人を幸せにする人になろう

大韓帝国の併合

◆こないだのピースの集まりの時、各種団体の本の販売のところで、日韓併合のブックレットを買う。面白かったですよ。正67c60af5.jpg式の条約では、交渉者に対する委任状、そして批准書が必要だが、大日本帝国は略式で、伊藤博文が脅して外務省にあたるところの公印を持ち出し押したと。これ日韓協約の時だったか。
◆併合も大韓帝国の王の合意の上でなされたということが議論になっている。帰国した伊藤の復命の下書きが国会図書館にあり、王も臣下も合意しない、というところをおおむね合意され、みたいに書き直してあるのだそうだ。そして、いろんな文書で同じようにつじつまをあわせて記録し、そうした格好を見繕ったらしい。そうした最新の(といっても5~6年前くらいの話か)研究成果を知ることができた。
◆そして、伊藤が、「豊臣秀吉、あなたができなかったことをワシラはやってやったで」みたいな挨拶が紹介されている。ひとつの説では、関ヶ原で西軍の大将だった毛利、徳川時代に外様大名となり、周防長門に押し込まれる。そして吉田松陰の征韓論。要するに、明治期の長州の征韓論というのは、元をだどれば秀吉に行き着くのだという(吉田松陰の征韓論もそこに根ざすというものだったか)。西郷もいるし、そうした見方があたっているかどうか今ただちに判断できないが、世界のどこでもそうだが、圧倒的な力をふりかざし、傀儡を立て、そこと合意を結び、それで合法という。そうした事実の前に、日本は韓国でいいこともやった、などという屁理屈は通らない。

神戸の洋館

◆取り壊しマンションを建てようというのを、保存を求める地元住民が交渉し、9月いっぱいという期限を切って買い取ろうとしているとのこと。これに対し、神戸市議会も陳情を採択し、できるだけのことをやるよう市に求めるという。何億円という金だが、いま寄付は3000万円くらいという。神戸市がどう動くか。なんとか成功してほしいものだ。住民の意識も高いし、神戸市議会も態度を明確にするというのは、ほかも見習って欲しいもの。市民がいて議会も支援して、これ民意だと思うんですけどね。
◆平野屋新田会所のことを思い出す。

大阪産業大学の系列校生受験問題

◆系列校の生徒が、受かっても行かないのに受験している件、調査委員会は大学が関与していないとの判断。あ~あ、ここまでシラを切るか。明々白々のウソを堂々と発表して切り抜けようと・・・。
◆たぶん同じ日の新聞に、池田市の公社を介しての?不明朗な仕事の発注についても、市長の関与があったと認められないとの記事だった。ここもか、と思った。がこっちは、後日の記事では、市長などが第3者委員会の調査にほとんど協力せず、証明できないということのようで、市長に対し、市民への説明を強く求める結論を突きつけた、との記事。さすがに私立大学のようにはいかないということだが、しかし居座るんでしょうね、在任期間中は。そしてまた立候補したりして。
◆まあ、どこの行政も似たりよったり、柏原市も田舎である。これはカミサンの弁。最近のことは知らないが、前の市長の時には、亀瀬の公園にレモンを植える話だとか、サンヒルの話だとか、まあ市長が勝手にやりたいようにやった模様。
【追記】いまの中野市長もやってくれました。柏原病院に心筋梗塞の先生が着任したので、市民に心筋梗塞になれと発言。心筋梗塞で柏原病院にかかると1人250万がっぽり稼げ、赤字が解消するというのが本音。誤解を招いたというのはウソ。いずれにしても、上に立つ人間として、善人でなくとも、こんな発言したら叩かれるということもわからないアホ。そんなヤツに投票はしていないが、これがいま柏原市長であるというのも事実である。

6月30日、大歴大会

◆1週間前に新旧合同委員会で、甲南大学に初めて行く。阪急岡本駅は特急が止まるので便利。そこから西へ歩いていく。山4f4a696d.JPGが近い。そしてむろん、きれいな学舎である。30日の大会当日。考古部会は竪穴式石槨、けっこう人が入っていた。懇親会会場もきれいである。またこれで年度が改まる。企画委員長もそろそろ交代したいと思っており、来年度は、と思うが。帰り、岡本駅に向かっていると、川があり、がちがちに固められた川で、水はちょろちょろだが、これが大雨になると人が流されるということもうなずける。一気に舗装された地表や排水路経由で雨水が流れ込むのだろう。イノシシが3匹、歩いていた。

