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人を幸せにする人になろう

2017年2月18日は姫路城

◆実家に帰り、翌日、姫路城に出かける。これまで2回くらいしか記憶がない。お城のこともだいぶ 勉強し、久しぶりに行ってみようかと。姫路市街が子供の頃に比べ、駅、駅前、それと姫路城の前もずいぶんと変わった。みゆき通りを歩いて、3軒の本屋をのぞくのが高校の頃の習いでしたが、あれらの本屋はいまでもあるんでしょうか。
◆お城は、さすが世界遺産ですね。天守ばかりでなく城の建物がこんなにも残っているのは、なかなかほかにないのだろう。そして西の丸というのかな、本丸とは別に西側の曲輪もあって、全体のボリューム感もある(西の丸には時間の関係で行かなかったが)。平山城で本丸が高く、下からの見上げ観もなかなかのものですね。
◆親は何度も来ているのでしょう、外で待っているというので、カミさんと1時間かそこらで出てきたが、ざっとという感じで、じっくり入念にではない。改めて半日くらいかけて見てみたい。
◆さきほどの話。大阪城だとやはり城跡、しろアトなのである。だだっぴろい空閑地。そして石垣のへりがあり、そこから堀にむかって落ち込む。それに対し構造物がちゃんとあり、複雑な構造を取り、それをたどり中心部へむかって入城していくという体感ができる。
◆そして、建物ももちろんいいのだが、ついつい石垣に目が行く。黒田カンベエの作った石垣というのがあり(ほんとかどうかは知りません)、やっぱりそっちへ足を伸ばす。確かに稜角もぴしっとしておらず、石の様子も古そうである。そういえば、石垣石の採取地の話を教えてもらったことがある。竜山石と同系統の流紋岩質凝灰岩なんだろうかな、と。
◆昔から、お菊井戸については「いちま~い、にま~い・・・」という話を親から聞かされた。今回、その解説文を読むと、それこそカンベエの頃の小寺時代の話であるそうである。
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211には211

◆ここ3年ほど行けていなかったが、久しぶりに211集会に行く。しばらく前は300人を越えて満席状 態だったが、やや少なくなったな、と感じる。
◆講演は、日本国憲法制定の話だった。何度 も同じ話をするのはいやかもしれないが、ひととおり話をしてほしかった。それと、押しつけ憲法論に対してどう対処すればいいのか、そういう話。まあ、4月に改訂される本を買ってよんでみましょうか。

2017年2月17日以降

◆カミさんの母の退院のため、和歌山の日赤病院に行き、紀美野町へ行き、そこから加古川へむかう。海南市の旧道をあえて通ったが、海南には県立医大の大きな病院がある。病院が現在の門前町だ、と感じる。まあ人が集まってくるのは病院である。移動するのに、京奈和を使ってみる。いつも五條北から、かつらぎまでなのだが、西へと工事がだいぶ進んでいるので、乗ってみました。岩出まで通っていて、そこで下りる。一乗閣も見える。水野先生のことを思い出していた。新たに削ったのか、紀伊山地の褶曲がものすごくよく観察できる壁面ができあがっていた。
◆最近はちょこちょこ紀美野町長谷宮に行く。途中、笑福亭というところで和歌山ラーメンを食べている。
◆自分の親元にも帰らないといけないのだが、行けていなかったので、加古川に行ったわけです。

鉢伏山南峰

◆これ立派ですわ。蓋の内法幅70㎝なので、高麗尺2尺かなと。7世紀前半決定。西峰が大化のあ と。このへんは、ヒストリアに書いたはずが、すべて忘れてしまった。要するに、高麗尺と唐尺で新古があるという話。ちゃんと論文にしないといけません。【追記】見直したところ、唐尺にしてますね。高麗尺はオーコー8と観音塚西。このへんも、正確な図にもとづき再検討します。
◆南峰。雨水がたまり、たいへんでした。水をくみ出し、腐葉土の範囲で、石を出してきれいにして。石材がかなりもろいのも要注意。計測用に掃除し、そのあと写真を撮ったが、ちょっとまだ残る水や葉っぱなど、もっときれいにすべきところですが・・・。
◆西峰もやってます。6基やったら、けっこうすごいぞ、と。過去の図面がいつ作られて、どこに公表されたものか、ちゃんと調べないといけませんが、山の上だし、わりあいと簡易な図化だろうと思う。それに比べ、今年度の3次元計測で、飛躍的に精度の高い緻密な図ができあがると思う。

観音塚上

◆この古墳、どこからどう上がるのが、いちばん行きやすいのでしょうか。今回は北から降りてい きました。これ、なかなか見つかりませんよ。2年後に誰かを案内したとして、たどりつけるかどうか。でも、ちゃんとあります。
◆雨水が石槨部にたまっている。測量業者さんの機械養生のタオルケットで、水を浸し、何回絞ったかな。まあ、なんとか。

観音塚西

◆葡萄畑のハウスのなか。最初に、「おや、もうちょっと上のはず」と思いながらも、地元のみな さんにここですと案内されたのは、6世紀第3四半期くらいかと思われる立派な横穴式石室の玄室奥半分が残るものでした。「いや、これではありません」と。前にヒストリアに鉢伏山西峰の紹介文を書いたときに作った分布図があり(モトネタは何だったっけか)、それからするとかなり上。ハウスの外に出て、上の方に行くと、それらしきものあり。
◆いや、これ、地元の承諾をいただいているからできるが、普段は入れませんね。羨道部がかなり堆積土があり、なかなかたいへんでしたが、まあ、なんとか。

観音塚

◆国史跡です。看板ははげはげ。新しくしてほしいですね。今回のオーコ8、観音塚、観音塚上、観 音塚西、鉢伏山西峰、南峯、まとまって横口式石槨が見れる飛鳥千塚、ひっくるめて国史跡にならんもんだろうか。

オーコ8号墳

◆羽曳野市教委の協力をいただき、地元との話をつけていただき、整ったのは10月中旬だった。 が、まったくこっちが動けなかったのですが、なんとか実施しております。6基の横口式石槨をぜんぶやりました。
◆まずはオーコ8号。実に美しい。区長さんのブドウ畑の上。

なんとか院入試もおわり

◆16日、大学院入試が終わりました。明日は和歌山に行き、それから加古川へ移動の予定。成績をぜんぶ出したと思っていたが、ひとつ残っていて、あれれ未処理?と、本日あわてて終了。あとはなんでしょう、1年の教員評価のデータ、これ15日〆、そんなことできるはずもなく。大学史ニュースの原稿。喫緊はそんなところ。

なんとか卒論修論試問を乗り切り

◆まとまった時間が取れず、修論が6本もあったこともあり、かなりぎりぎりであったが、なんとか読み、月曜日・火曜日を切り抜けた。考古の修士論文2本も、途中までは書いたものについてやりとりしてきたが、最後のところ、そこまでの分析をもとに統合的にどうまとめるかという最終章の部分は、提出ギリギリまで本人らがやっていたので、どうなるのか必ずしも明確ではなかったが、新たな歴史像を提示してくれていた。日本史のほかの先生方からも評価していただけました。書く、という行為はやはり大事ですね。
◆今日からは大学院入試。これが終われば、17日からは、大学入試業務はあるが、かなり身が軽くなる。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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