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人を幸せにする人になろう

観音塚

◆これは唐尺ですわな。
◆奥行7.5尺、幅3尺、高さ2尺余り。
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お亀石

◆高麗尺なんでしょうが・・・。

石宝殿

◆唐尺なんでしょう。
◆奥行6尺(う~ん7尺なのか)、幅3尺、高さ2.5尺。

オーコ8

◆高麗尺でいいのではないか。
◆奥行6尺、幅2尺、高さ1.5尺。

脇田先生と結晶片岩(なんの脈絡もありません)

◆脇田先生とは縁はありませんでしたが、大阪市の博物館と大学が包括連携協定を結んだとき、調 印式に出よと言われ、また記念のシンポがあり、その時にご挨拶をしたのが最初か、と。で、2017年1月の全国城跡等石垣整備調査研究会に出た時、公式懇親会の時に同じテーブルとなり、脇田先生から「〇〇さん」と声をかけていただいた。大阪市は教委でなく、公園側の人が出席していたのではなかったかと記憶するが、脇田先生はこういう研究会にも参加しておられました。
◆その時に和歌山城の石垣修理の発表を聞いたわけです。こないだ、岸和田で景石の劣化をどう修理するかという話になったとき、和歌山で実例があるんではないか、と発言したが、いやないということだったが、金沢研究会の記録集を確認すると、結晶片岩と砂岩の石垣でした。

千本屋廃寺と千本本陣は別でしたが

◆因幡街道沿いの古代寺院について、ネットでPDFを拾うことができました。寺岡さんという方が 書いておられるものに付せられた図です。

太田茶臼山

◆八尾市レキミンで茨木市の展示チラシを見る。おおっ。見たら「おおっ」と思ったことをわかっ ていただけますよね。比較しているのが墓山であるが、しかし上石津ミサンザイか誉田御廟山か、というところが大事だと思います。
◆結論は誉田御廟山だったはず。なので、ミズハワケ大王の時代に、ホムダワケの孫、オオホド王が摂津を任された、と。その妹のオオナカツヒメは允恭妃になる。允恭が即位し、ミズハワケが没し、オホホドも没し太田茶臼山古墳に葬られる。オホホドの後継世代は近江に移配されるのだろう。継体は、かつての本拠地に半世紀後に返り咲いてくるのだろう。

その他

◆八尾のレキミンで、由義寺のパンフレットをいただきました。国史跡になり、市民向けのわかり やすいパンフレットが作成されています。
◆企画展では〈豊作への祈り〉をやっていました。住吉大社?だったか、神饌の画像がありました。それを見て思ったこと。造り出しの食物土製品と似たようなもんだ、と。

この図に感激

◆当日の午前の歩くための資料で、八尾市埋文センター作成の図が掲げてあり、感激。この図録、 是非とも欲しかったが、レキミンには置いてなかったよう。
◆『和泉市史紀要』でわたしが出した図も出しておきましょう。やめ。改新シンポで出した図にする。これは河内南部だが、和泉国の図もある。この河内の図(むろんそれ以前からの元データとしての国界・郡界の図もあるし、さらに北河内、東摂をやっていけば、大阪府域の図ができるわけです。作業用に1万1のファ イル、集合用のファイルも作ってあっ たように記憶するが、しばらく開いたことはありません。

2018年5月27日、東高野街道現地見学検討会

◆9:30に恩智駅。10:00スタート。教興寺、以前に訪れたことがあるが、古代寺院だったんですね。 郡川、高安郡衙がどこかにあるんでしょう。高麗寺(郡川廃寺)、信貴線を越えて八尾市レキミンへ。展示を見て昼飯。
◆13時から検討会。東大阪市、八尾市、柏原市の古代寺院の報告、その瓦の報告、文献史から見た東高野街道の話、少し討論。
◆まず東高野街道という名前がよくないですね。高野山への参詣が定着して以降の話で、本題のこの官道の設置時期はもっとさかのぼるわけで、文献に名前が出てこないとすれば、学術的な名称を付けた方がいいように思う。古代生駒西麓道、とか。設置時期は7世紀前半とみられる。
◆討論の最後で、少し発言しようかと手を挙げかけたが、終了と相成った。7世紀後半に古代寺院ができていく。それはこの地にも条里地割が施工され、評界が決められ、 1条・2条と南から条里大区画の通し番号が降られ、それを基準に五十戸の行政界も設定される。おそらく五十戸を単位として寺院が建立されていくのだろう。7世紀前半の官道設置と7世紀前半の古代寺院は国家政策的なものであるのに対し、7世紀後半の寺院造営は地域ごとに行われていく。河内 の瓦が広がっていくことがそれを示す。
◆『条里制・古代都市研究』に出した図の元図を出しておきます。そのベースには、大学院演習で河内の郷復元をやったときの資料があった。河内平野の内部はなかなかしんどそうだが、生駒西麓については、ひとまず五十戸界を描けるように思うが(実証的とはいかないが)、やらんといけませんね。たぶん高安郡では意見の違いがあって、事例として出せなかったので、東大阪あたりでやったのだと思う。それに寺跡を書き込んでおきました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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