人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
いや~楽しい
◆上本町で楽しく呑みました。この話、早稲田のJ君から飲み会をしたいと1か月以上前から話があり、まずは日の設定。人を誘ったり、店を手配したり、こっちでしよかとメールしたが、おそらく迷惑メールになったんでしょう、そのまま8月に突入。
◆数日前からどうすると打診があり、八木も考えたが、上本町にしてもらう。J君と、K府立大のI君と、3人になる。18:30から始まり、22時近くまで、楽しく飲みました。
◆ま、いろいろと感慨深いものあり。レーダーを自分でできればいいのですけどね。とにかく、1度、J君の実践を話をしてもらった方がいいと思いますよ。ほんとの最先端の話をちゃんと聞くべきだ。
◆2001年の茶臼山・玉手以来の調査メンバーの話になる。恵まれてましたね。J君がおり、京都大のS氏おり(いまはどっぷりアームチェアーですが)、國學院のA氏がおり、天理大のH氏がおり、千葉大のY氏おり、京都府立大のI氏おり、奈文研のW氏おり、と。
◆墳丘の話は、いずれ彼がぜんぶ乗り越えていくのではないか。しかし専門は中国都城である。たいしたもんです。瓦の話で佐川さんとつながり、ベトナムの話で(これイッサ)黄さんとつながり、と。軒平瓦の話はなるほどと聞きました。彼らはまだ30代末、若いですね。
◆数日前からどうすると打診があり、八木も考えたが、上本町にしてもらう。J君と、K府立大のI君と、3人になる。18:30から始まり、22時近くまで、楽しく飲みました。
◆ま、いろいろと感慨深いものあり。レーダーを自分でできればいいのですけどね。とにかく、1度、J君の実践を話をしてもらった方がいいと思いますよ。ほんとの最先端の話をちゃんと聞くべきだ。
◆2001年の茶臼山・玉手以来の調査メンバーの話になる。恵まれてましたね。J君がおり、京都大のS氏おり(いまはどっぷりアームチェアーですが)、國學院のA氏がおり、天理大のH氏がおり、千葉大のY氏おり、京都府立大のI氏おり、奈文研のW氏おり、と。
◆墳丘の話は、いずれ彼がぜんぶ乗り越えていくのではないか。しかし専門は中国都城である。たいしたもんです。瓦の話で佐川さんとつながり、ベトナムの話で(これイッサ)黄さんとつながり、と。軒平瓦の話はなるほどと聞きました。彼らはまだ30代末、若いですね。
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さて写真
◆天気予報でいくと、火曜日に写真を撮るのがベストか。明日、仕上げ
度90%でよいので、ひとと おり仕上げるつもりで作業し、オープンにしたまま、火曜日にひととおり撮影とするかな。掃除がのびてもリミットは火曜日午前中とし、午後は、少なくともヤグラを立てての全景は済ましてしまう。地上での遺構部分は、水曜日にずれるか。水曜日はレーザー+フォトスキャン用撮影など。
◆久しぶりにマミヤを出してきて(10年ぶり)、きれいにし、フィルムを入れてみる。なんとか操作も体が覚えているようです。
◆図面用フォトスキャンについては、水曜の夜に徹夜してでも原図を用意して、木曜日(天気はくずれるようだが)、図面に移行できるように頑張るか。こっちはトータルステーションで1/20遺構図をやるか。
◆以上の筋書きがベスト。どうなるかはわからんが、そこは現場力で。あとは野となれ山となれ。
◆明日の大阪市の会議は欠席せざるをえないかな。
◆久しぶりにマミヤを出してきて(10年ぶり)、きれいにし、フィルムを入れてみる。なんとか操作も体が覚えているようです。
◆図面用フォトスキャンについては、水曜の夜に徹夜してでも原図を用意して、木曜日(天気はくずれるようだが)、図面に移行できるように頑張るか。こっちはトータルステーションで1/20遺構図をやるか。
◆以上の筋書きがベスト。どうなるかはわからんが、そこは現場力で。あとは野となれ山となれ。
◆明日の大阪市の会議は欠席せざるをえないかな。
網野町をぐるり
◆午後からだったので、少し早めにつく。
いつも
古墳や会議場には行って も、網野の町をゆっくりまわったこ とがない。車でではあるが、西の端から海沿いに民宿などの宿泊施設のあるあたりを通る。黒い壁、黒い瓦?、独特の景観である。夏も終わりに近づき、海水浴客は少ないがサーファーが多い(今日は波が荒く遊泳禁止だった)。八丁浜(中央部の長い浜)沿いを抜け、離れ湖、琴引浜まで行ってリターンし、離れ湖のほとり、丹後ひもの屋水屋敷で食事。そのあと、隣のひもの屋で、海産物を物色。日本酒も購入する。
◆さらに、帰りは、いつものことですが、「にしがき」さんで、地元産の魚
加工品などを買う。
◆16:00頃に出て、18:40には帰り着きました。早けりゃ2時間半で網野銚子山に行けるのですね。
◆さらに、帰りは、いつものことですが、「にしがき」さんで、地元産の魚
◆16:00頃に出て、18:40には帰り着きました。早けりゃ2時間半で網野銚子山に行けるのですね。
2018年8月26日、網野銚子山へ行く
