人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
ヒレ墓の陵墓図トレース
◆兵庫県史の時、遺跡解説で丁瓢塚古墳を書けと。それ以外にも、武藤先生分だった御輿塚古墳や亀山古墳(もだったっけ
か)、ぜんぶで4項目くらい書くことになった。加古川・日岡古墳群のなかに、景行天皇の皇后でヤマトタケルの生母ということになっている稲日オオイラツメの陵墓、ヒレ墓古墳というのがある。これは自分の担当ではなかったが、雲部車塚古墳を含めて、提出された原稿の陵墓図のコピーが汚いので、事務局側で再トレースすることにした。たぶんトレーシングペーパーの原稿は提出したんだろうが、コピーが出てきたので、アップしておこう。
◆えらい広い範囲を測量している。日岡神社まで入っている。古墳部分は、最近、宮内庁さんが再測量して、いい図面ができている。
◆えらい広い範囲を測量している。日岡神社まで入っている。古墳部分は、最近、宮内庁さんが再測量して、いい図面ができている。
夏は来ぬ
◆太陽はギラギラ、蝉は鳴く。それと参議院選挙、大阪府は4議席に対して11人だったか?。いったい誰に入れていいのか、まったくわからない。自民党のY氏だけにはぜったい入れないが、通るんでしょうね。
最後は展示ケース
◆3階踊り場にあった展示ケースを2階に下ろしたことを記事にしたこともある。今回、この壁も工事!。今回の耐震工事で、考古は3箇所も当たってしまったわけである!。ひとまず、工事のための空間を確保するために、ケースを手前に
引くので、内容物を仮収納してくれ、というのが事務からの依頼。
◆何週間か前の博物館実習Ⅰで、1時間これに当て、大きい土器などの梱包の練習と称して、作業をしてもらった。残っていた遺物の仮収納作業である。
◆午前で考古学実習室を終えていた道上君に、午後、引き続きやってもらう。見に行くと、ほかの院生3人が手伝ってくれているではないか。道上君を入れて、彼ら彼女等が2回生または3回生の時に、展示ケースを2階に下ろしたのである。3年前?ということか。
◆さてしかし、工事期間中、これらの遺物を脇に置いておくというのは適当ではないが、なかなか収納するところはない。大きい土器などは、経済研究所棟4階の収蔵庫(発掘機材が入れてある)に放り込んだ。やっぱりここに、入れた方がいいんでしょうね。明日、係長と話をしてみよう。前に打ち合わせたときは、どうだったっけか。たぶん、自分の部屋も作業量はだいぶ軽減しておいたし、明日、業者の作業員さんに運んでもらえるなら、経研棟に入れることにしよう。
◆何週間か前の博物館実習Ⅰで、1時間これに当て、大きい土器などの梱包の練習と称して、作業をしてもらった。残っていた遺物の仮収納作業である。
◆午前で考古学実習室を終えていた道上君に、午後、引き続きやってもらう。見に行くと、ほかの院生3人が手伝ってくれているではないか。道上君を入れて、彼ら彼女等が2回生または3回生の時に、展示ケースを2階に下ろしたのである。3年前?ということか。
◆さてしかし、工事期間中、これらの遺物を脇に置いておくというのは適当ではないが、なかなか収納するところはない。大きい土器などは、経済研究所棟4階の収蔵庫(発掘機材が入れてある)に放り込んだ。やっぱりここに、入れた方がいいんでしょうね。明日、係長と話をしてみよう。前に打ち合わせたときは、どうだったっけか。たぶん、自分の部屋も作業量はだいぶ軽減しておいたし、明日、業者の作業員さんに運んでもらえるなら、経研棟に入れることにしよう。
次は考古学実習室
◆昔、3階にあり、大学に来て早い段階で下に移動をお願いし、1階に移って10年強(だったかな?、忘れた)。考古学実習室
といっても、遺物の倉庫になってたんだと思うが(記憶がさだかでない)、研究室1部屋分。下に降りても、当時はまだ90人くらい教員がいた時期で、部屋は入れ替わるだけ。通常の研究室の広さのままで、整理作業を十分できるようなスペースはない。まあ、こういうと
ころでいろいろとやってきたわけです。
