疲弊したことは間違いない。

子供は自ら育つ

◆安倍銃撃事件、で秋葉原事件を起こした人の死刑・・・。親が悪いわな。通底するところと個別で異なるところはむろんあろうが。小さい子供はかわいいもんです(早く孫がほしい)。すること、ほほえましい。なぜにスクスク育たないのだろう。
◆親がいじりすぎる。干渉しすぎる。駅前は塾だらけ。勉強やってれば褒められる、ひずんだ社会。子供に必要なのは無限の時間と、本人が面白いと思うものに対する没頭。1人の木だ。芽生え、太陽に向かってのび、枝葉を伸ばし、成長していく。それを親は見守っていればよい。肥料や水をやることもない。大地や光や空気のなかで、自分で育っていくのとちゃいますか。邪魔しないことだ。敢えていえば、親は大地か。親の養分を吸い取ったらいい。

男女格差

◆まずもってジェンダーギャップという言葉が気に入らん。ステークホルダーとか聞くと、「それなんですの」と聞くことにしている。カタカナ語の氾濫。
◆カミサン曰く「なにから手をつけていいのかわからない」
◆だいぶウチも女性教員が増えましたが。
◆金曜日に、ひとつ授業をしなければならないことになり・・・。博物館法改正の話でもしよかなと。

笑うしかない

◆わたしは墓はいりません。焼却処分。
◆昨日か、もひとつ前で、ガンになった夢を見ました。けっこうウロ来ておりました。強くは生きられません。まずは人間ドック。

纒向学研究第10号が来た

◆1冊、送られてきました。読み返す。もう頭が忘却なので、書いている時に頭に入っていたことが 抜け、読んでても、字ずらを追うだけですが・・・。結論図を示しておきます。
◆で、ぱらぱらめくっていると、桃核など、C14の論文が3本あり、Intcal20では、庄内3式が210年から240年というのが導かれた、とある。画像にあげたわたしの現時点の結論は210年代から230年代。知らんけど、ピッタシやん。

ちょっと別件

◆土曜日の関西例会で、文化財保存活用地域計画、の話が出た。こないだ、6月に文献史の人たちとの研究会でもしゃべったが、考古畑の文化財担当者は、地域文化財を、指定・未指定にかかわらず総合的にという場合、やはり記念物や建造物、民俗などとなる。遺跡、寺社、城館、近世・近代の建築物、そして祭礼などをイメージし、パッケージを作ろうとする。が、近世文書などは、念頭にないのでは。近世文書は、埋蔵文化財のように保護規定がなく、代替わりで家をつぶす場合に、良心的な人は資料館や本庁の文化財担当に、一度、見に来てくれと伝える。そんなことお構いなしの家屋のつぶしや、資料の廃棄もある。初めから骨董屋に話をもっていく人もいる。そっちサイドから、こんな文書ありますが買いませんか、と話が来る。
◆もとい。文献担当は博物館や資料館勤務で、文化財保護行政にかかわることはあまりない。上記のような所蔵者さんから、選択し、古文書やモノを引き取るのは、文化財保護の仕事をやっているという意識はないだろうと。法律にしたがった行為ではないから(文化財保護法はエエモンを指定して保護する法律に過ぎない)。それがようやく未指定のものも、となってきたわけだが、まだまだ近世文書は条例により指定しようかという場合は行政の保護行為になるが、ほとんどのものは、法律外のところで、学芸員の価値判断で、博物館・資料館として収蔵するという法律外の行為である。
◆この時に話をしたのは、埋蔵文化財もひとつの柱かもしれないが、近世文書をいかに把握し保存を図るかが、文化財保護行政の半分くらいの仕事ではないか、ということ。いま文化財保護行政にあたる考古畑出身の担当者に、そうした意識はないだろうと。
◆一般のひとたちの関心は、おじいちゃん・おばあちゃんの時代に始まり、近代、近世。古い遺跡が好きな人は別にいる。それも大事だと総論は賛成でも、いまの自分たちの生活とは直結しない。これは縄文以前はという話でもない。理念的につながっているとは言っても、弥生や古墳や奈良時代も、中世荘園も、いまとは直結はしない。やはり近世に地域社会が強固になり、そこに近代産業化が進み、産業構造なども変わり、戦後の人口増と経済成長で地域が活性化し、そしていま後退局面にある。
◆近世文書の豊かさ、それを残さないと、いまもちゃんとある近世村の歴史はわからなくなる、ということ。遺跡が破壊されるということと同様に痛みを感じないといけないことだ。地域計画、指定・未指定にかかわらず地域文化財の総合的な保護と活用という場合、近世文書がすっぽり抜け落ちているとすれば、これは困ったことだ。完全な抜け落ち。形あるもの(古文書もモノではあるが)、不動産的なもの、そういうのが町づくり、観光資源化、地域のウリとしてわかりやすいのは事実。が、そういうものが、実際のところ何だったのか、どう使われたのか、どういう意味をもっていたのか。考古資料と同じ、外形的な説明はできても、内実はわからない。地域に残る不動産的文化財や祭礼等の民俗文化財も、文献資料があれば、はるかに豊かな内容を与えてくれる。失ってしまえば、用途を終えた外形的な把握にとどまる。文献資料を軽んじてはならない。
◆文献史の人たちも、これまで文化財保護行政にかかわることが少なかったと思うが、そういう世界に食い込み、対等にわたりあう、そういう志向性をもつ人材を生んでいくことが大事。

