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人を幸せにする人になろう

この風景見たい

◆まあプロの写真はすごいわけですが、この地形、見てみたいと思いませんか。
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2017年11月29日

◆ああ、11月が終わろうとしている。FM城攻撃も、このところ時間がなく停滞。今日は、10月に取り除いた右肩の石を抜いてもらいに病院に行く。特定の曜日の先生なので、2限の授業はゴメンしてもらう。ついでに、別の病院・市役所・車屋の用をぜんぶ片づけ、病院に。結果、きれいになくなっています、と。行かんでもよかったんかいな。先生も「わざわざ来てもらってすいません」と・・・。まあよい。
◆病院で院生の論文を読んでいました。
◆戻って、娘の住宅契約にハンコを押すなど書類を書き、送り返す。大学院は水産学に代わり函館のキャンパスになるので、その3月末以降の下宿の住宅契約です。なんでも指導の先生はアメリカ人のイカの研究者で、本人はタコの研究をするのだとか。いまは理学部生物で、ラットの研究をやっているわけだが、卒業研究は進んでいるだろうか。息子は電波関係の修士課程だが、何をやっているのか、さっぱりわかりません。
◆さて、院生の論文に戻ろう。ある章、残り3枚だが読み切れん。Jムークの仕事もせんと、まずい、です。

怪音声

◆スガという人は、何かわからない怪音声みたいなもの、というかもしれませんね。

かみたに!、しぎ!

◆さすが大阪というべきか・・・。で、まだいすわっているのか。当たり前なんでしょうね。「なんで悪いん?」、ばれたのはさすがにまずいけども、「みんなやってるし」ということか。

2017年11月26日、四校交流卒論発表会

◆京都府大、奈良女、三重大でやってきたものに加えていただき、3年目でしょうか、はじめてホス ト校になり、学情6階のセミナールームで開催しました。学生・院生らが準備してくれ、無事、終了した。あとの懇親会も楽しく、今日の発表をめぐって、また参加学生・院生らのやっていることを聞いて話をしたり、とても楽しくやれました。いいもんですね。
◆20時過ぎには解散したが、そのあとM大Oさんと2次会へ。けっこう呑みました。これまた楽し。また海があって渡る、棺あって槨なし(〈魏志倭人伝〉です)というのをどう考えるのか、丸山古墳の前棺と奥棺の位置関係をどう説明するのか、くやしいので考えないといけませんが・・・。

播磨見学会(8)宮山と姫路市マイブンセンター

◆夕暮れが近づく中、宮山古墳を訪れました。隣のマイブンセンターに明かりが。土日やっている のか?。時間は1645。入館1630までとあるが、入れていただきました。姫路市内の古代寺院の展示、面白かったです。蓮華文帯シビの勉強もさせてもらいました。これだけの企画展を構成していくのも大変だと思いますが、引き続き頑張ってください。
◆ここ、常設展はないと思っていたが、収蔵庫の壁面にあるのですね。丁瓢塚の埴輪も置いてくれておりました。
◆17時が来て、ここも施設は指定管理なんでしょう、もう閉めるといわれ、古墳現地に。
◆そのあと判断ミスで姫路バイパスに乗ったら、高砂にたどり着くまで30分以上もかかる大渋滞。反対に出て、播但道で北上すべきでした。自分の実家最寄のランプで降り、志方まで北上し、山陽道に乗り直し、天王寺で解散したのは20時直前でした。

播磨見学会(7)壇場山と山之越

◆壇場山古墳。さらに大きくなりました。典型的な中期前半の古墳です。南側の造り出しもちゃんと残 る。新しい測量図を添えた看板を立ててくれています。仲津山の半分とも書いてありました。(山之越とあわせて)長持形石棺が2つ見れることもすばらしい。ただし壇場山の石棺は中心位置ではなく前方部寄りです。奥にもうひとつあると思っています。レーダーをかければ確実に捉えられるだろう。
◆現地では、渡土手について考えていました。

播磨見学会(6)丁瓢塚

◆竹管文の土器を見つけてくれ、といったら、小片ながら見つかりました。
◆104mはでかい。新しい看板が前方部のところにありました。昔は竹やぶで、測量するとき、エスロンテープを通しなおすのに苦労しました。

播磨見学会(5)輿塚

◆権現山51をめざしたのですが、山を間違い行きつけず(いちばん安パイと 思っていたのですが、 大チョンボ)、輿塚に。兵庫県の史跡。新しい測量図もあるし、看板を更新してほしいですね。道案内はある。
◆そのあと綾部山に行くが、ちゃんとした分布図を持って行ってなかったので、行っただけ。大型の円墳が2基あったはずだ。古い分布調査報告書をもっていたはずだが、どこへ行ったのやら。

播磨見学会(4)龍子三ツ塚

◆大昔に(高校生の頃?浪人中?)、南側から直登して行きついたことがあった。大手前が 掘っている時は、どこから登っていたのでしょうか。どこからアクセスするのがよいのか、調べてもわからないまま、現地へ。養久山との切通を北に抜けきらないあたりから登り、無事、たどりつくことができた(石山古墳よりましだった)。
◆岩盤風化の赤い礫的地山の墳丘がほぼむき出しで、ブルーシートも朽ち果て、傷みを感じざるを得ない状況でした。養久山1よりちょっと大きくなったのかな。前方部のあたりで、土器片を見つけました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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