人を幸せにする人になろう

発掘調査の手引き

◆各種遺跡調査編が届いた。執筆者、取りまとめにあたられた方々に敬意を表します。ef8ae8b0.JPG

高松塚の壁画を見る

◆集まったのは10人くらい?。前日が考古の学会で、今日が歴史学会だったらしい。文化庁はじめ、研究所や県や村の職員、実際に修復作業にあたっておられる方々など、迎えていただいた方が多かった?。
◆ご対面~ん。じっくりと各石材をじろじろと観察する。貴重な機会をいただいた。終末期古墳の原稿を書いているが、石材の加工など勉強になる。7末に牽牛子塚を作り直したんなら、これに近い凝灰岩加工に進んでいたに違いない。刳り抜くのもたいへんだろうが・・・。
◆ひたすらカビやシミや、くすんだ部分をきれいにし、ほぼ地の部分はだいたいやることはやってきたという。運び込まれてきた段階の写真と比較するとよくわかる。ただし、壁画の部分はそれぞれの色の成分分析による絵の具の特定がまだできていないものもあるらしく、それをふまえて、これから着手するのだという。
◆いま今後の活用の会議が動いているらしい。キトラは先行しており、脇に展示館を建設し、H28に開館という。見せていただいた高松塚の部屋の隣で、キトラも作業しているらしいが、それは見せていただけなかった。剥がした壁画の修復も進んでいるのだろう。さて高松塚はどうする。10年間の半分が経過したとの紹介があったが、これからの5年間くらいのなかで決定していくのであろう。

3月末日!

◆今日は高松塚の壁画見学会なので、午前は松岳山古墳の写真撮影に行くことにする。途中、雷が鳴りどば~と雨が降ってきた。一度、撤退するも、すぐcda8ddff.JPGやんだので再出撃。そのなかからワンカット。d6626c3c.JPG
◆11:15にはやめて飛鳥に向かう。30分くらいで着く。飛鳥駅前で腹ごしらえをして、少し時間があるので、前から行きたかった都塚古墳に行き、それから高松塚の駐車場へ。
◆いま16時、大学に戻ってきた。あと6時間、仕事!。『市大日本史』の合同調査の原稿も出たので、昨日調整していたが時間切れで途中だったもの。

文学部のHさんのメール

◆大阪市立大学ひとすじ、42年間、勤め上げられた文学部事務のHさんが退職された。29日の20時まで仕事を片付けられ、文学部のメールで離別の辞を述べられた。消すのがもったいないので、そのうちの一部を。

◆世界でいまだ認知されていない、新しい知見を求めて、日々研究の場に立ち向かっておられる多くの先生方の真摯な態度に(理学部に勤務されていた時の話)親しく接することができ、このことが、世の中を斜に構えてしか見ることのできなかったニヒルな少年の目を開き(高卒後の最初の勤務が理学部だったのでしょう)、自らもヒューマンに、かつ自分のできる範囲内であっても、真剣に、社会に貢献して生きていくことの素晴らしさを教えていただいた源泉だと、思っております。
 先生方には、急速に多忙化が進む今日ですが、常に初心を忘れず、学問の神髄に触れんがための諸活動が、時代がどのように変化したとしても、人間の心を射ち、人を成長させていく原点であると私は思いますし、いつまでもそうあってほしいと、心から念願しております。

◆3月の教授会後の懇親会にも出ず、お世話になった謝意を伝えられていないが、ここに記録し、感謝の意を表したい。

1989年のブログ

◆前に1枚目だけを出しことがあるのだが、すべてスキャンして現物は捨てた。9f70b913.JPG345fb4a2.JPG43aaaf8f.JPGda02fc8b.JPGd46f12da.JPG
 

北岡伸一って?

