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人を幸せにする人になろう

2018ゼミ旅行若狭丹後(20)私市丸山

◆翌日、8時発。福知山ICに乗り損ね、綾部方面に行くが、おかげで目の前 にそびえる私市丸山古墳 が姿を現し、予定外だが、そりゃ行くでしょ、と山登り。これは造り出し付き円墳なんでしょうか。
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2018ゼミ旅行若狭丹後(19)福知山泊

◆小浜インターから福知山へ。20時前に着く。隣の店が安くて旨いとのこ とだが人でいっぱい、途 中、車の中で調べた店に行き、日本酒を飲む。なにをしゃべっていたかはまったく覚えていないが、今回の旅ではやったこと、「じゃ」、と中世史院生I氏の話、それから調べものをする時のタイセイ。
◆23時過ぎに寝て4時に目が覚め、それから眠れず・・・。

2018ゼミ旅行若狭丹後(18)十善の森→上船・下船

◆十善の森に行く。丸山塚跡地を遠望。快晴だった天気も午後はどんよりしてきて、さらに夕闇が 迫る。そしてラストの上船・下船に到着した頃は暗闇が迫る。車のライトで看板を見る。で、上船塚に感動した。この古墳は美しい。車の中からながめた前方部、そして側面観。典型的な6世紀前半の墳丘である。しかもでかい。ちなみに下船塚の方が規模が大きい。
◆昔、国道からここが上船塚ですよ、と教えられた記憶はあるが、その時には降り立って墳丘に上がったことはないわけです。今回、改めてこの6世紀代の前方後円墳がこれだけあることをどう考えるか、この地域の意味を考える上で、きわめて重要であると感じた。一般的には4世紀までが丹後で、そのあと若狭が重視されていくようになる、と言われているかと思うが、そう簡単な割り切りで説明がつくものでもなかろう。

2018ゼミ旅行若狭丹後(17)向山1号墳

◆向山1号墳の調査は1987年と1988年でした。1988年調査の後半に参加しました(鬼神谷窯の調査 終了後)。なので30年前。記憶がほとんどないのです。まずは場所。なんとなく程度。そこは調べてきてくれているので、この丘陵の先端ピークなんだろう、とはわかるが、囲われていています。しかも覗いてみると急傾斜。
◆調査の時には、いったいどこから上がっていたのやら・・・、そういうことがまったく「記憶にございません」。とにかくも、西側の谷が入っているいるところがもっともアプローチしやすいので、そこから取りつく。が、途中からは思いっきり急傾斜。が、上がっていくと、こんな急傾斜地のピークだが、尾根上にさらにこんもりとした前方後円墳のマウンドがある。
◆これに違いない・・・。とはいえ、墳丘に上がっても、そうそう、こうだったというデジャブ観がまったくない。記憶といえない記憶より墳頂部は狭く、ここに石室と武器埋納坑があったというのがピンとこないわけです。まったく情けない限り・・・。

2018ゼミ旅行若狭丹後(16)脇袋古墳群

◆上之塚、西塚、中塚、ともう1基、前方後円墳が4基ある。上之塚と西塚の間が空いているらし い。5世紀代の古墳が継続的でないとしても、続いていくことは珍しいのでは。そのなかでも上の塚は5世紀前葉だろうし、100m級で、その墳丘は大いに興味がある。墳丘はそこそこ傷んでいるが、周囲の確認調査も一定、行われており、どんな復元ができるのだろうか。最新の調査成果や研究をちゃんと学ぶ必要がある。西塚の墳丘は泣き別れ。奥の中塚は人家と一体になったようになっている。
◆まだ脇袋の村の耕地のなかにあって、まだ耕作が続けられているが、将来的に古墳の整備を進めれば、なかなかの見どころあるものになるに違いない。
◆だれも取ることのなくなったツクシが密生している。

2018ゼミ旅行若狭丹後(15)若狭町歴史文化館

◆旧上中町役場の展示室。脇袋古墳群、向山1号墳、十善、上船・下船。古墳の宝庫であるこの一帯 の出土品のいいものがぜんぶある。
◆入口を入ると、昔、向山1号墳でお世話になったNさんがおられ、挨拶をする。課長さんだそうである。で、文化財というのか学芸というのか、合併して若狭町になり、鳥浜にもここにも展示施設があるわけだが、鳥浜の博物館に職員をまとめるのだそうで、引っ越しを差配されていた。お忙しい時に、展示室をご案内いただいた。ありがとうございました。

2018ゼミ旅行若狭丹後(14)国分寺古墳

◆若狭最大の円墳という。なんでこんなもんがあるところに国分寺を作るんでしょう かね。
◆ついでに若狭町の地形を。この三方五湖から南へ伸びる平野、小浜から上中への軸、この三角形ゾーンが若狭町である。

2018ゼミ旅行若狭丹後(13)若狭歴史博物館

◆そこから高速道路で小浜まで走り、県立若狭史博物館へ行く(300円)。しばらく前に行った記憶がある  が、展示が変わっていた。
◆ここで盛り上がったのは、高さを強調した地形模型に、プロジェクションマッピングで映像を投影する装置。鯖街道というのか、若狭と京との交通路について解説している。昔、途中越え、朽木を抜けて、発掘に通っていた。小浜から上中へ南東方向に平野が伸び熊川宿もある。で、高島に抜けるのでなく、途中で折れて京へ向かうわけである。

2018ゼミ旅行若狭丹後(12)若狭三方縄文博物館

◆500円。外見はへんてこりんな博物館でる。鳥浜貝塚など縄文土器を地下へ降りていく通路の片  側にずら~とならべて展示室へ導入する。丸木舟がある。ユリ遺跡やら、一帯の縄文文化を学ぶことができる。貝層の剥ぎ取り展示もある。

2018ゼミ旅行若狭丹後(11)三方五湖

◆三方五湖に向かう(若狭町に入る)。レインボーラインに乗ろうとするも、土砂崩れで西側へ抜けられないらしく、 どうしますかと言われヤメにする。で、引き返し鳥浜に向かう。博物館の先に道の駅があり、水月湖に面している。そこで記念写真。水月湖の事務所みたいなものがあり、奥では仕事をしてはるが、手前が堆積物の縞の展示というのか学習館というのか、そういうのがある。NHKニュースを見ろとしきりに進められる。
◆現在、鳥浜の博物館の奥に新博物館を建設中で、この秋?にオープンという。 中川先生だったか、立命館大学に移ったそうである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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