人を幸せにする人になろう

大阪城の石垣スキャンによる動画ができあがりました

◆表題の通り。動画とそこから取った画像が送られてきた。図面としての陰影図はないので、これも経費がかかるのかも9eec16f4.jpgしれないが、どこか1面は作ってもらおう。こんな動画ができるし、正確な実測図が作成できることを示したい。場所は南面内堀、桜門の東側である。
◆ちなみに草が生えてますよね。南面の石垣はほぼ草がなかったのに、予定していた日に実施できず、1週間ずれただけでこうなった。ちゃんと冬場にやらんといかん。
 

発掘された日本列島展2012

◆最近は遠のいているが、今回は堺市博物館に来るようなので、行ってみよう。その前に、毎年、陵墓懇談会で7月に東aed472de.JPG京に行くので、早朝に出て、江戸博に行くことも不可能ではない。江戸博も、それこそ列島展をやっていた1999年が最後になるかな。10数年行っていない。1993年にできて、もしかしたら、その年に行ったかもしれない。これは奈文研の展示委員会の仕事で行った記憶がある。
◆とにかく、堺市には学生を連れて行くことにしよう。

せっかくなので

◆伊藤純さんにもらったので、大阪歴博のタワー展のチラシを挙げておく。通天閣ができて100年だそうである。スカツec43bcb6.JPGリーもできて確かにタイムリーだが・・・。考えてみれば、大阪歴博の特別展に行ったことがない!。ごめんなさい。でもね~、特展1000円、常設+特展で1500円でしょ。タワー、面白げ、と思って行く人は一定数いるだろうが、まあ学生が1000円出して入ることはないだろう。800円だろうが600円だろうが、入館者数にあまり変わりはないのかもしれない。500円で倍入るか、300円で3倍入るか、といわれれば?ではあるが、感覚的には600円くらいがせいぜいちゃうか、と思うが。
◆あんまり、こういうことを書くと怒られそうではある。むろん経営的な面も必要なので、入館料でいくら稼げるかは重要だろうが、一方で入館者数も問題だろうに。手頃価格であればこそ、時々の特別展の開催を電車の釣り広告などで見て、大きな決意でなく、気軽に「ま行ってみよか」と、繰り返しやってきてくれるようにも思うのだが。
◆オレとしては、別にエッフェル塔など、どうでもよく、天王寺の内国勧業博覧会およびその跡地利用としての、新世界の計画や天王寺公園の成立など、そういうことが勉強できるようなら行ってみたいと思うのだが。スカイツリーの2m模型が展示される!といった触れ込みで呼び込もうとしているのを見ると、いったいどんな展示なのか?と思ってしまう。300円とか500円程度なら、ま、なんでもいいけど行ってみようという気になるが、1000円となると考えてしまうことになる(招待券もらっています・・・)。
 

大阪城の紀州御殿

◆展示パネルに大阪城本丸に移築された紀州和歌山城の本丸御殿の写真があったのでパチリ。大阪城の御殿ねらace6f691.JPGいで、天理大学のみなさんにレーダー探査をやっていただいたが、その解析のためにも、大阪城の御殿絵図とともに、紀州御殿がどのようにあそこに建っていたのか、押さえておく必要がある。地形図では見たことはあったが、写真があったので、これはと思って写真を撮らせてもらった。この仕事も6月に天理大学で検討会をやって、うちの大学のプロジェクトチーム内で発表しないといけないので、ぼちぼち手をつけないといけない。
◆話はかわるが、大工棟梁中井家の一括資料が、住まいのミュージアムに寄贈?寄託?されたという新聞記事をこのあいだ見た。谷先生の写真入りだったか。これはすごいコレクションになるのだろう。
◆また話は変わるが、リバティへの補助金を大阪市が打ち切るという発表が新聞報道されていた。大阪府もやめると。閉館か。リバティには行ったことがないのだが、あれは大阪の具体的な部落差別、皮革産業などを出発点としたものという。ホームページから以下抜粋(開館は1985年だそうだ)。

基本理念 1人権に関する総合博物館 現在、我が国には5000を越える博物館が存在すると言われている。そのなかで、部落問題をはじめとする日本社会の歴史と文化に根ざした人権問題を総合的 に対象として、調査研究と資料の収集・保存、展示公開をおこなうことによって、人権思想の普及と人間性豊かな文化の発展に貢献することを目的とする博物館 は数少ない。したがって、当館は、「人権に関する総合的博物館」と言えよう。当館は、その存在と事業・運営を通じて、大阪を拠点にしながら日本・世界に向 けて人権尊重のメッセージを発信する。