◆今年度から博物館実習室ができ、これは研究室2部屋分で、考古学実習もここでやっている。博物館実習だって、受講生数から考えて、3部屋分を要求したが、そんな部屋はあるはずもない。2部屋分ながら壁があり仕切り壁のところにドアのあった大学院共同研究室を譲ってもらい、壁を抜いて2部屋分ブチ抜きを確保するのがセイゼイだった。学舎整備の会議で、どうせやったら、考古学実習室1部屋分とあわせて、3部屋分として作ってくれないか、とも要求したが、余計な工事をともなうことはでけへん、と。自分で壁抜くけどな。
◆まあ、ともかく、考古学実習室も耐震工事にひっかかる。日曜日に院生の道上君と引越準備をやろうと約束していたが、自分の部屋の片付けで余裕はなく、1人でやってもらう。考古学実習室は、片側のみ本棚で、それを工事に際し反対側に設置することになる。なので、反対側の実測道具やらなにやらの整理棚部分の中身を出してもらう作業である。本棚が付け替わり、机や整理棚等の位置が決まると、また内容物を戻すことになる。実習室としては代替部屋は要求せず、博物館実習室でやりますからという約束。実質的に博物館実習室、兼、考古学実習室ということが、これで堂々とできるわけである。要するに、考古学の部屋としても使えるのが、実質的に3部屋分になったわけである。
◆道上君、ご苦労様でした。
◆今年度から博物館実習室ができ、これは研究室2部屋分で、考古学実習もここでやっている。博物館実習だって、受講生数から考えて、3部屋分を要求したが、そんな部屋はあるはずもない。2部屋分ながら壁があり仕切り壁のところにドアのあった大学院共同研究室を譲ってもらい、壁を抜いて2部屋分ブチ抜きを確保するのがセイゼイだった。学舎整備の会議で、どうせやったら、考古学実習室1部屋分とあわせて、3部屋分として作ってくれないか、とも要求したが、余計な工事をともなうことはでけへん、と。自分で壁抜くけどな。
◆まあ、ともかく、考古学実習室も耐震工事にひっかかる。日曜日に院生の道上君と引越準備をやろうと約束していたが、自分の部屋の片付けで余裕はなく、1人でやってもらう。考古学実習室は、片側のみ本棚で、それを工事に際し反対側に設置することになる。なので、反対側の実測道具やらなにやらの整理棚部分の中身を出してもらう作業である。本棚が付け替わり、机や整理棚等の位置が決まると、また内容物を戻すことになる。実習室としては代替部屋は要求せず、博物館実習室でやりますからという約束。実質的に博物館実習室、兼、考古学実習室ということが、これで堂々とできるわけである。要するに、考古学の部屋としても使えるのが、実質的に3部屋分になったわけである。
◆道上君、ご苦労様でした。
新しい研究室は経済学部303号室
◆7月入って鍵をもらっていたが、今日、はじめて覗き、いくつかのものも運び込んだ。どうせせなあかんのやから、もっとや
りたかったが、電気がストップしてエレベーターも止まっており、階段を3階まで上がるのが大変なので、ほんのちょっと。
◆この研究室は南向き、夏はたいへんである。いまの文学部の研究室は北向きで、こっちの方がよっぽどいい。文学部は90年代後半に改装したが、経済学部棟が建ったのはそれより前で少し古く、入ってみると、机は立派だが、本棚等はあまりなく、古びた木製のものもある。文学部では両壁ともスチールの本棚だが、経済学部の先生は、そんなに本棚はいらないのだろうか。新研究室については、またいずれ。
◆まあ、仮住まいなので、机と脇の本棚くらいで、使い勝手のいいように整えよう。
◆結局、ひとつまえの写真の左手前に図面類などがあるのだが、この隅部だけが手つかずになった。本棚は左側を含めてすべてチェックして、要不要の判断をした。大学以来のモロモロについて、すべて目を通し、現時点で使わないと思ったものを捨てるなどの整理ができたのはよかった。不要なものの廃棄が中心で、いるものを置いておくことそのものが整理したことにはならないが、まあ、この時点で整理できた意義は大きい。引っ越すと、またいろんなものの配置が定まるまで時間がかかるだろうが、まあしゃーない。
◆この研究室は南向き、夏はたいへんである。いまの文学部の研究室は北向きで、こっちの方がよっぽどいい。文学部は90年代後半に改装したが、経済学部棟が建ったのはそれより前で少し古く、入ってみると、机は立派だが、本棚等はあまりなく、古びた木製のものもある。文学部では両壁ともスチールの本棚だが、経済学部の先生は、そんなに本棚はいらないのだろうか。新研究室については、またいずれ。
◆まあ、仮住まいなので、机と脇の本棚くらいで、使い勝手のいいように整えよう。
