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人を幸せにする人になろう

自分のことより親のこと

◆義父が体調を悪くし、SOSが出て、カミさんは間に一度実家に行き、木曜日の晩から今度は2人で 行きました。落ち着いていれば問題ないのですが、血糖値が異常に高くなるとたいへんで、助けがいります。ひとまず介護認定を受けて、という風にいま進んでいます。
◆で、金曜日。われわれもいると、落ち着いており、気分転換に九度山の真田ミュージアムにでかけました。関ヶ原のあと、真田昌幸と繁信が九度山に流され、大阪の陣に出陣するまで10数年間いたところです。以前から真田で売り出していたようですが、大河ドラマで取り上げられ、こういう施設を作ったよう。六文銭の赤旗が、あちこちにはためいている。で、平日の金曜日というのに、うじゃうじゃ人が押し寄せていました。
◆パネルの文字も小さく、読んではいられないので、さっと流した程度です。それより、このあたりは、高野山に登るのに、もとはメインルートで、以前はよく五差路を通っていたところなんですが、少し入ると九度山の昔の町並みがよく残っており、改めて、まあ真田はよしとして、町歩きをしたいものです。
◆そんな次第で金曜日、大学史資料室と展示について打ち合わせる予定を入れていたが、キャンセルさせてもらった。次は水曜日ですかね。
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熊本の地震

◆最初は木曜日の21時半頃でしたか。中央構造線は四国の北部を通り、佐田岬半島でしたっけ、を 通り、九州を横断しているのですね。阿蘇があって分離した形になっているように見えるが、今回の断層につながっていくのですね。その延長には川内原発も近い。
◆ふつうは止めるでしょ、とカミさん。菅くんは、止める理由がない、と。震源も八代に下ってきている。普通の感覚では、収束するまで、一旦、停止するというのがまっとうだと。その通りですね。コト原発に関しては、もっかいドカーンとメルトダウンして、いよいよ追い込まれないと動かないという、アホな現実。
◆もひとつ。避難所ができる、水をもらい、おにぎりをもらい、フトンやら・・・。こういう緊急用の必要品やら、水・食料の備蓄や供給体制など、いくつもの経験のなかで、システム化が進んでいる面はあるのだと思う。支援体制とかも。そういう理不尽な自然災害の前に、公や民間などの支援ということが必要なのはむろんわかった上でのこと。自分でなんとかするという能動性が失われつつありはしないか。みな与えてもらえる、と。水がないなら汲みに行くとか、寒けりゃ、廃材でたき火をして暖を取るとか。食糧に関しては、羽生さんの講演とも関連し、スーパーで買うことが当たり前になっているいま、都市部の人間には手を打つすべがないかもしれませんが。自分がやれるとはいいませんが、昔の人なら野に行き、山に行き、食えるものを集めてきたであろうに。茫然自失、そういう行動が取れない、のかもしれません。しかし生活力が、どこかの生命保険会社の製品じゃないが「生きるチカラ」が失われているのでは、とも感じてしまう。
◆昨年、神戸の震災の話で、トイレの問題。川から水を引いてくる、という行動を起こしたのは、戦後に同じようにやった経験者たちだった、ということだ。いまの人間は、レバーを引いて水を流すことに慣れきって、そうでない対応ができない。
◆そして、電気が復旧したかと思えば、まっさきにスマホを充電するのだとか。で、おにぎり足らんとかSNSとやらで文句を言うにいたっては・・・。生きるチカラ・・・、どこへ行ったんでしょうか。

縄文人なら長老

◆とみに年を感じております。まずあくせくしない。できることはできるが、できないことはでき ない。電車が混んでいたなら1本遅らす。車を運転していても、渋滞で遅れるならしゃーない。
◆こういうのはともかく、1日働くと、帰るともう食事をして寝るのみ。これは前からだが、最近は、朝起きてもあんまりすっきりしていない。疲れているようです。体力の衰え。去年の現場は、若いモンには負けへん、と思ってましたが、近頃は・・・。が、これも鍛えればまだいけるのでしょうが、そういうことをしてませんね。それと左膝が痛いのが治らない。これけっこう精神的ダメージが大きく、年だと感じてしまう。
◆第2週目をなんとか。時間があれば市大日本史の仕事をしています。
◆3月末の原稿が2本できてません。
◆近鉄文化サロン2本に、桃山の授業が2本、きついです。ちょっと、こなせないのではないか、と危機感を覚えます。

