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人を幸せにする人になろう

なんの躊躇もなく大きな木が

◆五代友厚像を建てることになり、文学部棟と商学部棟の間に接地することが決まる。昨日の土曜に大学へ戻ってくると業者が入って、そこに植樹されていた木々が無惨に首をはねられている。桜もいいもんだが、それよりもっと樹径の大きい広葉樹がもったいない。あそこは蝉の楽園で、夏はうるさいが、びっくりするくらいクマゼミが出てくるのだ。金のかかる植え替えなど、いわれのある樹木くらいしかやってくれないのだろう。あとは死なす。
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11月28日(土曜日)雄山閣の原稿を出す

◆朝から現場に出かけ、そこから天王寺に戻り、近鉄文化サロン(13:30から15:00)。受講者は45名くらい?。まあまあ、だが、不十分さを自分で感じる。今度、このネタでやるときは、さらに改良の余地あり。終わった段階ですぐやっておけばいいのだが、終わった瞬間、この仕事は終わりである。
◆さて、今日は大学史で京大滝川事件のシンポがあり、出たいところだが、16:30まで。大学に戻る も、学情の会場には向かわず、雄山閣の仕上げ。ようよう、出しました。最後の図10を出しときます。この原稿の面白いところはこれではないが、それはできてからのお楽しみに。最後のところ、やっぱり前方後円墳の廃止の話もかかなあかんかな~、と、季刊考古学の図をいじって作ったもの。
◆次はレキハクですね。これも入院中の2週間で、仕上がりレイアウトで23頁分、びっちり文章は書いてある。文章の推敲具合もかなりの程度に達している。注、参考文献、図をちりばめないといけない。まあ、年内でしょうか。
【追記】右足がパッツンパッツンに腫れ上がっています。夜、寝て、横たわっているとシューとするんですけど、1日垂直になっていると、夜には・・・。

ことのついで

◆パワポを作り始める。で、こないだ欽明墓の原稿を書いていて、檜隈坂合陵が五条野丸山古墳と する根拠として、森浩一が既に言っているので強調しなかったが、兆域がある。
◆舒明以前は、延喜式にあるのは基本は王墓で(列の白いヤツ。灰色の網は明治以降。)、そうでないのはそれなりに理由があると考える必要がある。このへんはレッカキョウの例会でしゃべったが。例えばイワノヒメ。これは多分に光明立后と関係があるだろう。ほかに古墳時代の皇后稜なんて延喜式にはない。で、兆域のなかで、牧野の15町なんてのは特別であって馬見丘陵を大きく取り込んでいるのだろう。5世紀代の陵墓なんて、だいたい順当に墳丘・周濠がカバーできる大きさになっているでしょ。そのなかででかいのが、仁徳であり、履中であり、応神。だから、持統朝には、つまり記紀段階では、仁徳陵は大仙に、履中陵はミサンザイに、応神陵は誉田御廟山にあてている。いまの治定は持統朝にそう決めたことに正しくたどりついている。が、それは事実ではないわけです。持統朝にいじっているから。なんでそういえるかは白石先生が解説済みなので、もうええ。だから文字資料からは辿り着けないんですよ。考古学です。
◆で、坂合陵は4町四方でしょ。BIG3に次ぐ兆域。これ墳丘だけで330mある五条野丸山でしょうね。平田梅山ではない。
◆ついでに、そういう基本大王だけの国家的祭祀対象の陵墓になっているのが、厩戸、そして山背なんですよ。厩戸は大王格なのです。そして山背も大王格なんです。これが大兄というものです。山背の北岡墓。7世紀前半の方墳で、岩屋山式石室とみられるもの、平群郡内で、となると西宮しかないんとちゃいますか。河上さんの見方は当たってますよ。

