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人を幸せにする人になろう

2017年9月10日(日)宇陀松山(2)

◆桜井から長谷南道(勝手な命名)を通り宇陀松山へ。途中、オッサカを通るので、「段の塚イコ カ」と。前に、確か雨が降っているような天気が良くないなかで一度来たことがある。今回は天気も良く、陵墓の裏側をぐるりと一周する。なんとなく八角の稜線と思われるものも認識できる。とはいえ、夏場だと草木が繁茂し墳丘の全体を眺めることはできない。
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2017年9月10日(日)宇陀松山(1)

◆現地説明会のあとは解散。カミさんと昼の食事をしたあと、スーパーで買い物。ハタハタほかアテを作り、飛鳥ワインを。カラオケ2時間シャウト(~22:30)、寝る。ひところの睡眠不足から、寝過ぎ気味で、2:30に目が開き、しばらく起きていたが、また寝て、起きたら9:30だった。
◆かばんに仕事道具を入れるも、遊びに行くことに。念願の宇陀松山に向かう。桜井で織布コウバ の木造のノコギリ屋根を見て、戻り、写真を撮りに行く。比較的最近までやっていたが、やめてしまったみたい。10年前くらいだろうか。繊維産業の全盛期、1970年代以降の中国製品輸入開始以前、地域地域で、大きな企業に納入するような、自分の家の敷地内などに設けた織物コウバが作られた。和泉でもまだ営業を続けているところもあるが、多くがやめていっただろう。これらも近代日本の歴史遺産である。が、田舎では、地域地域にそこそこ残っているのか もしれませんね。壊すにもお金がかかるし。どこまで貴重かといわれれば、こうした近代化遺産、ある時期にはどこでも見られたもので、価値のあるものなんだという感覚や、残していけるなら残したいねという意識は希薄なんだろう。
◆とはいえ、そこは文化財担当者の見識でしょうね。大きな工場で煉瓦建築のいいのがある、といったわかりやすいものでなく、村のなかに遺る近代化遺産、遺ってきているとはいえ、徐々に数を減らしていく中で、できるなら特徴的なもの、典型的といえるものなどを、なんとか残したいと思い、所有者と話をし、またそのための手だてを考えたりするかどうか、ということになるのでしょうね。

2017年9月9日(土)現地説明会

◆参加者。城陽市担当者。工藤さん+1、自分、長友さん、大澤(市大M1)、園原(立命M1)、川 北(京大M1)、泉・田口(奈良大4)、前田・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)。以上だったけか。
◆8:30集合。第2京阪で行くと、8:15には着いたか。会場への誘導ボードを取り付けたり、テントを立てて受付をつくったり、遺物の実大ボードを作ったりと・・・。
◆10:00から13:00.参加者は約300人?。原田君や道上君も来てくれました。天気はよい。院生・学部生、みな説明に立つなど、それぞれの役割をやってくれる。チームでちゃんと仕を割り振ってくれている。リハも。こっちは、1回だけ17-1の説明をした程度。
◆終了後、後片付けをして、シートをかけて、14:00頃に解散。

渡り土手の角度

◆基底石は車塚座標南北軸から14度東偏。なので、土手軸は主軸に対し76度西偏(前に画像に入れてましたね) サイン・コサインを出して座標を変換し、フォトスキャンの座標を置き換え、振りました。これにもとづき礫立面オルソを作りました。

壁面オルソ

◆こないだ、北壁だけで、西壁とつながらなかったもの。直後に写真を補い、ここまでは来ていた が、未完です。西壁の隅部、画像はありアラインされているのだが、なぜ欠落するのか、重複がないとこうなるんですかね。それとせっかくだから拡張区の西壁も連続するように、補っておこう。

2017年9月8日(金)

◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、大澤(市大M1)、園原(立命M1)、泉・田口(奈良大4)、前田・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆シート全開。お日さんに調査区の乾燥をお願いする。各自、図面の続き。17-3トレンチ(掘り下げ停止)の今年度記録(写真・フォトスキャン)。17-1トレ木製品の2分の1図の立面図作成。
◆午後、レーザースキャン(12:30~16:30)、17-2トレ→17-1トレ変更部。16:30時から現地説明会の設営。列石に色ガムテ。部位名称パネルを釘で地面に打ち込む。最後、17-1トレンチの柵を少し調査区に近づけるため、杭の打ち直し、トラロープ張り。完了は17:30
◆悔しい17-3トレ。今年度はここまでと・・・。今年度の記録として写真を撮
ってもらい、フォトス キャンもやっておく。できたが、標高がおかしい。機械高か眼高か。明日、標定点のレベルだけ確認しておこう(できれば写真も・・・)。掘っている最中に、くびれ部との標高差を確認したが、調査区西側の掘り込みを止めたところで、くびれ礫敷面より30㎝高かった(はずだが・・・)。上段だし、ほぼ水平だろうとは思うが・・・。
〔訪問〕和田先生。

2017年9月7日(木)

◆午前、大阪府高齢者大学校をやってから現場に向かう。
◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、大澤、園原、山本、市川・前田・山崎、池口、中谷、上野。

◆朝、シートを開けるも雨、9:45再度シートを開け、図面にかかる。10:00。大阪高齢者大学履修者への説明(~11:00)。直後にいきなり大雨が来る。シートを掛け、ずぶ濡れ。今日は無理でしょう。弁当をもって宿舎に。芝が原古墳などの見学、そのあとゴリゴリ館、宿舎に戻る。
◆帰宅し、ひとつ作業をして、爆睡。

2017年9月6日(水)

◆大学院入試2日目で完全休みにしたのかな。
◆参加者。長友・大澤・園原・市川・山﨑・池口・中谷・上野

17-1tr。葺石の平面図を進める。お昼までには平面図が一名を除いて終わり、午後からは後円部葺石の立面図と北壁の土層断面図を進める。天気次第だが葺石の平面図は明日の昼までには終わりそう。北壁の土層断面図は今週で終わると思われるが立面図は少々厳しい。弓と思しき木製品の横を長方形に小さく断ち割って残存状況を確認した。
17-2tr。平面図はお昼までに終了。立面図に取り掛かる。円筒埴輪列は、埴輪列掘方の高さが違うという指摘を確認するために、何かしらの方法で断面図のような図を取る必要がある。また、どれか一本は十字に断ち割り断面図を掘方に対して平行・垂直の二方向で記録し抜き取る方針である。
〔訪問者〕菱田さん(京都府立大学)、桐井さん・北山さん(京都府教育委員会)、記者さん1名。
以上、by大澤

陸橋の角度

◆なかなか厳密にはいかないが、陸橋の墳丘斜面のとりつき部の基底石は見事に一直線にならんで いるので、その角度を求め、中心からその直交方向ラインの角度を算出してみた。前のとそう変わりませんが。
◆院生・学生らは現地説明会資料の作成を進めてくれており、2回、校正をした。「渡り土手」というんだそうです。

説明会は9日の10時から13時です

2017年9月5日(火)

◆朝、ブツのところの平面オルソ2分の1実測用の画像を届ける。
◆トータルステーションを据え、17-1トレの壁面に、水準線、座標を切る。
◆壁面のフォトスキャン用の写真を撮る。北壁はいけたが西壁は画像が不足していたようで、一体 の3Dにならなかった(右)。できれば補い、壁面画像を残したい。前に記録としても有用ではないか、といったもの。失敗したらダメですけど。これ、マッチングした画像に標定点がひとつしかないので、座標を入れるうえでも失敗している。が、壁を削り線引きし、今日のような曇天で、きつい日光や影などない写真が撮れれば、正射影した正確な壁面画像が残せるわけです。
◆10時から記者発表。城陽市教育委員会の説明と質疑の後、記者と少しやりとりする。まあ、南山城版か京都版で、近畿全体にも載らないんだろう。
◆11:00、大学へ向かう。教授会→院入試→採点。この間、Jムークの原稿を書くも、第1回分の半分程度(明日11時からの打ち合わせまでに書き上げることは、まあ無理)。
◆陸橋側面の礫の遺構にあわせたオルソ画像を作ることが残っている。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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