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人を幸せにする人になろう

淡輪の朝

◆3月3日、朝、旅館の2階からの大阪湾。海は北、である。この海から紀氏は朝鮮半島に向かい、死 んだ小弓はまたここにもどってきて葬られたわけである。
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西陵2018年3月2日

◆参加:自分、道上・阿部・大澤・合田・松井・山崎・テジョン
◆9時前に宿舎に行き、宿泊表をわたす。紀淡の駐車場に行き岬町担当者と会い、現状変更許可の書類をもらう。そのあと杭の位置を教えてもらう。学生・院生ら7人は9:19みさき公園駅着。
◆車を渡堤横につっこみ機材を下ろし、参加者の荷物を積み込む。機材を前方部頂に運び、基準点測量の準備。レンタルTCはねじが径38ミリ(1台)。ターゲットのライカGPR1も同じではない。基準点データが来て、測量を開始。しかし墳丘側から杭2を測り込むと1㎝近く差があり、悩み始める。昼休みの時点ではどこまでいったのだったか。
◆昼は紀淡さん。午後、後円部の上面テラス(=中段テラス=上段裾テラス)P13まで。一方で、前 方部チームは測量を開始する(阿部・松井・テジョン)。最後はくびれ部チームも(大澤・合田・山崎)。これは墳頂部肩の3点のみ。
◆17:40終了。歩いて宿舎にむかってもらう。車で宿に行き荷物を下ろす。部屋に入り作業スペース等のセッティング。19:00夕食。そのあと、基準点の確認、紙割、明日の打ち合わせ等をやって、初日の飲み会。なお、基準点の高さが間違っているとの連絡が入り、換算する。前方部班の初日の等高線はやり直しである。

2018年3月1日(木)

◆第1回卒論演習。
◆この日、業者が基準点測量。大学にレンタル測量機器が届き、機材を積み込む(昼)。チビミラーがなく、あわてて追加発注。2日午前に宿舎に届くよう手配。現地横の中華料理屋の紀淡さんに電話し、駐車場をお願いし了解をもらう。基準点測量は、やはり樹木のためGPSでは墳丘内は無理で、堤に2点を落とすとの連絡が入る。計算し、初日2日の10時頃に座標が上がる予定。

あ~疲れた

◆27日は研究室で徹夜。何をやっとったんですかね。西陵の紙割、久津川のトレース、大歴委員会の処理、エトセトラエトセトラ。朝、2時間ほど寝て、大学史ニュースの原稿を書き始め、気が付いたら10:00をまわり、ありゃ共通教育の追試があった!。あわてて8号館に行く。そのあとは入試採点の総合点検。戻ってきて大学史ニュースの原稿を完成させ、追試の採点をして届け、と。なんとかこなしとります。

倭国王墓は同時代最大規模墳です

◆いまのところ例外はなさそう。
◆と、こう宣言してから、いただきましたご著書、読ませていただきます。ありがとうございました。

西陵の汀

◆前方部側面の汀の葺石。いま満水でなく、50センチ程度は水が引き、斜面の続きが見えてます。摩湯では、この斜面も入れた。
◆汀より上の墳丘本体があり、水際に斜面が続き、転落石がある。その辺を入れて いくのは結構たいへんです。まずは崖端までですが。

久津川トレース

◆やってしまいました。穴がまだあります。たぶん切った竹が盛り上げてあるなど、不可能なとこ ろもあるのだと思いますが。
◆原図を見ていると、院生らの筆力もまだまだです。点の落とし方、線のつなぎ。破線も肩か下場か道か、窪んでいるのか、凸なのか。各々の線の意味が明瞭で、コンクリート擁壁とか畦とか文字での注記もあり、現場を知らない人でも誰でもトレース可能なような、よどみない、つまりトレース図と変わりない原図を、現場で作らなければならない。休み時間、その日の終了後、発掘図でも測量図でも、常により良い図に書き直しを重ねたもんです。太さを変え、破線の線分の長さを変え、いい図面を見て研究し、とびきりの図にしようと心掛けたもの。直線のものは定規で引く。そのへんの飽くなき追及心が弱いように思う。原図がすべて。それ以上のものにはなりません。
◆こないだも、消しゴムさえもっていないヤツがいた。何をしに来ているのか。0.5、0.3、15㎝程度のものさし、現場に来るときは、当然ポケットのある上着を着て、差してくるものです。こないだ は実習用の0.3を何本か用意してあった。使うな、これは考古学実習用です。というより、自分の道具をそろえよ、そして大事にしろ。当たり前です。で、間違ったら、シャーペンの消しゴムで消そうとする。これもっとも嫌いです。さらに軍手。発掘現場では用意されてしまっている場合が多いが、わたしは支給しません。本人が用意するのが当たり前だから。
◆西陵のトレースは自分ではしないつもり。仕上げの段階ではやるが。基本、自分らで。そういう経験をしないと、原図のこともわからないだろう。

紙割図

◆購入したユポ紙の方眼紙は横55㎝×縦40㎝。最近は、重複部を作らないようにしている(まあ、あっても いいのですが)。紙割に規制はされるが、その隅まできっちり埋め、等高線がややこしくとも、紙の範囲分、形状をみて埋めりゃいいと思っている。隣はまた、その紙の端から測り始めればいい(同じ個所を両方で測ることにはなるが)。どこで区切られるかはとても大事なので、そこは継ぎ目がどこにくるか、等高線がどう走るかで、いちおう考えております(が、すべて満足なものにはならない)。とはいえ55㎝というのは間違いが生じやすい。初日にきっちり座標を記入した用紙を作り上げることだ。
◆大阪府の1万1地図で座標を確認し、やってはみたが、基本、これは無駄な作業。国土座標が世界測地系に変わっているので。なので、1日のGPSによる基準点測量の座標成果を見て、2日にただちに確定させるしかない。その準備作業というつもりでやってみた。
◆ひとまず2チームでスタートを切らせる。3班編成で色を変えてみた。ほんとは杭の測量も各班でやるのがいいのだが、能率が悪いだろうし信頼性がないので、プロのミッチーと組んでこっちで打つつもり。わりとまばらなので、必然的に各班で枝の基準点を作ることになるだろう。

淡輪古墳群

◆前にも出したかと思いますが、再度、掲げておきます。大阪府の『西陵』の報告書は実は見たこ とがない。元図は、おそらく『なんとかと倭の五王』とかいう青木の本だったような気がする。それも昔の粗いスキャン図しかない。本が見当たらないもんで。昔の港はどこだったんでしょうかね。

堺市での講演会が冊子になったが

◆自分のところ、ちょっとひどいですね。忙しくて、1回校正したくらいで、あとは任せたのかな。 でも、それだけでもなく、全体として編集側が気をつけてくれたら、と思うところも多々ある。でもまあしゃーないな。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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