◆ということだが、市長には不満らしい。これからの運営が成り立つのか、厳しい局面を迎えるだろう。まずなによりも一度、足を運ばなければなるまい。



博物館実習Ⅰ

◆博物館実習Ⅰ(学内実習)で、まず3館の見学実習を課しているが、今日は大阪歴史博物館を見学してもらって、わ1b1fa5ba.JPGりと細かく挙げておいたチェック項目にしたがったレポートを出してもらい、それをもとに意見交換する回が今日だった。はじめてのことで、どうなるかと思ったが、なかなかよかった。1対28人(受講生)でやっても益はないので、5人グループになってもらい、各班ごとにまずは意見を述べあい、それをグループ発表して貰う方式を取った。30分ばかりのグループ討論を見ていると、みな積極的に意見を表明しあっていて、なかなかいい風景だった。
◆自分が見てきてまとめたレポートがあり、グループ内で違う意見も聞き、そしてまた全体討論でもさまざまな見方を知ることで、気がつかなかった新たな発見もあるだろう。
◆そのために、自分自身も改めてじっくりと大阪歴博を見る必要があり、過日訪れた。3時間を要した。伊藤純さんに偶然でくわし、学芸の部屋でお茶をいただいた。また伊藤さんと大阪市の文化財の話をいろいろする。
◆もはやオレが改めていうことではないが、やはり考古博物館として企画がスタートしたことで、近世・近現代はすこぶる弱い。また、中世も石山本願寺以降、そこは天守閣があるものだから、城下町の調査成果などが取り上げられてはいるが、豊臣大阪城や城下町作り、そして徳川へというのも、概略は示されても、正面切っての本格的なものは天守閣に譲っているため弱い。
◆そして近世、近現代、大阪市の歴史博物館だから、ふつうは都道府県立レベルの総合歴史博物館であるべきだし、近世大坂、近代化など、いくらでも取り上げるべきことがらはあるが、おざなり感は否めない。そこはしかし器はあるのだ。模型などを中心とする各フロアの半分はそのままにせざるをえないだろうが、西半分の資料展示は、いくらでもやりかえられるだろうに。そこは図体がでかく、常設展示リニューアル委員みたいな権威ある専門家集団のご意見を聞きながら、というこed9beb22.JPGとになるのかもしれないが、果たして学芸員はそれでいいのか。大きな改変は一定年限が経過しないと見直さないのだろうが、そんなことあらへんだろう。近世・近現代専門の学芸員は、あれで満足なんだろうか。博物館内部でプロジェクトチームを作って青写真を描き、できるところから展示替えをしてパネルを作ってやりかえていけばいいのに、と思う。
◆みんなの意見を聞いていて、例えば、法円坂の倉庫群、博物館の前に表示しているのだが、あそこに倉庫が並んでいたということが伝わっていないようだし、10階の後期難波宮のところで、説明が流れて?窓が開いて実際に難波宮が眼下に見下ろせるというシカケも理解していない者もいるようだし、8階だか、なにわ考古研究所が手前にあって、奥で企画展をやっているのがわかりにくく、通り過ぎる人がいるのではないかという指摘には、なるほどと思った。企画展では建築家の展示をやていて、とても面白かったが(写真)。法円坂の倉庫は、子供が広場で走り回るということもあるのかもしれないが、あんまりいないですよね。全部に丈50㎝程度の柱をにょきにょき取り付けても、あの広大な空間利用に大きな影響はないのではないか。などなど、いろいろ考えるところがあって面白かった。

大阪中央郵便局の足場

◆解体のための足場が組まれているとの「守る会」からの連絡を受けたのは4月末。昨日だったか、新聞に小さく記事が5f9c531e.JPG出ていた。見逃してしまうほどの扱い。で、本日、神戸大学に行った返り、中央郵便局に向かう。これまでも駅から見たことはあったが、近くまで行ったことはなかった。
◆大阪駅がリニューアルされ、西側の連絡通路みたいなところを通ったのも初めてか。で、梅田北ヤードでは、ごっついビルが1棟できあがりつつある。大阪駅のリニューアルもよく知らないが、北ヤードを意識して、北側への展開も意識してのものなんだろうということを実感する。北ヤードの展開は時間のかかることではあろうが、南面がかならずしも正面ではないほどの北側の発展が今後予測される。南側も、確かにホテルをはじめ高層化によるリニューアルが著しいが、しかし今後は北側の展開が急速に進み、高層ビルが林立する景観となるのに対し、南側はより落ち着きのある景観を維持していく意義はあるように感じた。
◆モダニズム建築、ぱっと見たら1970年代に建てられたんとちゃうんか、とも見られる中央郵便局、それが昭和10年代の建築物であることの先進性、建築学的な重要性、価値が理解されにくいのであろう。いかにもというレンガ建築でなく・・・。それゆえ文化財側の意識や働きかけが必要なのだろうが。登録にすらなっていない。
【追記】その後、2日続けて写真入りで解体への記事。守る会の長山さんの話。もっとも、なんとかするため、守る会の側が記者に働きかけてはいるんだろうが、新聞って、なんで解体が始まろうといういう段にならないと報道しないのだろうか。