◆結局、ひとつまえの写真の左手前に図面類などがあるのだが、この隅部だけが手つかずになった。本棚は左側を含めてすべてチェックして、要不要の判断をした。大学以来のモロモロについて、すべて目を通し、現時点で使わないと思ったものを捨てるなどの整理ができたのはよかった。不要なものの廃棄が中心で、いるものを置いておくことそのものが整理したことにはならないが、まあ、この時点で整理できた意義は大きい。引っ越すと、またいろんなものの配置が定まるまで時間がかかるだろうが、まあしゃーない。
7月7日、七夕ですが引越準備
◆6日(金曜日)、7日(土曜日)、そして本日は8日(日曜日)、引越にむけて、この3日が勝負。土曜日は、塚田先生も部屋に籠
もり、時々のぞいて「進んでますか」と互いに・・・。で、日曜日、朝行くと、なんと停電!。この3日、暑くて、作業をしては自販機に冷たいものを買いに行くが、これもストップ。むろん廊下も研究室も暗い。さいわいカンカン照りとはいえ、屋内はやはり暗い。日暮れまでが勝負!と作業を進める。が、昨日もそうだが、飽きると陶棺の石膏入れをやったりした。これはまた続報を。
◆まあ、この3日、汗だくになりつつ、廃棄物のゴミを捨て、資料のまとまりごとに紐で縛り、本の入れ替えをやりと・・・。本日21時、終了した。結局、18時過ぎに電灯は復旧し、切れ目なく作業を続けることができ、さらに3時間を要したわけだ。これで明日、朝早くいかなくても、業者に箱詰めしてもらえる状態になる。
◆記念写真を1枚。右側に耐震用のコンクリートの壁を設けることになり、こちらの本棚は撤去される。左側は物置としては使える。なので、新しい経済学部棟303号にもっていくべきものを右側に集めてある。こうしておけば、箱詰め、搬入、再配置まで、業者がやってくれる。こっちはパソコンや机の引き出しなどの、それ以外のものを、明日、運び込む。
◆まあ、この3日、汗だくになりつつ、廃棄物のゴミを捨て、資料のまとまりごとに紐で縛り、本の入れ替えをやりと・・・。本日21時、終了した。結局、18時過ぎに電灯は復旧し、切れ目なく作業を続けることができ、さらに3時間を要したわけだ。これで明日、朝早くいかなくても、業者に箱詰めしてもらえる状態になる。
◆記念写真を1枚。右側に耐震用のコンクリートの壁を設けることになり、こちらの本棚は撤去される。左側は物置としては使える。なので、新しい経済学部棟303号にもっていくべきものを右側に集めてある。こうしておけば、箱詰め、搬入、再配置まで、業者がやってくれる。こっちはパソコンや机の引き出しなどの、それ以外のものを、明日、運び込む。
和泉市史信太編
◆『和泉市史』は次は信太編。テーマ編で6世紀以降の開発の話はだいたい書いた。7月5日の金曜日、考古部会の長である石部先生以下、考古編担当者が集まり打ち合わせをする。於:和泉市役所市史編纂室。
◆いよいよ和泉黄金塚はじめ、古墳の担当となる。来年の5月締め切り。黄金塚の遺物については、こないだまでの科研のなかで整理をやろうとしたが、できずに終わる。実際に市史に書くのは遺物の細かいことまで書くわけでない。専門的な研究は市史紀要に掲載し、そうした資料調査もふまえて本編に入るというのが理想だが、それはできなかった。だが、市史本編は本編、紀要は紀要、どこまでやれるかわからないが、資料調査をやれるものならやりたい。前に考えたような悉皆的なものでないとしても。
◆いよいよ和泉黄金塚はじめ、古墳の担当となる。来年の5月締め切り。黄金塚の遺物については、こないだまでの科研のなかで整理をやろうとしたが、できずに終わる。実際に市史に書くのは遺物の細かいことまで書くわけでない。専門的な研究は市史紀要に掲載し、そうした資料調査もふまえて本編に入るというのが理想だが、それはできなかった。だが、市史本編は本編、紀要は紀要、どこまでやれるかわからないが、資料調査をやれるものならやりたい。前に考えたような悉皆的なものでないとしても。
つづき
