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2023年3月22日、野方遺跡

◆まったくチェックしていなかったが、吉武高木遺跡に向かっていると、途中、国史跡となっている野方遺跡の史跡公園 があるとの看板を見て、立ち寄る。まだ開館前の9時前に着くが、われわれの姿を見て、8:50くらいには覆屋の展示館に入ることができた。以下、ウィキ。
 早良平野の西端、脊振山地北東部の叶岳東麓にある標高17 - 22メートルの扇状地に位置する。伊都国の所在地と推定される現在の糸島市域と、奴国の所在地と推定される現在の春日市周辺との中間部に位置し、交通の要所であったと考えられている。
 1973年(昭和48年)に野方台団地の造成中に高校生が発見し、同年8月から翌1974年(昭和49年)1月にかけて福岡市教育委員会による発掘調査が実施され、遺構の集中している遺跡中央部の21,130.63平方メートルが国の史跡に指定された。
 遺構としては長径約100メートルの楕円形の大きな環濠、一辺約25メートルから30メートルの方形の小さな環濠、竪穴建物跡94基、甕棺墓3基、土坑墓1基、木棺墓1基、箱式石棺墓10基などが検出されている。弥生時代には上記の大小各1か所の環濠から成る環濠集落が形成され、大きな環濠の内側には約10軒の竪穴建物が建てられ、小さな環濠の内側には高床倉庫が建てられていたと推定される。環濠からは土器・石器・鉄器・貝・魚骨・獣骨などが出土している。古墳時代には弥生時代の環濠は埋められ、住居と墓地を分けた集落が形成され、約100棟の竪穴建物が建てられていたと推定される。古墳時代の墓地の箱式石棺墓・木棺墓から副葬品として中国製の獣帯鏡・内行花文鏡や鉄刀・管玉・ガラス玉などが出土している。
 発掘調査終了後、遺跡は1989年(平成元年)から整備されて公園となり、1991年(平成3年)に野方中央公園として開園した(所在地:福岡県福岡市西区野方5丁目11番地)。公園では環濠跡が復元されているほか、公園の一角には野方遺跡住居跡展示館が建設され、発掘された住居跡や出土品の一部が展示されている。

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雲楽
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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