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人を幸せにする人になろう

6月10日は夜の部もありまして

◆この日、橿原で17時過ぎまで作業をし、作業に来てくれた摂南大の学生を八木駅に送り、 ほんとは1時間くらい早く追われれば家まで返って電車でまた八木に来たかったが、作業が17時過ぎまでかかったので、そのまま駅前の駐車場に入れて呑み会へ(翌日、朝に取りに行く)。O先輩との呑み会を設定していたのでした。+院生M氏も合流。八木駅前の店も良かった。岩ガキ!。写真のあじさいがいいと思いませんか。
◆この日はすこぶる暑く、まずはビール。が、そのあとは白滴はじめ奈良の地酒。Oさんと飲むといつも楽しいもんで、この日もゆっくりペースでと自分で言いながら日本酒を飲み過ぎ、途中からの記憶はない。お金も支払っていません・・・。18時スタートで、23時近くになっていたのではないか。
◆翌日は、二日酔いで・・・。
◆なお、計測の話だが、計測中はすることがない。谷首の時は、別日に清掃し、計測日は業者の都合に任せた。あるいは石垣の時も、最初立ち会って、あとは任せた。石室・石槨の場合も、こっちが早く行き、清掃し、写真を撮り(暗いばあいは照明を考える必要がある)、時間をずらして計測してもらうのが効率的です。
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で10日の午後は橿原市の小谷古墳

◆共有地とのことで、橿原市教育委員会に地元説明をしていただき、了解をいただいて実施 した。どうもありがとうございました。
◆クサ墓との墓室の広さの違いは歴然ですね。計測したり写真を撮るにも空間があってやりやすい。難点は蚊に襲われること。あとは、露出している天井石(正面部)が苔むし、それをそぎとって花崗岩の肌を出したりする清掃作業がすこし必要。でもいうほどでもない。封土が流れ、石材が露出しており、この本来は見えない部分も計測すれば石の大きさを捉えられるのではあるが、そこまでやるには木がかぶり、草が生え、手間が大変。開口部の正面が見える範囲でよしとする。
◆いや~実に美しい岩屋山式ですね。
◆ところで、家形石棺も考えなあかん。縄掛突起が亜式のクサ墓にはあるが、小谷にはない。岩屋山式と亜式は順番でなく併存しており、階層差かもしれませんね。

あくなき欲

◆ある記事を読んで、書こうと思ったんですが、もはや記憶のかなた。湯川秀樹の書いたものを思い出した。利便性や効率や、なんていったらいいのか、そういうものを追求し続けることが、人間を不幸にしたり、自然を破壊したり、そんな話だったのかな。梅棹忠夫もスピードを落とせ、といったことを書いていたような記憶も。ある記事には、そういう趣旨で、人間が抑制できないのが「○○」といったその人の選んだ言葉があったのですが、それがしっくりこないもので、どう言い換えたらいいのかと考えたのが「あくなき欲」。そのメモだけが手元に残り本旨があいまい、という次第。
◆前にカミさんが、大学のPCでホテルか飛行機か、なんかを予約しようとすると、遅いんだそうです。ところが、授業が終わる時間が過ぎると、さくさく動くと。つまりは大学がネット環境を整えるというのは、学生が授業中にゲームやら映画やらSNSやらそういうもので遊ぶ環境を整えている、ということなんです。速さとか容量とか、あくなき欲求、しかしそれは何のため?、早やけりゃいいの、ということ。また、アプリなる、そんなことができんでもええ、というものがアホみたいに量産されているわけでしょ。それが人間を退化させることにつながっているのでは。
◆人間らしさとか、幸福とか、は、そういう「あくなき欲」にしたがって次々に生み出される利便とかなんとか、とはまったく無関係なのである。