2012年5月6日、松岳山

◆曇り。10:30くらいから雨。しばらくやっていたが雨脚が速くなり、一旦撤収とする。11:00過ぎに車の中で早い昼とす6bf1c675.jpgる。雷も鳴り始める。車の中で昼寝。12:30過ぎか、だいたい雨が上がったので再開する。しばらくすると快晴の青空が広がる。
◆後円部北チーム【岸本・安達】昨日打設したP60に立て、測れなかった西端部を上から順番に埋めて行き、崩落部にあって尾根状に張り出していて測量可能な部分について標高58.5mまで記入する。あと2本新たに杭を打っていたが、やはり崩落部を測量する意味はないし危険なので、これで完了とする。
◆後円部東北チーム【道上・藤林】P52からの続き(?)、これも紙の端部の測りきれていない部分について、 標高62m以下について埋めていく。が、下部はどうしても難しいので、さらにP56を打ち、そこからの測量に切り替える。
◆後円部北チームが完了し、後円部東北チームに手伝いにゆく。崩落部の崖ラインを入れて、これについても完了とする。
◆天気が回復したので、前方部に転じる。B2の紙。前方部北側面の上段裾部までしか測量できていない。新たに杭を打ってもよかったのだが、見通しはよいので、P11から可能と判断し、マシンをP11に据える。標高57m以下について、前方部北側面を測量する。52.5mまで落としたところで18時となり終了する。東半分については崖面にかかるが、西半分はまだしばらく測量が可能であり、また出撃が必要だ。あと1日の作業量だろう。
◆それが終了すると、ほぼ山は完了となるので、境内地、東側の住宅道路、前方部南側面裾部の参道を入れていけば、すべて完了となる。これらにあと2日。計3日、というところか。あいた土日で通えば、めでたく測量終了となりそうだ。

しゃーない、携帯を新しくした

◆どこからかポッと出てくるかも知れないが、なくては困るので、現場終了後、河内国分のAUに行き、携帯を新しくする。いちばん安いヤツ、っても高いもんやね~。スマートフォンにする方が安いよう。

2012年5月5日、松岳山

◆後円部東北チーム【山田暁・道上】2人に任せる。昨日打設した新規杭にマシンを立て、周囲の伐採をやりながら、東のフェンスを入れ、北へのばせるだけのばす。標高65mまで。崖が迫る。紙の西端部分が新規杭でも測量できず、もう1本、杭を打ってやれば、おおむね完了だ。北側の崩落部について、入れる必要があるのかどうだか。
◆後円部北チーム【岸本・尾方】昨日に引き続きP24に据え、昨日の続き。最初は、昨日の測量の修正。最終的に
標高63m~60mまで下がる。ほぼ、崖肩まで到達。あと、どうするか。ただし、一部、西端部は測量できない範囲が残っている。崖下をどこまで測量するかどうかは現時点で未定だが、それも含めて、必要と思われる杭を3本打設する。

2012年5月4日、松岳山

◆今日から後円部北側に移る。
◆後円部東北チーム(D1紙)【照屋・烏野・山田章】後円部東側のP19に据え、紙の端67.5mから北側行けるところまでの範囲で、順番に等高線を下ろしてゆく(標高63mまでくらいか)。標高〓mまで下げる。クレーターの北端も記入。
◆起動に乗ったことを見届け、後円部北チーム始動(C1紙)【岸本・西館・松原】P24に据え、標高70mから63mあたりまで下ろしていく。かなりかせぎました。この間、松原君に枝等の伐採を頼む。おかげで、ずいぶんと見晴らしよく、同じマシン位置でかなりがせぐことができた。感謝。
◆山田君が15:30、照屋が16:00に現場を離れる。そこで、【烏野・西館・松原】に後円部北側をまかせ、岸本は後円部東北で、次の展開のため新規にP52を打つ(-573.772/-487.596/63.313)。水準は、レベルでなく、トータルステーションによる。

プラグイン

カレンダー

06 2025/07 08
S M T W T F S
1 3 4 5
6 9 11
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索