クララ状態です

◆木曜日に病院。キブスを半裁する。レントゲンを見ながら、骨折部分などの治癒が進んでいるこ と、一方で骨の表面の白い皺が減って骨を鍛えないといけない、と。で、歩けと。ええっ。今日までは骨を固めるために体重をかけるなと、今日からは体重をかけよと。
◆もう骨としては固まってるんでしょう。まだ金属ピン2本は突き出たままながら。なので、歩けといわれても、これが歩けないのです。松葉杖で歩くのにも慣れ、右足つま先は接地させ、多少蹴ったりして、そういうことに慣れて2ヶ月。今度は右足に体重をかけないといけない。これが恐いんです。多少の痛みもある。なんとなくは、これまで両手首と脇で完全に松葉杖に全面依存していたのを、右足に体重をかけ、松葉杖は支え程度にしてふんわりとというのも、やってみるとやれそうではある。が、逆にこれまで慣れてそこそこサッサと進めていたものが、じんわり右足に体重をかけてとなると、とたんに歩みがのろくなる・・・。
◆で今日。歩くことを奨励されるわけだが、土踏まずがあり、真ん中が上に浮いている足の骨が下に押し下げられる力がかかるので、専用のスリッパ形パッドみたいな補助具を作るというので、今日、また病院へ行って、業者に型取りしてもらいました。包帯に石膏を塗ったものを巻いてヌリヌリして、しばらくするとできあがりです。来週、仕上がるのだそうです。12月4日、天理に行かないといけない日だが、朝9時に届けてくれることになり、それを装着し、新たにサンダルみたいなものを買って、それで向かうことになります。
◆このところ、車のなかで、大化改新のことばかり考えております。

ううっ

◆警察から出頭命令が来て、阪神高速堺線でオービスに引っかかったらしい。7月あたまの日曜日のこと。制限60キロで、日曜日の9時、そりゃ車は走ってないわな~。免停・・・。足を奪われるのは、いまの自分にとってはつらい・・・。

大阪城サウンディング続

◆9月の調査、最終日は大阪市の方にお任せで、データはいただいていたが、わたしの作っていた成 果図に盛り込めていなかった。また委託業者からも最終データが来ている。これらを突き合わさないといけないのだが、なかなか・・・。とはいえ、現場で、実際に入っていっている状況を、N値を見つつメモして、当たった時の感覚とか、そういうものから考えてきたものが拠るべきところ。思いこみはいけませんけどね。
◆最終日の南部地区の追加データを盛り込み、少し前とは記号をかえて解釈の入った図を作ってみた。今年度、もう1回やる予算はあるようなので、その計画を立てる必要がある。まあ、これで6時間半かかったぞ・・・。さて、伏見城へ。
◆懸案の伏見城もなんとか。執筆いただく方にはしっかり書いていただくとして、こっちは図面やら写真やら、計測データやら、矢穴データやら、それもたいへんですが、まあやっていきます。

いや、だいぶくたびれてきました

◆17時か。26日に1ヶ月ぶりに病院に行くが、ギブスをはずすのはその時か。金属棒を抜くのはいつ なんだろう。手術?。聞いてない・・・、入院はいやだ。
◆大阪城に未着手!。あせらない。ひとつひとつ。でも難波宮と大化改新の発表題目、とうとう最後の1人となってしまった・・・。8月くらいからのメールもだいたい処理が・・・。
◆庵治石の石切場、牟礼町もぜんぶ高松市になったのかな。石の資料館があるのですが、一度行ってみたい。行ってみたいところだらけですね。これを趣味にするか。せっせと国内を旅してまわる。う~ん、いいことだ。おいしいものを食べ、ぶらぶらと町歩き。そうしないとアッという間に終末が来るだろう。思い切って行かないと、始まらないわけだ。
【追記】大阪城および伏見城とも手つかず・・・とほほ・・・。また明日!。今日はこの辺で

大丹後展

◆ですです。
◆網野銚子山、昨日が現説だったのですね。いつまで見れるか、前に問い合わせたのですが、迷惑メールに入り込んだのかもしれません。もう埋め戻しにかかるのだろうし、無理だろう。
【追記】このブログ、容量の98%まで達し、有料にするか、昔のを消していくか、そろそろ考えないといけません。昔のは、昨年、少し削除していますが。

近鉄文化サロン

◆土曜日です。資料を水曜日に送れと。まあ、そんなこと言われてもね~。受講者は39名だとか。そこそこなのかもしれないが、寂しいですね。古代を偲ぶ会とか、豊中歴史同好会とか、そういう集まりの方がモチベーションは高くなりますよね。来年も2回やれという・・・。いやはや、大学との提携講座で、これも仕事なんでしょうが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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