◆報告書というスタイルがいつまでも続かないにせよ、現時点では、一定程度の調査は(むろん原因者負担で印本費をもらっているものは当然だが)報告書を作っていく必要がある。そして小規模なものでは、独立した1冊を作らずとも、年報を出していくべきでしょうね。発掘調査のみならず文化財保護部局としての各種の調査や事業をきちんと記録していく。年度で区切るのが適当だろうし、その場合、発掘調査であれば3月までやっていたとすると、新年度予算でいいではないか。とにかく、調査の公式な概要をちゃんとまとめてほしい。それプラス、普及用にいろんなリーフレットを出していくのは、効果があるならやればいい。ただ、あくまでも公式の年報が正式だ。そして、PDFでダウンロードできるようにすべきでしょうね。
◆自分のことを棚に上げています。研究費といえども公費だし、緊急調査とかでない発掘や測量調査についても、世間に公表する責務を負っていると考えなくてはいけない。最低のことしかできていないことは自覚しています。リーフレットは楽しく作ってはいるが、世間的には文献には値しないのでしょう。やりたいことはアマタあれど、整理のついていないことが多く、キチキチと区切りをつけていかないと人生は暮れていきます。そのために、金である程度決着するものなら、やはり外部資金の獲得に動き、場合によれば自費も投入し、やっつけていくほかありません。
◆自分のことを棚に上げています。研究費といえども公費だし、緊急調査とかでない発掘や測量調査についても、世間に公表する責務を負っていると考えなくてはいけない。最低のことしかできていないことは自覚しています。リーフレットは楽しく作ってはいるが、世間的には文献には値しないのでしょう。やりたいことはアマタあれど、整理のついていないことが多く、キチキチと区切りをつけていかないと人生は暮れていきます。そのために、金である程度決着するものなら、やはり外部資金の獲得に動き、場合によれば自費も投入し、やっつけていくほかありません。
引っ越し作業にも飽きた
◆とはいえ、やめることはできず、引っ越し日はやってくる。
◆思えば、多くの引っ越しをしてきた。京都市左京区下鴨中川原町?→京都市左京区北白川久保田町25桂華寮→〒631奈良市青野町127→〒601京都市南区針小路町2樹庭夢幹303→〒271松戸
市松戸159-1松戸第3住宅502(公務員住宅、家族は京都市南区西山町)→〒228相模原市相模大野4丁目2-5相模大野住宅3棟505(公務員住宅)→堺市上野芝町大阪市大の寮(家族は相模原市相模大野の公団住宅に引越)→大阪市住吉区我孫子→柏原市国分西2丁目→柏原市国分西1丁目(今)。
◆引っ越しの労力は大きく、家族にも迷惑をかけた。金も落ちていく。整理されていた資料類もぐちゃぐちゃになる。
◆文化庁からもってきた自分の資料、そっくり2000年に本棚へ収めていたが、13年間手をつけることもできず、そのまま今日を迎える。ぜんぶ捨てればスッキリするが、自分の生きた証でもあり、とくに調査研究の資料などは、きちんとファイルしておきたいと思うと捨てられない。結局、段ボールにつめて、引っ越し期間の間、保管しておくことにした。され、秋が深まり自分の研究室に戻ったとき、これらはまた配置するのだろうか。結局は定年までそのままかと思うと、さっさと要不要の分別だけはすべきか。
◆それにしても、抜き刷りはじめ、いろんな文献が身の回りにあふれている。そのどれだけに目を通したであろうか。自分の研究にとって、結局使っているのは限られた資料なんだな、これが。ほとんどは使うこともない。一方で、自分のやっていることに関係する論文でも、なかなか知悉できない現状。
◆それとニュースレターの類、まあそういう性格のものとして必要なんでしょうね。しかし、これらは綴じて図書館に入れるほどのものではない。そういう、たまたま手に取り目にした時に遭遇するだけのもので、それはそれでいい。が、発掘調査となると、どうなんだろうか。正式報告は出せないが、ペラのニュースレターや概報。そのあとで、ちゃんとしたものができるところはいいが、そうでないところも多いのではないか。最近、そういうのが目に付く。そこにしか世間に公表されていない調査、が、ペラだと文献資料として登録もされず、結局は知られないのである。
◆思えば、多くの引っ越しをしてきた。京都市左京区下鴨中川原町?→京都市左京区北白川久保田町25桂華寮→〒631奈良市青野町127→〒601京都市南区針小路町2樹庭夢幹303→〒271松戸
◆引っ越しの労力は大きく、家族にも迷惑をかけた。金も落ちていく。整理されていた資料類もぐちゃぐちゃになる。