日本の基幹産業だった紡績業

◆1960年代まで、日本の基幹産業だった紡績・繊維。各地に大工場があり、雇用があり、ニチボー 貝塚バレーボール部のように、会社のスポーツも盛んだった。高度経済成長を支えた。いま、それら大工場が廃止され、跡地が切り売りされ、レンガ建物など、一部の施設が記念館になったり、観光施設として飲食店などへ転用しての活用が図られている。やりたいのは、おおさかにあった、大紡績工場のかつての姿を確認したい、1961年の地図に落とし込みたい、というもの。まずはしかし、どういう会社があったのか。そういうことを調べていくにも時間がかかる。
 ◆さいわい、広瀬隆の本に図があったのでそれを組んでみました。鐘紡など、東京系をはずし、大阪にあった会社をひとつひとつ確認し、第1工場、第2工場など、すべてチェックしてい くこと。画像はニチボー貝塚です。

2022年7月24日(日)、和歌山

◆今週は、カミサンの和歌山の実家に行き、窓を開け、空気を通す。書斎に『黄金の日々』があったので、もって帰ることにする。いま院演習で、中世史の1人が今井宗久の文書を読んでいるので。我孫子に鋳物師を集めるという話もあって・・・。この城山三郎の小説自体は、当時までの通説にしたがっているが、いまは違う読みもなされているよう。いま残っている今井文書、五箇庄の代官になったのは確かであろうし、そのなかで、塩魚の税をめぐる1件はそのひとつだし、もうひとつ吹屋の問題があるということ。これは河内鋳物師でも五箇庄鋳物師にかかわる点で興味がある。
◆天誅組の本もあって、しばらく読む。伴林光平について。前に、国学者で陵墓探索をやった人で、天誅組にかかわって処刑された伴林、明治に宮内省に入って、引き続き陵墓探索をやっただれそれ、という対比的に紹介している記事を読んだことがあったので。
◆午後から出勤しようかとも考えていたがやめ、和歌浦の玉津島神社に行く。神社の由緒の説明看 板を読むが、和歌の神社というのが、あんまり正面から取り上げられていない。ソトオリ姫が和歌の3神の1人として祀られているという話を聞いたので。
◆こんがらがっていて、調べてメモを作らないといけないが。紀貫之が古いんだ。古今集の序文とやらを見ないといけない。で、蟻通のはなしはいつできるんだろうか。枕草子に「社は」というところに蟻通神社の話がある。で世阿弥の蟻通は、 紀貫之は和歌の神社である玉津島神社にお参りに行く道すがら、蟻通神社のところで雨にあい、歌を詠んで、通してもらったという筋になっている。以上、断片的で、不確かな知識です。国文の世界では研究があるのだろうな、と思いますが、一度、調べてみよう。
◆和歌浦の訴訟の話もちゃんと知らない。これもざっと知っておく必要がある。鞆と同様の景観問題なのだろう。でみ結局は道路が通された。行かなかったが海水浴場では音楽ががんがん流され、不老橋をわたったところには、貸会場施設などができあがっている。絶景ということで日本遺産になったそうだが・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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