人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
5月27日、兵庫県の博物館
◆2012年5月27日、学生と兵庫県・播磨方面に行く。考古博物館で《清盛と日宋貿易》の特展ほかを見る。そのあと、なぜか生石神社で浮石を見る。
◆それから丁瓢塚を訪ねるも、草が茂り、崖面もあんまり見えない。みなさん、埴輪?を拾うものだから、なにかないかと思ったのだが。姫路でラーメン。兵庫県立歴史博物館。鶴林寺の展示は面白かったのだが、ここって前は常設展というのはどんなんだっけか。なかった?姫路城のコーナーとか、子供のコーナーとかはあるのだが。いったいぜんたい・・・。次に姫路市埋蔵文化財センター。が、速報展をやっており、通常の展示は見られず(岡山市もそうだった・・・)。国分寺、宮山、見野古墳群など、いっさい見ずに加古川に行く。16:35着。博物館は閉じられ入れてくれなかった。こういうのもどうなんでしょうね。16:30までに入れ、というのは、職員が17時には閉めて帰れるように、という意味でないのか。ふつうは、17時まで開けており、駆け足でいいからと言ってザっと展示を見る、のではないのか。ま、複合施設で、学芸があるわけでなく、決まった展示の部屋を開け閉めするだけで、機械的にしか対処してくれないのだろう。
◆28日、新泉社の陵墓の本が届いた。オレは佐紀陵山古墳の立ち入りについて報告している。
◆それから丁瓢塚を訪ねるも、草が茂り、崖面もあんまり見えない。みなさん、埴輪?を拾うものだから、なにかないかと思ったのだが。姫路でラーメン。兵庫県立歴史博物館。鶴林寺の展示は面白かったのだが、ここって前は常設展というのはどんなんだっけか。なかった?姫路城のコーナーとか、子供のコーナーとかはあるのだが。いったいぜんたい・・・。次に姫路市埋蔵文化財センター。が、速報展をやっており、通常の展示は見られず(岡山市もそうだった・・・)。国分寺、宮山、見野古墳群など、いっさい見ずに加古川に行く。16:35着。博物館は閉じられ入れてくれなかった。こういうのもどうなんでしょうね。16:30までに入れ、というのは、職員が17時には閉めて帰れるように、という意味でないのか。ふつうは、17時まで開けており、駆け足でいいからと言ってザっと展示を見る、のではないのか。ま、複合施設で、学芸があるわけでなく、決まった展示の部屋を開け閉めするだけで、機械的にしか対処してくれないのだろう。
◆28日、新泉社の陵墓の本が届いた。オレは佐紀陵山古墳の立ち入りについて報告している。
2012年5月26日、田植え、五條文化博物館
◆5月26日の金曜日は和歌山へ。翌日、田植え。3回目。マシンが変わっていて、運転の仕方から。前の、自分が田の中に足を入
れてまっすぐ植える方が性にあっているが、4列植えの車(?)になって田に足を入れることがない。ま、だんだんと慣れたが、やっぱり、慣れた頃には終わる。
◆和泉の神社巡りを考えていたが、帰って休もうということになり、午後、帰途に向かうが、途中、再開した五條文化博物館に寄りたくなり、寄る。これも安藤忠雄なのね・・・。で、階段を上がらせられるが、まっすぐ進めず、迂回させられる。で、上から展示を見て、下に降り、下から外に出れず、また上に戻り階段を下りる。どんな設計やねん!、とカミさんが怒っている。展示はなかなかいいものなのだが、人が入らんかったんやろね。1995年に竣工するも、数年前に閉めたのだ。とはいえ、場所が悪いでしょうね。やっぱり、五條の町中にあってこそと思う(新町通は2010年に伝建に選定)。
◆当日の説明では、柿の葉寿司の「たなか」が指定管理者になった?。鉄道のジオラマが1階に作られ、人がまとま
れば見せるよう。模型ではないが、五條ならではのポイントを散りばめたもの。鉄道写
真や北宇智のスイッチバックの説明やら、テッチャンは喜びそう。
◆和泉の神社巡りを考えていたが、帰って休もうということになり、午後、帰途に向かうが、途中、再開した五條文化博物館に寄りたくなり、寄る。これも安藤忠雄なのね・・・。で、階段を上がらせられるが、まっすぐ進めず、迂回させられる。で、上から展示を見て、下に降り、下から外に出れず、また上に戻り階段を下りる。どんな設計やねん!、とカミさんが怒っている。展示はなかなかいいものなのだが、人が入らんかったんやろね。1995年に竣工するも、数年前に閉めたのだ。とはいえ、場所が悪いでしょうね。やっぱり、五條の町中にあってこそと思う(新町通は2010年に伝建に選定)。
◆当日の説明では、柿の葉寿司の「たなか」が指定管理者になった?。鉄道のジオラマが1階に作られ、人がまとま
千日前通りを経て、天王寺七坂
◆生国魂神社。さすがに大きいのだけれど。これもネットから概要を。もとは難波宮のあたりにあったが、石山合戦で焼
失、1583年に秀吉が現在地に社地を寄進して社殿を造営し1585年遷座。大坂夏の陣で
炎上、徳川秀忠が再建。1945年、空襲で焼失。1949年、木造の本殿を再建、翌年のジェーン台風で倒壊。1956年、鉄筋コンクリートで生国魂造の本殿を再建した、とある。古めかしさがないので、ほぼ素通りし、写真もなし。大阪にとって、もっとも重要な神社であるのだが。
◆天王寺七坂めぐりは、大阪市も力を入れているのだろうか、地元だろうか。道路に歴史の散歩道のタイルを埋め込んで、散策コースがわかるようになっている。
◆天王寺七坂めぐりは、大阪市も力を入れているのだろうか、地元だろうか。道路に歴史の散歩道のタイルを埋め込んで、散策コースがわかるようになっている。
大阪天満宮
◆大阪の天神さん、大阪天満宮に行く。途中、電話がかかってきて、ず~と話をしていたら、門前に着く。すぐ北側には天
満天神繁昌亭。そこから天満橋へ。
◆天満橋から南へ、松屋町筋、天神橋を渡り、そこから八軒屋浜経由で天満橋へ。そこか
ら南へ。上町台地のヘリなのだが、南を見ると確かに上り坂。谷町筋は、なんというのか。上町台地の最高部の西ヘリで、微妙なアップダウンがあるのが、歩いてみるとわかる。ぐっと地形が落ちるのはさらに西。大きな通りを歩くのはやめて、途中から西に入る。
◆途中、空堀商店街。火曜日に住まいのミュージアムで、空堀商店街の模型があり、そこ出身の女性の、戦前から戦後の暮らしのストーリーが展示のひとつの核であったのを思い出す。
◆天満橋から南へ、松屋町筋、天神橋を渡り、そこから八軒屋浜経由で天満橋へ。そこか
◆途中、空堀商店街。火曜日に住まいのミュージアムで、空堀商店街の模型があり、そこ出身の女性の、戦前から戦後の暮らしのストーリーが展示のひとつの核であったのを思い出す。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。