◆網野銚子山の調査中。ほんとは7月6日に行った時、調査に入った序盤で現地を見れればよかったのですが、この日は真備町が大被害を受けた大雨の始まりの日で、なかで図面を検討したが、現地は無理だった。そこから2か月。できるだけ早めに見せてもらった方がよかろうと、土日でよければと、この日曜日の午後に2本のトレンチを見た。内容は詳しくはやめておきます。後円部トレンチはメールで状況を聞いていた通り。やはり200mの古墳の上から下まではなかなか大変である。上段天場まで葺石があり、縁辺の埴輪列もある。すごい。これをどう決着させるのかも、また大変だが、9月中に一定のケリをつけることになる。
◆気になっていたのがくびれ部トレンチ。この古墳、五色塚古墳と同様、下のテラス面は同一面で まわるが、上のテラス面は後円部と前方部でグイチになっており、スロープでつないでいると考えてきた。そういうあり方を含め、このくびれ部トレンチは、上段・中段・下段の3つのくびれ部を押さえれば、墳丘構造の要所を押さえられると期待できる。
◆状況報告をもらっている範囲では、なかなか把握が難しかったが、上・中・下段それぞれ現地を見て、おおむね予想した通りでいいのかな、と思う。残りもよい。したがって、当初からの方針ではあるが、必要に応じて拡張することで、くびれ部谷線をぜんぶ押さえることができるだろう。とはいえ、後円部トレンチもあり、いっぺんにはいかない。
◆ひとまず、いまの幅1.5m幅の調査区内での遺構の掘り上げが先決。それでさらなる追求箇所も明確になり、拡張するにしても範囲を限定できる。しかし、現時点と残り期間のなかで、後円部トレンチを一定の仕上げにもっていく方が優先なので、一旦停止しておくことになりそう。無理はできない。写真も(ドローンを含め)撮影しましたが、挙げるのはやめておきます。
◆気になっていたのがくびれ部トレンチ。この古墳、五色塚古墳と同様、下のテラス面は同一面で まわるが、上のテラス面は後円部と前方部でグイチになっており、スロープでつないでいると考えてきた。そういうあり方を含め、このくびれ部トレンチは、上段・中段・下段の3つのくびれ部を押さえれば、墳丘構造の要所を押さえられると期待できる。
◆状況報告をもらっている範囲では、なかなか把握が難しかったが、上・中・下段それぞれ現地を見て、おおむね予想した通りでいいのかな、と思う。残りもよい。したがって、当初からの方針ではあるが、必要に応じて拡張することで、くびれ部谷線をぜんぶ押さえることができるだろう。とはいえ、後円部トレンチもあり、いっぺんにはいかない。
◆ひとまず、いまの幅1.5m幅の調査区内での遺構の掘り上げが先決。それでさらなる追求箇所も明確になり、拡張するにしても範囲を限定できる。しかし、現時点と残り期間のなかで、後円部トレンチを一定の仕上げにもっていく方が優先なので、一旦停止しておくことになりそう。無理はできない。写真も(ドローンを含め)撮影しましたが、挙げるのはやめておきます。
2018年8月25日(土曜日)
◆朝、8:10には大学に着くも、研究室の鍵を忘れ取りに戻る。9:20研究室。西陵トレース9:53。24日の調査日誌。win10の更新にものすごくかかる。礫溝FS座標入れ12:29。谷部埴輪FS座標入れ12:34。久津川評定点など整理13:23。会計簿13:39。豊臣石垣の会議資料を見る16:39。職場メール処理16:47。大歴の関係でメール17:43。大歴のもうひとつの案件につきメール18:50。ああ、帰りたいが・・・。難波宮本1本内校の修正。大歴編集委員長の仕事20:50。明日の網野銚子山にむけて資料をチェック21:10。
2018年8月19日(日)、五個荘(5)
◆食事の後、金堂からやや離れた藤井彦
四郎邸に。生活する本屋もあるが、来客用の豪華な客殿がある。 「スキー毛糸」というのは、日本の手編み毛糸のブランド名だそうだが、藤井一代でそれを成し遂げたのだとか。スキー毛糸について、以下、ウィキ。
1926年に藤井彦四郎商店(現・藤井株式会社)が製造、販売を開始した。スキー毛糸はヒット商品となり設立者である藤井彦四郎は一代で成功を成し遂げることになった。
1953年、スキー毛糸の商標使用契約を藤井と倉敷紡績とで締結。倉敷紡績が開発した技術により、繊維のふくらみを増した上で軽量化に成功した。「ウールセーターは重い」という常識を覆し、手編みブームの後押しもあり、スキー毛糸は人気を博した。
2000年9月に藤井が経営破綻。2001年にはスキー毛糸の営業権は元廣に譲渡された。
1926年に藤井彦四郎商店(現・藤井株式会社)が製造、販売を開始した。スキー毛糸はヒット商品となり設立者である藤井彦四郎は一代で成功を成し遂げることになった。
1953年、スキー毛糸の商標使用契約を藤井と倉敷紡績とで締結。倉敷紡績が開発した技術により、繊維のふくらみを増した上で軽量化に成功した。「ウールセーターは重い」という常識を覆し、手編みブームの後押しもあり、スキー毛糸は人気を博した。
2000年9月に藤井が経営破綻。2001年にはスキー毛糸の営業権は元廣に譲渡された。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。