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人を幸せにする人になろう

2022年6月13日、久津川サウンディング

◆12日、翌日の久津川の現場で測量を頼まれていたので、その準備をと思っていたが、見学会とな り、1730に茨木駅まで送った後、職場に戻り、サウンディング測線用の基準点を算出し、道具を積み込み、トータルステーションの充電。
◆翌日は830スタート。2日間で十分なポイントをやってもらうには、ほんとうは別日に測量しておき、業者によるサウンディングを朝からスタートさせるべき。前に前方部西側をやった時は、けっこう測量がうまくいかず、業者が待っている状態になった。今回も同日朝の測量となった。
◆しかしわりあいスムーズに進む。既存基準点はすぐに判明し、チェックしたらOK。そのまま測線の測量に入り、1030には終了した。1本目ができたところで、サウンディングも開始。
◆15時には所用があるので、14時過ぎまでいた。お菊さんと久しぶりに会いました。
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2022年6月12日、高槻見学会

◆をやっている場合ではないが、それはそれ。ところが、この日曜日、すっかり失念して、研究室 で仕事をし始めると電話がかかってきて、「どこですか」。と。しまった。安満遺跡の見学に向かってもらい、高槻に向かう。無事、合流し、そのあと、宮山古墳を皮切りに、最後は阿武山古墳で終わる。茨木市には到達せず。好天で、写真は安宮山古墳から見た安満遺跡公園。

五色塚と網野銚子山

◆約200mあり、ここまでの調査をやっている事例としては、あまりほかにないも のですね。 

なかなかに

◆博物館実習Ⅰが40人でパンク。20人ずつに分け、交互にやっている。授業に来ない時はポスター作り。資料目録を作らせているが、そのデータのやりとりで時間がかかる。
◆大阪の歴史演習も30人という、過去にない人数。このお世話もけっこう大変。普通の教員にはないオプション授業を、博物館概論を含めて3つやってます。同じボヤキを繰り返してますかね。

藤井寺市職員募集

◆案内が届きました。

2022年6月4日(土)

◆ほとんどヒストリアで終わる。6月号がまたバタバタ。いろんな会告や案内などもあり、どこに入れようかと。頁数を稼ぐために、難波宮と高輪築堤の記事を書いた。まあ、こういうのも、誤りのない記事を書こうとすると、資料を集め、読み、時間のかかるものです。なんとか88頁まで行った。そうかまだ、伏見城の報告書が刊行された案内文をかかなあかんか。
◆そのあと総会資料を作って、これは完了。通常の編集委員会報告の資料も作ってしまうか。
◆明日は佐紀陵山に全力投球である。帰るかな(20:00)。

富山で

◆金沢、富山、福井・今庄と考えていたが、カミサンともども忙しく、結局は、 土曜日1日仕事をし て、21時前のサンダーバードで富山入り。翌、日曜日は13時から科学博物館のイベントに参加するので、午前中、放生津へ行った。去年ここを通って、ゆっくり来たかったもので。でも、ややイメージは違っていた。もっと街並みが残っている印象をもったが、かなり建て替わっている。街並みが残ってれば伝建になってるわな。で、前から8号線を行き来するたびに、射水市の博物館の看板を見ながら行けなかった博物館に行く。
 ◆面白かったのが石黒由高の展示。和算に秀でた人物で、また伊能忠敬の測量に同行し、自ら加越 能3州の測量をやった人物。このコーナーが、ひとつ部屋を取ってあり、充実していた。中身も面白い。
◆放生津は、潟になっているんですね。内に入ると穏やかで、港として発達したみたい。横に長く、放生津というのは総称なのかな。
◆そのあと伏木に行くが、またまた中途半端に終わった。北前船資料館を再度、訪れた。前来たときは、ガイドさんが熱心すぎて、カミサンを残して離脱した。この秋元家は岡山からこっちに来たと書いてあったかな。伏木は、車を止めて歩く必要があるが、今回は時間なく、富山に引き返す。興勝寺さんというでっかい寺があり、伏見城の報 告書で、画像を提供いただいた。

伏見城は6月10日できます

◆結局は、6月2日に最終GOとなったのだったか。印刷屋から6月10日ですと言ってきた。執筆者分のレターパックを用意しておこう。めでたし、めでたし。6年もかかったが、いい本ですよ。

2022年6月3日、河内長野

◆また勉強させてもらいました。 1830から21:30まで、西条酒造の石川べりのホタル観賞にさそわれ参加しました。高野街道が一本に集まるのが河内長野。鋳物師、吉年家を見て、酒蔵通りを行く。わずかな長さではあるが、昔の街並みが残る。
◆天見もよいそうだ。勉強になる。
◆あとはメモ。5綿8社。明治20、大阪の木綿アウト。八木通商。国民会館(國民會館の創設者武藤山治は、私財を投入して昭和7年に社団法人國民會館を設立、翌年には大阪城のお堀端、天守閣の真正面に当時としては数少ない1200人を収容出来る「國民會館」を建設して、爾来九十
年近くにわたり、国民の政治教育を中心する公益事業を追求してまいりました。その間平成2年老朽化の為「國民會館住友生命ビル」として建て替え、)。以前に、考古学の研究会があって、建て替え前の国民会館に、1回行っていると思う。寺田紡績(明治45年4月 寺田利吉氏が資本金50万円で紡績業を操業)。奈良漬の元祖は、玉造で酒粕にウリを漬けたのが最初だとか。大阪の金持ちは、真法院町→帝塚山→御影と家を移したのだとか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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