人を幸せにする人になろう

2019年9月28日は芦屋

◆公民館でしゃべれとのこと。14時から15時半。結局、上本町で河内鋳物師の勉強。時間になって、阪神難波線で芦屋に向かい、芦屋川沿いに北上し、1時間前くらいにたどりつく。会場の文化センターでパワポを直し・・・。100人くらいの部屋が満席となる。絞り込んだのに、やはり最後は駆け足で、5分オーバー。また上本町に戻り、河内鋳物師の勉強をし、カミサンと一緒に帰る。
◆こないだ21日は、都城制研究会と大阪歴科協の書評会がバッティングし、都城制研究会に行くつもりが、朝、机に向かうと、行っていられない・・・。残念でした。
◆本薬師寺の南門の記事が出てました。平城宮で太政官の正殿?が出たとか。これは何?(仮設でなく?)。藤原の発表というのは、まだこれから?。ちんぷんかんぷんになってきた。

11月17日は

◆カタシモワインフェスが行われる。創業百年の年からはじめ、今年が5年目だとか。ぶどう畑に、 20店くらいの飲食屋さんを配し、来客者はワイングラスを片手に、葡萄畑をまわりながら、ワインを飲み、飲食するのだそうです。いくつかステージも用意され、音楽をやっている人に演奏などもしてもらうのだそうです。
◆今回の参加者のなかに、プロなみの人を含む4人でマンドリン演奏をやっている人がおり、それなら出演してくれ、という話になっていました。
◆人との出会い、楽しく話をする、これが人間の幸せですね。9月26日、行くと言っていたものの、大丈夫ですかと確認の電話をもらった時、いろんな仕事を考えて「思案中」と返事をしたが、参加してよかった。元来、切り替えが下手で、あんまり外へ出ていかない人間だ。が、いろんな機会があり、誘いもあり、どうしてもダメな時はむろんあるとはいえ、新しく人と会ったり、それまでにない経験ができる機会には、できるだけ飛び込むのがよい。

社長のお話

◆髙井社長は有名人。しゃべりも抜群。いろいろと語っていただきました。ブドウ栽培として4代 目、ワイン醸造で3代目なのだそうです。
◆明治政府が、米を確保するため日本酒の消費を減らし、ワインを奨励しようとした。前にもかかわったことのある播州葡萄園などを作るも、いずれもダメ。甲州で、日本の封土にあった種が作られたのだったか。柏原市の資料館の特展図録で勉強しなおさないといけません。栽培は江戸期からしていたのではなかったか。
◆とにかく河内と甲州のぶどう・ワインが生き残ったと。大正7年から昭和10年までは大阪がワイ ンの生産日本一だったのだとか(いまは7位だそうである)。昭和9年の室戸台風で、風速60mを超える台風で、1000haの葡萄の65%が倒壊したのだとか。カタシモワイナリーは大正3年の操業とのこと。水はけのよい山の上の方の土地は、かつてJR柏原駅前の平米単価より高かったのだそうです。土が砂ケの多いところ、粘土質の高いところ、畑のひとつひとつで違う。ブドウの木、1本1本で違う。それは熟してきた葡萄で見分 け方を教えてもらいました。栽培にはストレスを与え刺激を与えるのがよいのだそうです。根を8分割して1年ごとに1/8を切るのだそうです。そうして細い根を再生させることで葡萄の木も長持ちする。100年以上の木が日本に5本あり、そのうちの〓本がここにあるとのこと。除草剤は使わない、露天の畑には草が生えるまま。ハウスで水でふくらましたような葡萄とは甘みがぜんぜん違い、ワインにするとそれがテキメンに現れるのだとか。水はけのよいところがよいのだそうです。根が砂粒の水を吸う?といったように、で、ミネラルも吸収する、と。気候温暖化が一番の問題。昼夜の温度差がある方がよい。
◆むかしの写真では、ほんとうに一面葡萄畑で、その間に屋根が見えるという風景。社長が学校へ行くのも、すべてぶどう棚の下を通って通っていたと。同級生もまたみな葡萄農家の子供だったが、13~14人いてあとを継いだのは1人だけだとか。戦後のジェーン台風や伊勢湾台風とか第2室戸、すべて大きな被害をもたらし、昭和30年代から右肩下がりだと。雨が多いのもだめ。ハウスを作るにも金がかかり、徐々に離れていく、と。いま柏原市内で葡萄栽培をやっているところで、跡取りがいるのは30%。耕作しなくなるところがとどまらない。そうした畑も借りて栽培しているのだという。

2019年9月26日、河内六寺とぶどう畑を歩く

◆大学の科目履修プログラム、おおさかガイド+講座で、大阪の歴史演習を担当している。隔年開 講で、2019は3回目。いつものように履修生と仲良くなり、いつも前期の打ち上げで飲み会が設定される。で、8月に柏原市歴史資料館で講演した時も、みなさん押しかけてくれました。その前の7月時点で、柏原おいなーれの会の履修生が、授業で河内六寺のガイド案を作っており、履修生で実際に行こうということになり、日が設定され誘われたものです。
◆カミサンと2人で参加。JR高井田駅10時。参加者は10数名、大阪の歴史演習を履修していない同期生も半分。横穴を見て、資料館、鳥坂寺、家原寺、知識寺。そこでカタシモワイナリーの社長に出迎えてもらい、石神社の知識寺塔心礎、湧き水、そしてぶどう畑。それから社長宅のテイスティングルームで話を聞き、お宅のなかの部屋で食事。久宝寺のフレンチ料理屋提供の食事。ワインを4~5種類、いただく。14時解散。まあ、楽しい。役得です。

