人を幸せにする人になろう

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◆最後は今宿大塚古墳。6世紀の古墳としてはデカイわな。あと、若八幡に寄るが、時間が遅く、神 社への進入口が閉じられていた。向かいの、よくわからない整備された古墳に、最後、立ち寄ったが、写真を撮っていないよう。
◆西にやや戻り、この日のホテルに入る。お店があまりないようだが、チェックイン後、5人で歩き、適当な店があるので入る。なかなかいい店でした。コンデジをもっていったのに、写真を撮っていない。2回生がのん兵衛であることが判明する。3回生についても、コロナでほとんど呑み会をやっていなかった・・・。
◆翌3月22日、わたしの誕生日でした。59歳となりました。あら~。

2023年4月5日、摂南大学の片づけ

◆カミサンの研究室の片づけにでかける。まあ、4月中くらいに空にすればいいみたいである。その まま片付け続けるのかと思いきや、当座使わないといけないPCなどを関学にもっていくことに。そりゃそうやわな。三田の新研究室に運び込むものを積んで出発。着いた頃には雨が降ってきた。

2023年4月4日、宿禰塚

◆最終日、830はじめで、10時前には完了し、片付けて撤収した。実働は2+3/4日くらいでしょう か。既存図に重ねはめ込み、既存図のトレースもして、測った範囲は赤で示した。
◆4月7日、事業報告書をまとめた。一旦、完了。

2023年4月3日、宿禰塚

◆4月2日の夜、アルコール頭ながら、図面をスキャンしトレースをする。が、まったく保存せず、 一気に最後近くまで行ったところで、イラレがクラッシュ。なにも残らず。あ~あ。
◆4月3日もよい天気。うちの班は、D紙の残りをやっつけ、他班のA紙に移り、造り出しの先の自然丘陵や参道部、さらにB紙寄りなども入れる。最後は、他班が今朝からサラのB紙にかかるが、紙端から20mでよいとして、こっちがその先の自然地形を請け負い、だいたいやっつけた。本日、完了することも可能とみていたが、B紙は最後のところが少し残ったので、予定の最終日である4日、朝1時間半程度で仕上げてしまおうと思う。
◆今日は、相生市の方にご招待いただいての飲み会。戻ってきてから、今日までのほとんどできあがった原図をスキャンすべきでしたが、やってないので、昨日、消えた2日まで分についてトレースをした。1時間40分くらいか。黄色は、最初の計画だが、こんなに自然丘陵を入れなくとも、この図をもとに描くことはできるので、下げるのはほどほどにしている。

2023年4月1日、宿禰塚

◆今日から、相生市宿禰塚古墳の測量に入る。。 
◆昨日夜、杭打ちプランを立て、紙割りを考えた。平面座標は任意。水準は、1990年の 図(50㎝等高線)のトップ点を使う。平面は、旧図にだいたいあわせて重ねよう。まあそれでよいかと。
◆実際に現場に来ると、やはり墳頂四方に杭がいる。さてと、新規杭のデータを整理しておこうか。まあ初日は、到着した11時前から基準点の測量をやり、まあ順調にすべり出すための杭は設置できた。等高線測量は午後から。でも4時間半はやったかな。2班編成。
◆初日の飲み会をやり、スキャンもトレースもせず。

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◆次は釜塚古墳。石室に入れるわけではない。加布里という、条里の固有里名 というよりサト名なんだ  ろうか、また音をあてた古めかしい地名ですが、その名前の駅の近傍です。市営住宅かなにかの一画にある。5段築成のようになっている。
◆記念写真を撮りました。もう1枚、マスクをはずして撮ったものもあるのですが、肖像権の問題もあり、マスクをしているものとする。

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◆そのあと、一貴山銚子塚。戻りになってますね。30数年ぶり。で、糸島の博物館の図録に、新し い測量図が掲載されていた。
◆前に行燈山型か、としたこともある。後円部がもう少し大きくなると可能性が出てくるが、現時点ではわかりませんね。右くびれ部の、いまの緑の範囲の外の部分も発掘調査してくれれば、一定の復元が可能となろう。

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◆伊都国歴史博物館。3回目くらいかな~。以下、ウィキ。

1987年(昭和62年)7月、「伊都歴史資料館」として開館(旧館建物)。2004年(平成16年)10月29日、前原市の博物館として開館(新館建物)。2010年に市町合併によって前原市が廃止され糸島市が新設されてからは糸島市立の博物館となった。

◆旧館は北向きで、そっちに到達したが、いまは裏口で、南まで、雨の中まわりこむ。やはり平原の迫力はあるわな。それだけでなく井原ヤリミゾとか。三雲の王墓の遺物は、九博、九歴、それからここ、あちこちに分散しているようですね。四葉座金具も、ガラス璧も。
◆そのあと現地。とはいえ雨の中、三雲南小路とか、端山・築山とか、よくわからないまま、平原のみ。で、平原も、ちょっと寂しい。広大な三雲遺跡を史跡にするのは困難だし、また、いまのところ保存されていくだろう田園風景。そのなかにあって、ピンポイントな平原はじめ現地は、博物館にある実大模型をもう1個据えるとか、現地に足を運んでもらうシカケがあってもいいのでは、とも感じる。

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◆そのあと、古代の森会館。菜畠遺跡のところにマツロ館という展示施設があるのですね。知って いれば行ったのに。そこは情報不足。古代の森会館は、かなり開館の古い唐津市の展示施設だろう。
◆開館時期を調べていたら、以下の新聞記事にでくわす。

 「唐津市は1日、鏡地区の歴史資料館「古代の森会館」を廃止する条例案を同日開会する市議会9月定例会に提出する。2023年4月1日の廃止と同時に建物をサークル活動の拠点など社会教育の役割を果たす「鏡公民館」に名実ともに用途変更する内容。可決成立すれば、遺跡の出土品が並ぶ展示室(約240平方メートル)を4月から無料開放するが、一部の展示物は撤去する。
 古代の森会館は1985年2月、合併前の旧市内や東松浦郡の主要な遺跡から出土した石器や土器、装身具、鉄器、甕棺などを集め「市民の学習・研究に寄与する」ことを目的に開館した。」

◆まあ40年近くになり、展示も古くなっているのは確か。で、どうするんでしょうね。マツロ館の方を見ていないので、なんともいえないが・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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