6月29日、ピースのシンポジウム

◆港区民センターに行く。200人以上が集まっていた。8人の方がそれぞれ発言。最後の、大阪空襲で母と弟を失った方の発言を聞いていると泣けてくる。個々の方の発言を思い出し、レジュメで再確認しながら、まとめのIMG_2551.JPG4232e60c.jpgメモを作成しておくべきだが、余裕はない。なぜ大阪空襲で1万人ほどが死ぬことになったのか、それを戦争を知らない既に多くを占める世代や、これから生まれてくる子供たちに伝えていくには、ピースはどういう展示にしていくのか、さまざまな提言があった。
◆大歴でも6月1日の意見交換会をふまえて文章をまとめないといけないのだが、なかなか簡単に手が出せないでいる。
◆これは記録集にまとめ、関係方面に提出するという。いろんな団体が、地道に取り組んでいることがわかる。いろいろ考えさせられるところがあった。最後に、ピースに意見を書いたハガキを出そうという出そうという提案があった。それも添付しておく。06f2c4d6.JPG
 

杉井さんと浜松鈴木さんの訪問

◆2013年6月27日、熊本の杉井さんと浜松の鈴木さんの訪問を受ける。楽しく語らう。

久津川芭蕉塚の講演会

◆前に城陽市で講演会に呼ばれたときの資料が出てきて、あの地域の古墳をならべているではないか。そして、その時に誉田5506ab6e.jpg御廟山型だろう、としているみたいですね。

兵庫県史の頃

◆これも前に書いたと思うが・・・。銅鐸とか鏡とか代表的な資料の写真を掲載する図版を加える方針は決まっていて、それならf000d0d9.JPG全部やりましょうと提言して資料収集にまわったわけです。瓦もめざしていましたが、これは挫折。しかし、銅鐸と鏡については、ほぼ当初の目論見通り、すべて掲載できた。いまの感覚でいくなら、どうせやったらカラーでやるべきなのだろうが、撮影していない。最初から、県史にあったブローニーのカメラを使い、モノクロフィルムでの撮影だった。
◆下太田廃寺の大塚さんと知り合ったのもこの時、大塚さんからの手紙が残っている。確かそのあと、ご自身で瓦や鴟尾の資料を1冊の本にまとめられ、送っていただいた。記憶がおぼろげながら、拓本や実測などについて、できることをやらせてもらおうと考えていたのだが、結局はできなかった・・・。その御著書は既に大学図書館に登録したと思う。

覚え

◆むかし京大考古学研究室で楽浪漢墓の勉強会をやっていたことがあるが、その関連のファイルを捨てた。
◆奈文研にいたとき、〈国宝法隆寺展〉にすこしかかわり、瓦大工吉重の年表を作ったが、その関連の資料も捨てた。これ、図ccac81d3.jpg録とは別に展示パネル用に作ったのだと思うが、仕上がりの記憶はまったくない。

三角縁神獣鏡の資料カード

◆4回生になる前の春休みに山形県山寺に合宿免許を取りに行き、そこで森下さんに貸していただいた三角縁神獣鏡の資料を眺めました。4回生になって、とにかくぜんぶ写真を集める方針で、文献をかたっぱし当たり、いちばんいい写真をカメラで複写し焼き付け(考古学実習で写真の焼き付けもやってました)、出土古墳の報告書などの9ff92bf8.JPG基本文献をコピーし、それで暮れていきました。その時の古墳の報告書コピーと束は、こない0aabb252.jpgだかなり整理して捨てました。で、資料カードを作成しています(そのまえに台帳を作ったらしい)。8月23日ですから、かなり遅い、ですね。写真を貼り、岩本君のやったような内外区などの比率がモノによってだいぶ違うので、写真からですが寸法を採ろうとしています。が、たいてい写真を貼ったくらい。まあ、それでも資料カードができあがる。いま示すのはコピーだけど、基本は複写している。
◆まあ、9月以降もダッチロールの日々で、グルーピングした先になかなかいきませんでした。結局は、年末年始、とんでもないことになり、千葉さんはじめ、10人くらいの援助をえて、とにかく出したという惨憺たる状況。広川君には、人間ワープロをしてもらいました。ほんまにハサミとセロテープで下書き原稿の文の順を入れ替えて書き直していく、という、いまでいうカット&ペースト。恥ずかしい思い出です。
◆で、このカード、いまだに残骸が取ってありましたが、この際、すべて捨てようかと思います。奈文研にいた時、カラーコピーが入った。それでコピーしたら、まあ、複写しなくても、おおかたはコトが足りるほどキレイな複製が得られます。そしていまやスキャンし、画像をファイリングすればいいわけです。が、鏡の世界も遠ざかり、三角縁神獣鏡の資料の更新などまったくやっておらず、画像のストックなどありません。たいがい、樋口先生の本3冊でだいたい話は済む。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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