以下、ウィキ

◆奈良県吉野町生まれ。東京大学法学部卒。1976年に博士論文「日本陸軍と大陸政策1906年-1918年」を提出。立教大学法学部専任講師/助教授/教授を経て、1997年に東京大学法学部教授。2012年3月に東京大学を退職し、4月より政策研究大学院大学教授に就任。
◆陸軍研究からスタートしたが、1980年代終わりから盛んに現代政治に関する論評を行う。日本の国際平和への積極的貢献や政権交代などが可能な「普通の国」になれるかを歴史的な視点から問う、過去のタブーや因習にとらわれないスタイルで知られる。近時は日本再浮上のためには再びグローバル・プレイヤーとして国際社会に挑戦することが必要だとして、「21世紀の開国進取」を打ち出している。イラク戦争については「大量破壊兵器」と「北朝鮮対策」を理由として支持する立場を他の多くの知米派政治関係者とともに明らかにした。自衛隊のイラク派遣に際しては、フセイン元大統領の捕捉に伴って政治情勢が安定するという見通しの下に支持した。
◆2004年(平成16年)4月から2006年(平成18年)9月まで外務省へ出向し日本政府国際連合代表部次席大使としてニューヨークに赴任。この他にも政府との関わり合いは強く、長期的な外交戦略検討のために設置された小泉純一郎首相の私的諮問機関「対外関係タスクフォース」委員、「外交政策評価パネル」座長、「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」委員、日本の集団的自衛権保持の可能性について考える安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員、福田康夫首相の私的勉強会「外交政策勉強会」委員などを歴任した。政権交代後も、鳩山由紀夫政権下で日米間の密約を調査するための外務省の有識者会議の座長を務め、また「日中歴史共同研究委員会」の日本側座長を務めた。
◆実家は吉野の造り酒屋で大叔父は農商務省官僚・ILO日本政府代表として労働政策を担当し、後に東京帝国大学経済学部教授に転じた國學院大學名誉教授の北岡寿逸(東大政治学科卒)。寿逸の弟・馨(東大化学科卒)は東洋大教授。父の北岡茂(京都帝国大学医学部卒)は元吉野町長。弟の北岡篤(東大寺学園高校卒、東京大学農学部卒)も吉野町長。

大阪府の教育長

◆どう思いますか。大阪市長の同級生の「国際弁護士」だったというじゃないですか。なにが「国際」かは知らないが、府知事時代に和泉高校の校長に抜擢し、教員が君が代を歌っているかどうか口をチェックしてたかと思ったら、今度は教育長だって。国際弁護士として活躍してるなら、こんな仕事につかんわな。これって就職の斡旋とちゃうんですか。まさにコネ採用。教育長としての資質があるんならいいですよ、が、経験も見識もないんだろう。
◆こういうのって任命して終わり?。議会の承認とかはいらないのか。仕組みはよく知らないが。こんな人事がマカリ通る大阪だ。府立高等学校の校長代表10人とかの前でプレゼンをやらしたらどうなん?。大学教員にはそういうことを押しつけながら、教育長なる重要ポストは、厳しい審査などなく、好き勝手にやれるわけですね。

3月29日、2012年度も暮れる

◆31日、日曜日もあるわけですが、職場としては2012年度はこれで終わり、ということになり、来週月曜日は4月1日である。本日、旧栄原研究室に新任の古代史教員の荷物が運び入れられ、少しずつ段ボールを空けて棚に本を配架している。塚田先生がめんどうをみていて、一段落したらお茶を飲みに行こうと誘われる。
◆本日、オレは、『市大日本史』の編集に着手し、Hさんの講演原稿、S論文・O論文までを調整の上で入稿。HD論文もひととおりインデで組んで基本作業は終わった。朝10時から夜22:30までで、こんだけである。とくに古代史のS論文と、近世史のHD論文に手間取る。
◆インデでやっているが、別にそれで入稿するわけでなく、結局は印刷屋が作業するのだが、ほとんど仕上がりと同じくらいに作り、それを見本にしてもらうことで、あとあとメンドウが起こらないようにしている。むろん表や図の割り付けをやるためでもある。あとはフォント調整。それとめんどくさいのが史料は行間を詰めているので、本文のものと組み合わせていく。註番号、註の参考文献などの表記とか、やりだすと切りないが、こういうのは機械的な作業でもあるので、時間をかければ着々と片付いていく。
◆明日、HD論文を1頁縮める作業をやり、HZ論文もやれば、いま手持ちの大物は片がつく。もう1本の論文と合同調査報告を入れてしまえば、大方は軌道に乗る。
◆昨日、印刷屋に電話し、今年もよろしくお願いしますと挨拶をし、明日から(今日)入れていきますと言ったところ「今年は早いですね」と言われ、返す言葉がない。まあ、3月末にかなり入れとけば、今年は順調か、な。

チェジウの看板

◆最近どうしてはるのでしょうね。ペ、さんも。こないだ難波のシンガポール料理屋に行くのに待ち合わせしていたときに撮ったパab87a6f4.jpgチンコの看板です。
 

プラグイン

カレンダー

06 2025/07 08
S M T W T F S
1 3 4 5
6 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索