人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
愛宕神社と出雲大神宮
◆愛宕神社。元愛宕というのだそうですね。昔、愛宕山に一度だけ上
ったことがある。京都盆地の 北東は比叡山、北西は愛宕山、これが京都の景観。だが、もとは亀岡盆地側のものという解説があった。いまは愛宕山の山上が本宮のようになっているが、もとはこっちというので元愛宕、というのだそうである。集落背後の山のやや入った位置にある。ひっそりと鎌倉時代の本殿があり、神社らしい神社。
◆一方、丹波一の宮である出雲大神宮。753を含め、平日月曜の午前というのに、次から次へと人がやってくる。祈祷をお願いする女性が待機し、順番に祈祷してもらっている。縁結び、というので売り出してもいるよう。繁盛している・・・、と。神社も現代を生き抜いていかないといけないが、近
い場所の2つの神社が対比的で面白かった。
◆一方、丹波一の宮である出雲大神宮。753を含め、平日月曜の午前というのに、次から次へと人がやってくる。祈祷をお願いする女性が待機し、順番に祈祷してもらっている。縁結び、というので売り出してもいるよう。繁盛している・・・、と。神社も現代を生き抜いていかないといけないが、近
御家人
◆5世紀以降の大型円墳。大型前方後円墳被葬者とは異なり、より王権に直属する形で、軍事的役割を担うものとして編成された被葬者イメージか。こういうのをどう理解するか。で、ふと御家人という言葉が思い浮かんだ。ウィキ。「平安時代には、貴族や武家の棟梁に仕える者を「家人」と呼んでおり、鎌倉幕府が成立すると鎌倉殿と主従関係を結び従者となった者を、鎌倉殿への敬意を表す「御」をつけて御家人と呼ぶようになった。」、と。
◆直木先生的にいえば、臣姓氏族に対して、5世紀に連姓氏族が現れてくる、ということともつながるイメージ、ということでしょうか。地名を冠し、一定地域を治める同格的臣姓氏族に対して、王権に対する役割がウジ名となる連姓氏族が、王権内に編成されてくるということとも、つながってくるのでしょうか。一方、A型とかB型の舎人軍というやつ、ぜんぜん勉強していないが、そういうことも学習していかなければならない。
◆直木先生的にいえば、臣姓氏族に対して、5世紀に連姓氏族が現れてくる、ということともつながるイメージ、ということでしょうか。地名を冠し、一定地域を治める同格的臣姓氏族に対して、王権に対する役割がウジ名となる連姓氏族が、王権内に編成されてくるということとも、つながってくるのでしょうか。一方、A型とかB型の舎人軍というやつ、ぜんぜん勉強していないが、そういうことも学習していかなければならない。
2017年12月4日、丹波
◆この数年、大学院演習では、順番に発表をまわしたあと、ところどころにFWを入れている。前期
は2回行ったが、後期は、確か台風で授業がなしになったこともあって1回目はなくなったが、今回は丹波にでかけた(午後の早い目には帰ってくるようにしている)。
◆まず亀山城。いやびっくりしました。大本教の弾圧は知ってはいても、出口オニ三郎がすっかり城を買い取って、本部にしていたということを知りませんでした。明治に取り壊されるが、どこまで石垣は取り壊されていたのだろうか。そして、鉄道敷設のために石垣石が使われたという。そして、大正8年に出口が入手、石垣を構築。しかし弾圧後の1936年に、建物のみならず石垣も徹底して破壊されたらしい。それを戦後にさらに再建。なので、近世城郭とはいえ、何度もの改変を受けた姿であるわけだ。
◆一般の見学者にも開放されており、受付に言えばひとめぐり、することができる。
◆まず亀山城。いやびっくりしました。大本教の弾圧は知ってはいても、出口オニ三郎がすっかり城を買い取って、本部にしていたということを知りませんでした。明治に取り壊されるが、どこまで石垣は取り壊されていたのだろうか。そして、鉄道敷設のために石垣石が使われたという。そして、大正8年に出口が入手、石垣を構築。しかし弾圧後の1936年に、建物のみならず石垣も徹底して破壊されたらしい。それを戦後にさらに再建。なので、近世城郭とはいえ、何度もの改変を受けた姿であるわけだ。
◆一般の見学者にも開放されており、受付に言えばひとめぐり、することができる。
白石太一郎先生の傘寿をお祝いする会
◆出席のハガキをしばらく寝かせていたら(Jムークの撮影との関係)、直前になってしまい、あわ
てて投函する。会場は近鉄奈良駅のビル。あんたの出席は聞いてませんと言われれば帰るつもりであったが、無事、受け付けられていたようで、テーブル名「今城塚」の席に組み込んでいただいておりました。
◆主催者あいさつのあと、3名ほどの祝辞スピーチがあるほかは、フリーで、1時間もたてば、入り乱れてくる(もちろん最後のところで先生のご挨拶はある)。
◆2次会まで行き、終了。みなさんといろんな話をした。酔いに任せてほとんどは忘れてもいいのだが、少し書き留めておくべきようなこともある。お城は近代の遺跡だ、とか。大阪の近代建築をいかに守るか、とか。削りは北陸が早いとか(Iさん、また教えてください)。
◆主催者あいさつのあと、3名ほどの祝辞スピーチがあるほかは、フリーで、1時間もたてば、入り乱れてくる(もちろん最後のところで先生のご挨拶はある)。
◆2次会まで行き、終了。みなさんといろんな話をした。酔いに任せてほとんどは忘れてもいいのだが、少し書き留めておくべきようなこともある。お城は近代の遺跡だ、とか。大阪の近代建築をいかに守るか、とか。削りは北陸が早いとか(Iさん、また教えてください)。
2017年12月3日、Jムークの撮影
◆9:30に学情に行き、セッティング後、10時過ぎから撮影が始まりました。わたしは2回分でいちばん少ないのですが、無事、2本分の撮影を終えました。前日夜、読み原稿にさらに手を入れ、今日の本番前に、投影する原稿データを直してもらいました。昨夜は読む練習を何度か・・・。
◆今日は午後奈良ですが、その前に、Jムークに使う画像等の調整をやってしまいたいと思います。
◆今日は午後奈良ですが、その前に、Jムークに使う画像等の調整をやってしまいたいと思います。
土佐街道
◆高取城攻めにむかう。すると自然に土佐街道、高取城下町に行く着く。
これは歩かないと。店に入 りお茶を飲み、短い時間だが散策する。
◆高取藩、植村氏というのは徳川=松平の譜代大名とのこと。で、いまも町長をやっている、のだそうだ。まだ支配している・・・。城への大手道をさらにさかのぼった地点に、大きな植村屋敷がある。
◆城へは、壷阪寺側から上がった方がよかったようだが(カーナビが動かなくなっていた)、大手道沿いに途中からは山登りとなる。登りはもうカミさんのスピードに追いつかなくなっている。そして城郭遺構が現れ始める。ま、石垣ですけど。本丸に着くと、16時前だったが10人程度は登っている人がいた。降りるにも30分はかかった。
◆高取藩、植村氏というのは徳川=松平の譜代大名とのこと。で、いまも町長をやっている、のだそうだ。まだ支配している・・・。城への大手道をさらにさかのぼった地点に、大きな植村屋敷がある。
◆城へは、壷阪寺側から上がった方がよかったようだが(カーナビが動かなくなっていた)、大手道沿いに途中からは山登りとなる。登りはもうカミさんのスピードに追いつかなくなっている。そして城郭遺構が現れ始める。ま、石垣ですけど。本丸に着くと、16時前だったが10人程度は登っている人がいた。降りるにも30分はかかった。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。