11月30日、河内鋳物師シンポ

◆を実施します。チラシを作っています。今日中に終わりたかったんですけど・・・。

三木清

◆新聞での連載を読む。まっとうな、実に偉大な人物です。獄死したのは8月15日の1か月後。GHQ は驚き、治安維持法を廃止したという。大阪商大事件で監獄にいた人たちも(昔展示をやった時の記憶では確か)10月に釈放されたのではなかったかと思うが、この政治犯の開放指示も、三木の死の影響なのだろう。いずれはという時間の問題であったとしても、8月15日以降の死は痛ましい。

2019年9月18~20日、和泉市合同調査(3)

◆2日目、何をしていたかというと、絵図のフォトスキャン。井坂家文書2500点のなかに絵図がいく つかある。うち、かなり巨大な畳2枚分くらいのものもある。上からも撮れないし、壁に下げるにしても危ない(糊付けがはがれているところもある)。1日目夜のミーティングの時に、「そや、フォトスキャン!」だと。
◆できあがりの画像は示せませんが(作業上の画像で)、ほぼうまくいきました。フォトスキャンなので、斜め写真でもいい(片側から撮るにしても向こう側は遠い)。ですが、合成したものを見ると、やはり角がひずんでいます(畳が反っていますよね)。基本、長い絵図に対し、長辺側に立ち、ずれながら同一方向から撮ったが、たぶん、撮影者が一周するように撮った方がいいようだ。
◆が、まあまあできるわけです。いちおう合成したものに対してXYZ座標が自動的に設定されているので、オルソーを出せば正規化された画像がえられる。このXYZの座標系の枠は表示されているので、もし修正するなら枠を動かすこともできる。
◆なお、もっとも時間がかかるメッシュ作成は、現場のトレンチでも時間はかかるができていたが、これが何度やっても、かなりの時間を要し、メモリが足りませんと止まってしまう。なんなんでしょうか。点群データが多いのでしょうか。そこでメッシュの素材を低密度クラウドにするとあっという間にできた。部分拡大をするなら別だが、全体を示すこと、あるいは文字を読みに行くには十分である。
◆前に杉本村絵図について、部分写真をイラレで合成し、いちおう作り上げた。できるだけ垂直に撮影しても、色調が違い調整しないといけないし、隣の画像とはどうしても合わない(チョー重いし)。が、ソフト上で合成され継ぎ目なく、色合いも変ではない。十分ではないか。

2019年9月18~20日、和泉市合同調査(2)

◆4班編成で、ひとつの班は水利担当で、一緒に1日目に歩いた。午後も1人で歩く。ここには、基幹 間水路の久保津土井、観音寺で完結する小山池・小井、の3つの水利組合がある。これら3つの組み合わせ方の概略を知ることができた。久保津土井については、和気町の合同調査でかなり歩いた。写真上は観音寺北側の段丘崖裾を通る久保津土井。
◆久保津土井の取水口に近い観音寺は、その水を使うのは西側の丘陵先端をまわってきたあたりで、集落東側の田地は丘陵地のため池による。小山池水利組合というのは、 牛神池、七ツ池、大池、三ツ池という、4つの谷に設けられたため池による水利の総称とのこと。条里に沿う東西に集落まで一直線に通る水路が「大溝」とよばれる幹線である。写真下がそれ。

2019年9月18~20日、和泉市合同調査(1)

◆今年は観音寺。観音寺山遺跡。この丘陵上の宅地開発で、観音寺寄りのところは「弥生町」とな る。昔、摩湯山古墳の測量をしていたころ、この丘陵を横断し、弥生町との地番を見て、このへんかと思い込んでいたのは1丁目・2丁目あたりの西側部分。だが、実際に調査されたのは4丁目となっているあたりであった(写真下の左側)。
◆三井不動産による開発だが、当時の調査は工事に追われ、一部にとどまったらしい。同じように西北にのびる丘陵の、調査地外にどれだけ弥生の集落が広がっていたのかは、もはやわからなくなっている。そうなのだ。報 告書の経緯のあたりを丁寧に読み込む必要がある。
◆弥生の集落が、この槇尾川と松尾川にはさまれた一帯で、いくつか知られているようだ。池上のように大規模なものはない。が、観音寺山遺跡を考えると、各所にあった集団を足せば、そこそこの集団規模になるのだろう。尾根もいくつかに分かれ、住み分けることも可能だ。観音寺山遺跡は弥生後期の長きにわたって存続するという。山にあがって100年あまりは降りてこなかったのか。なぜだ、ということを考えていた。答は簡単ではないが・・・。

2019年9月16日、紀美野→泉佐野

◆15日、14時には加古川を出て、オープンキャンパスをやっていたカミサ ンの職場に向かい、広 い、一度、家に戻る(忘れ物)。そこから紀美野へ。
◆16日、施設に入っている岳父に会いに行き、買い物をし、とある茶店に入る。フレーバーティーで打ち出している店で、古民家でやっている。
◆昼ご飯を取り、14時半くらいには出たか。泉佐野長滝の蟻通神社の薪能に行く。カミサンの同僚 から誘われたもので、ちょうど子供2人も帰ってくるのに重なったので、追加で2名のチケットも押さえ、でかけたもの。昔、院演習で日根野に行ったとき、立ち寄った。16時半開園。実行委員長についで、泉佐野市長のあいさつ(最後まで鑑賞していました)。世阿弥の確実な作に「蟻通」というのがあり、和歌山に赴こうとした紀貫之の話。狂言をはさんで、後半は「乱」というものでした。16時半だとまだ明るかったが、後半には暮れる。いちおう、ひととおりのセリフを文字にしたものの配られていた。そのまま聞いていても、半分はわからない。音は明瞭でも、言葉が古く、なかなかたどれませんね。でも、能というのも楽しめます。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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