神武天皇2600年大祭

◆4月3日は、戦前は祭日だったという(命日)。昭和15年が紀元2600年だが、今年が没後2600年という。いまさらですが、4月の頃、交通規制だかなんかの表示を見て、気になっていた。橿原神宮の行事であり、宮内庁もまた仕事として神武陵を祀る。が、これに対して、奈良県や橿原市は一緒になってやったらあかんはず。実際に公費が支出されているかどうかが気になる。観光の一環として連携行事をやったとしたら、それはOKなのか。憲法学者の判断は?。
◆10日、こないだ橿原神宮の前を通ったら、「日本のはじまり」といった幟がいっぱい立てられている。この日、アベがやってきたらしく(なんのため?)、あちこちに警官が立っていた。来たのは午前で、われわれは桜井におり、午後、橿原で、もう警備も終わりという時期だったよう。
◆宮内庁が神武に限らず歴代の天皇の命日に祭礼を行うことは、仕事である。しかしこれはあくまで私的なもので、日本国の一般行政とは関係ありません。宮内庁職員以外の日本国民は、2月11日に橿原宮で神武天皇が即位したといったことが馬鹿げた虚構であると理解しないといけない。ファクトとしての理解、その先でありがたがるのは自由だ。

2016年6月10日クサ墓計測

◆桜井市埋蔵文化財センターのご理解をいただき、計測させてもらう。
◆カミさんと摂南の学生1名。9時前から開始、岩屋山亜式。多少、清掃。梅雨の間の快晴で暑く、汗がボトボトと。計測終了後、 フォトスキャン用に、2組で玄室と羨道の写真を三脚を立てて撮影。先週の市尾墓山と宮塚も、手持ちの画像で、簡単に合成はできたが、画像を貼っているのでできているように見えて、点群データ的にはぜんぜん。写真もブレている。レーザーとの対比のためにも、写真画像をしっかりしたものを撮影し、それでもって比較する必要がある。
◆けっこういいデータが取れたようです。狭いので撮れていないところもあるし、こっちが担当した開口部から羨道部の画像は組み込んで貼り合わせてないが。また処理にものすごく時間がかかるので、低密度にして処理したらしい。
◆桜井市センターのみなさん大勢で見学に来ていただき、いろいろ話ができたのも収穫。みなさん若く、活気があって、桜井市は元気だ!、と思った。

2016年6月8日 展示設計をはじめる

◆いよいよ恒藤記念室を仕上げていく必要があり、班の展示レイアウト案が前日の火曜日に出てき たこともあり、設計図を書き始める。

結局地図をいじり くつかわ

◆昭和31年の1万1の「寺田」があったので見る。箱塚があるではないか。また西山古墳群の丘陵も 未開発である。山のリアルさは、城陽町の都市計画図2500のいっちゃん古いものを探し出せば、そっちの方がいいのだが、宅地開発後ではしかたなし。どっちを取るか、というところ。この図に、古墳をドットしてみよう。
◆同じ地図で宇治を貼り合わせた。庵寺山も見える。

2016年6月6日久津川埴輪整理

◆新しい箱(袋120から130番台)について、多いものから8袋をやる。
◆別途、6月3日 城陽市整理事務所で2015埴輪洗い。
◆話は変わりますが、砂糖のことを「堺筋」いうねんて、知らんかったわ。

この間、いっぱい新聞記事ネタはあるのですが

◆手元にひとつあるので、挙げてみます。フランスでようやく。日本はまだ遠いか。 女性議員自身が反対しているのだから。
◆宮大工の記事を読みました。西岡常一の弟子になった人の話でした。簡単に弟子にしてくれないし、教えてくれない。その人の言葉。教えないんだそうです。教えられたことは身につかない。自分がやりたいから努力し身につけたものでないとアカン、という話、やら。この人は、とはいえ、伝統を守るために会社を作り人を育てているのですが、「日本の宮大工を俺が立派に継承する」みたいなやつはやめていく、毎日木をさわっているのが好きなんです、といった者が残っていくと。

大正10年の1万1

◆やっと地域連携センターでスキャンしている地図データを手に入れました。まだ大阪でも区画整 理が本格化しておらず、条里復元がこれでできる。大阪市街地のみなので、それ以外は1961年のものをベースマップにして、河内の条里をやっつけることができるだろう。
◆こないだ依網池について小文を書きましたが、あの時点ではまだ入手前で、刊行物になっているもののスキャンデータを用い、頁の切れ目がスリットになっていました。こういう図を手に入れると、うれしくなって等高線をなぞりはじめる。が、待てと。そんなことやっている場合ではない。さてどうしたもんだか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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