人を幸せにする人になろう

2016年6月23日、日根野に前関白政基に会いに行く

◆前回の続きで、院生等と日根野に行く。まず大木だが、犬鳴山不動尊に行く。それから上 大木、中大木、小学校、下大木。なんとか神社。それから政基の居所。荘園遺跡として史跡にもなっているが、重要文化的景観にも選定され、広域のエリアが線引きされ、とくに重要なところは「なんとか」のエリアになっている。法的な名前を勉強してません。
◆日根荘は、日根野村と大木村に分かれているが、樫井川の段丘面の日根野村はすっかり開発され、奥側の大木村の部分が重要文化的景観となっている。10年ほど前の大歴の現地見学検討会以来のことである。和歌山と行き来するのに年にいくらか通過するが、村のなかをぐるりとまわったのは初めてである(車ですが)。 
◆そのあと大井関神社に行く。神仏分離で、お寺と神社が区分されてしまっている。間に「なんとか用水」。これが日根野村西方の灌漑用水。東方は溜池です。
◆ついでながら、蟻通神社に行き、これで3つとも制覇しました。禅興寺もこのへんかなと。海会寺と同時なんだろう。百済大寺同笵瓦が出ている。

ああ疲れた

◆昨日21日は、朝、門真に行き、大学に行き2限の授業をやって、高槻に出かけて会議(15時でこっ ちは引き揚げる)、大学に戻って5限の博物館実習Ⅰ。文学部案内作成チームの授業風景写真撮影もあった。
◆この日、難波京にかかわる文献をバイトにコピーしてもらう。ありがたい。で、やっぱり読みますよね。が古い文章で、原寸がmとか㎝でなく曲尺で・・・、なかなか骨が折れますね。全部消化するのは無理ですね。
◆本日22日は、朝から大学史に行き、恒藤資料の写真撮影。3限の授業後、今日はある会議で5限がつぶれるので休講にしたため、3限も授業準備がないので、再び写真撮影。気合いを入れて写真を撮りました。右は京大滝川事件で辞職した教員の「記念」写真のようです。

2016年6月18日おおれき新旧合同臨時委員会で関学へ

◆行きました。新しい代表委員候補のYさんも来られていた。うちの院生5人が庶務委員となるが、 うち3人が来てくれた。総会議案の検討をやり、決算・予算の検討をやり、予想していたより時間がかかる。いまの事務局長Tさんが、2000年代の大歴の予算の推移をグラフ化し、現状を整理いただいたことは、とても参考になる。さて2年間、わたしが事務局長の時うまくいくでしょうか。
◆そのあと、大会会場の下見にみなさんは行ったのですが、こっちは研究室棟に行き、いまの事務局の部屋を見せてもらい、荷物等の確認をする。いまはバックナンバーを持ち歩くことも最低限にしており(写真)(別場所に多くを保管)、引っ越し荷物はそう多くはないよう。7月からの、こちらの事務員さんの仕事環境も少し準備をしています。

椿井大塚山

◆いったい何年ぶりなんだろう。測量してた時以降、立ち寄ったことがあったのかな。そうか史跡 指定のための発掘をやってた時見に行っているので、90年代後半には行ってますね。近藤先生とか、山城町のNさんが同窓会的に関係者を集めてシンポかなんかをやったのはいつのことだったろうか。
◆現地に行くと(そもそもなかなか行き着けなかったのだが)、前方部の西北角の家屋が更地になっていた。前方部北側面の土地を確保したのか、空き地ができあがっていて、そこから普段の通り、線路を超えたところから後円部に上がる。デジャブ。竹林はかなり整理されている。墳頂部には説明看板もあった。昔、何班かに分かれて測量した時、自分がどう動いて、どこを測ったのかも、もはや記憶の彼方です。

高麗寺

◆ここも行ったのは初めてかもしれない。塔心礎があって、もひとつの基壇がくっついてしまって いるんでしょうか。伽藍配置の看板はなく、南山城一帯の広域図のみ。中心伽藍の整備をしようとして、周囲にマサ土が入っており、これからなのかもしれないが。高麗寺出土の飛鳥寺同笵瓦などは、誰が持っているんですかね。

宝来山古墳

◆ちゃんと近づいて見たことがあるのだろうか。案外、見てません。研究所の窓から、近鉄電車の 窓から、いつも存在感は感じていましたが。今回も雨なので、降りてぐるりと回ったわけではありませんが、西側へ回り込み、その側面観を見る。後円部の北側を通り、墳丘内部の様子を見る。

2016年6月19日佐紀古墳群見学会

◆天気はよくないが、学園前9時集合。自分+M・Y・A・I。
◆宝来山古墳+陪塚→五社神古墳(西くびれ部から背後の切り離しへ)+陪塚→佐紀陵山→佐紀石塚山+陪塚→瓢箪山古墳→塩塚古墳→平城京歴史館(すべての映像を見る)→法華寺→平城宮跡資料館。
◆よく見ると、どこかで見たような平面図。次数は246次。第五堂が238次だから、そうですよね、あの人の平面図以外考えられませんね。美しい。原図はこれでなければ。
◆コナベ+陪塚→ヒシアゲ+陪塚→ウワナベ
◆南山城に向かい、途中で昼飯。もう15時。
◆鋳司遺跡に向かうが到達せず。恭仁宮(山城国分寺)→山城郷土資料館→高麗寺→椿井大塚山古墳→学園前まで戻り解散(ほぼ18時)。

2016年6月20日KR14埴輪整理

袋ナンバー、100・101、103-105、107、110、117・118をやっつける。スターは形象99~106
誕生。左のもの、前から同類が出ているが、片面線刻である。右、朝顔形埴輪の壺部がある程度の高さまで残る良好片である。

2016年6月13日(月)KR14埴輪整理

◆この日、大歴の委員会があり、総会資料の作成で、自分は不参加(ごめんな)。
◆袋ナンバー、106、119・120、123・124、126-128、131、133-137をやっつける。スターは形象89~98誕生。

坪井清足氏

◆土曜日に偲ぶ会?があり、大学院説明会の役を代わってもらい出席の返事をしたが、どんな会になるんだろうか。世代が違うので接点はわずか。研究所にいた時、山本瓦工業さんがいたので瓦業者の集まりか何かの会合ではじめて会った記憶がある(奈良ホテル?)。次は東京に居たとき、例年の速報展について、大阪文化財センターが全埋協の代表で、打ち合わせの会議でご一緒するようになる。がその程度。一度、それこそ奈良ホテルの瓦の会合の時に、葉巻に興味を示すと、「ほれ」と差し出されて吸ったことがあった。2008年に至り、大阪府の博物館問題の時に、役割上、坪井先生に2度ほど電話した。
◆『古代追跡』によると、1986年ナブンケン所長を退いており、これが大学4年生に上がる頃のことなので、大先輩ではあっても接点はないわけである。
◆『古代追跡』を読むとなかなか楽しい。直接よく知っているわけではないが、なかなかストレートだし、伝わるものがある。晩年、いまの埋文行政に対する批判的な発言を聞いたような気がするが・・・。研究所そして文化庁で、日本のマイブン行政の基本を組み立てた大先達である。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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