◆文化庁からもってきた自分の資料、そっくり2000年に本棚へ収めていたが、13年間手をつけることもできず、そのまま今日を迎える。ぜんぶ捨てればスッキリするが、自分の生きた証でもあり、とくに調査研究の資料などは、きちんとファイルしておきたいと思うと捨てられない。結局、段ボールにつめて、引っ越し期間の間、保管しておくことにした。され、秋が深まり自分の研究室に戻ったとき、これらはまた配置するのだろうか。結局は定年までそのままかと思うと、さっさと要不要の分別だけはすべきか。
◆それにしても、抜き刷りはじめ、いろんな文献が身の回りにあふれている。そのどれだけに目を通したであろうか。自分の研究にとって、結局使っているのは限られた資料なんだな、これが。ほとんどは使うこともない。一方で、自分のやっていることに関係する論文でも、なかなか知悉できない現状。
◆それとニュースレターの類、まあそういう性格のものとして必要なんでしょうね。しかし、これらは綴じて図書館に入れるほどのものではない。そういう、たまたま手に取り目にした時に遭遇するだけのもので、それはそれでいい。が、発掘調査となると、どうなんだろうか。正式報告は出せないが、ペラのニュースレターや概報。そのあとで、ちゃんとしたものができるところはいいが、そうでないところも多いのではないか。最近、そういうのが目に付く。そこにしか世間に公表されていない調査、が、ペラだと文献資料として登録もされず、結局は知られないのである。
大韓帝国の併合
◆こないだのピースの集まりの時、各種団体の本の販売のところで、日韓併合のブックレットを買う。面白かったですよ。正
式の条約では、交渉者に対する委任状、そして批准書が必要だが、大日本帝国は略式で、伊藤博文が脅して外務省にあたるところの公印を持ち出し押したと。これ日韓協約の時だったか。
◆併合も大韓帝国の王の合意の上でなされたということが議論になっている。帰国した伊藤の復命の下書きが国会図書館にあり、王も臣下も合意しない、というところをおおむね合意され、みたいに書き直してあるのだそうだ。そして、いろんな文書で同じようにつじつまをあわせて記録し、そうした格好を見繕ったらしい。そうした最新の(といっても5~6年前くらいの話か)研究成果を知ることができた。
◆そして、伊藤が、「豊臣秀吉、あなたができなかったことをワシラはやってやったで」みたいな挨拶が紹介されている。ひとつの説では、関ヶ原で西軍の大将だった毛利、徳川時代に外様大名となり、周防長門に押し込まれる。そして吉田松陰の征韓論。要するに、明治期の長州の征韓論というのは、元をだどれば秀吉に行き着くのだという(吉田松陰の征韓論もそこに根ざすというものだったか)。西郷もいるし、そうした見方があたっているかどうか今ただちに判断できないが、世界のどこでもそうだが、圧倒的な力をふりかざし、傀儡を立て、そこと合意を結び、それで合法という。そうした事実の前に、日本は韓国でいいこともやった、などという屁理屈は通らない。
◆併合も大韓帝国の王の合意の上でなされたということが議論になっている。帰国した伊藤の復命の下書きが国会図書館にあり、王も臣下も合意しない、というところをおおむね合意され、みたいに書き直してあるのだそうだ。そして、いろんな文書で同じようにつじつまをあわせて記録し、そうした格好を見繕ったらしい。そうした最新の(といっても5~6年前くらいの話か)研究成果を知ることができた。
◆そして、伊藤が、「豊臣秀吉、あなたができなかったことをワシラはやってやったで」みたいな挨拶が紹介されている。ひとつの説では、関ヶ原で西軍の大将だった毛利、徳川時代に外様大名となり、周防長門に押し込まれる。そして吉田松陰の征韓論。要するに、明治期の長州の征韓論というのは、元をだどれば秀吉に行き着くのだという(吉田松陰の征韓論もそこに根ざすというものだったか)。西郷もいるし、そうした見方があたっているかどうか今ただちに判断できないが、世界のどこでもそうだが、圧倒的な力をふりかざし、傀儡を立て、そこと合意を結び、それで合法という。そうした事実の前に、日本は韓国でいいこともやった、などという屁理屈は通らない。
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自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。