それで

◆懇親会に出て、Sさんとも別のSさんとも、いろいろ話ができてよかった。そのあと、院生等と岡 山駅前のホテルにチェックインし、呑み会に。ついつい日本酒をいただき、気がつけば1時前、ばたんと寝る。
◆ちなみに熊本の地震でプログラムが変更になる。翌日は、午前で抜け、福山の県立歴史博物館を見学し戻る。ほかにもちょこちょこしたものがあるが、これくらいにしておこう。

羽生淳子さんの講演

◆で、姫路の壇場山は行けず、岡山に向かう。なんとか羽生さんの講演にすべりこむ。
◆よかったですよ。縄文中期から後期への大変動は、植物質食糧への過度の依存が大きな要因と なっていることを知る。そのこと自身、正確な年代のなかに、住居数や石器組成などを重ね合わせながら考える緻密なもの。また、それ以上に、現在のTPPなどのグローバル化に対するアンチテーゼとして、必須の食糧などは実際の生活圏で自給していくこのの重要性を、長いスパンで社会変動をとらえる考古学が、現代社会へ提言できる、そうすべきだという信念、そのことを大型プロジェクトとして提案し、組織し、実行している姿に感銘を受けた。
◆大阪にいる者として、翌日の大庭君の話もとても勉強になった。大和川本流を含めた、河内平野全体を捉えていく、一瀬さんがやっているかと思うが、そういう全体像を勉強しておくべきですね。洪水が頻繁にあり、微地形を変え、土地利用が推移することを捉えつつ、自然環境の変化ではない社会の変化を読み取っていくことが重要ですね。

西条古墳群

◆そのあと、尼塚、行者塚、西条廃寺、人塚。
◆加古川市の資料館。行者塚の埴輪をはじめ遺物をひととおり見る。

久津川整理日誌4月18日

◆自分・道上・伊藤 10:00~12:30
(1)KR15の土器片座標取り上げの数値入力のチェック。ひとつだけ訂正あり。
(2)KR14台帳の改訂、未処理のものを3つ、続きの通し番号を新たに振る(213~215)。なお1箱分と、1ラベルの処理が必要。
(3)KR15埴輪の160413に洗ったものの収納。
(4)KR14について、2箱について注記。「KR14 165」と「KR14 83」。円筒埴輪/形象埴輪/土器の分離。形象埴輪がほぼ90%。円筒埴輪の線刻や口縁については黄色シールを貼る。形象埴輪について、一定の大きさ以上のもの、小片でも重要なもの(柵トゲトゲは今日はやらなかったが、次回やるべし)などを、PUしてモノサシを置いて写真を撮り、赤シールに番号を付し台帳を作る。165は形象1~9、83は形象10~18。
◆作業日をもう少し確保しないと進まない。
◆研究会後 自分・道上・阿部・伊藤 16:30~18:00
(5)「KR14 8」について注記ほか、同上終了。形象19~29。
(6)寄贈本整理。

久津川整理日誌4月13日

◆持ち帰ったKR15の未洗い埴輪を、考古学実習で洗う。あまり進まなかったが。

久津川整理日誌4月11日

◆持ち帰ったKR14を台帳と突き合わせる。突合の結果、99%までは問題はなかった。洗ったときにラベルが読めなかったもの、洗うときに混乱をきたしてしまったもの、台帳未登録の3袋など、処理しないといけないものを絞り込む(→台帳改訂)。台帳上、日付が未記入のもののなかに、2月23日とラベルにはあるものがあり、同じまとまりの一連の地区ごとの取り上げと思われるものも、同日の可能性があると思われる(→調査日誌の確認)。

三木正法寺古墳群

◆加古川を下っていくが、途中、正法寺古墳群とあり、立ち寄る。説明看板から1999年に竣 工したらしい。開発にともなうものだろうが、10基ばかりを掘り、2 基は移築だったか、保存地区のところに組み上げ、計4つの石室を見ることができた。片袖、両袖、無袖2基と、基本的な変遷を見ることができる。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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