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纒向型前方後円墳で勝負?

◆なにをすればしいのか、いろいろ考えつつ、ひとつは3世紀前半古墳時代論でもいいかなと。みな 箸墓は卑弥呼墓で、倭国王に担ぎ出されたのは2世紀末ないし3世紀初頭で、それがひとつの転換であるということは認めてるんだろう。ただし、纒向型前方後円墳というのが、纒向地域にあるものの時期がわからん(前は、ですよ)、前方部の長い短いがある、だから規範としてはやはり弱い。へたすりゃ、円形墓が瀬戸内から畿内に波及し、多元的に円丘墓に前方部をつけるものが生まれていてよい、という傾きをもつ。都出先生のものを読んでも、円と方の対峙のなかでシンボル的な意味を帯びるとは書いてあるが、文脈は上に近く、そうなると北條さんの議論と近くなる。対局は寺澤さん。
◆そんなんで、3世紀はじめに画期があるんだろうとは思っても、考古学的には顕著でない、やっぱり3世紀後半という議論になる。画文帯神獣鏡の話は認められていると思うが、それは鏡の話。やっぱり前方後円墳を作る作らないが大きい。そこんところ、むろんできあがっているものの多様性は認めざるをえないのだが、そこに円形墓を採用し、なんか突出部をつけるみたいなことが同調的に起こってくる、なんかあるんやろうけど一応それぞれ、という話なのか、前方後円墳の規範はヤマトにあって、それを受け入れた、ただし実際の姿形はいろいろ(あるいは規格といえる面もある)のか、というのが分かれ目。
◆それでは規格性でひとまず攻めようかと・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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